#006 爆発した怒り
久しぶりの快晴。
こんな朝なら是非とも美少女と時間を過ごしたいと思うのが健全な男子高校生だと思うのだが、俺は今日、ご都合主義男こと巧と会う必要がある。
まぁアイツが起きるのは遅い時間だろうし、朝一番からメールしてみても返事があるとは思えない。
――雪那と篠ノ井はまだ寝ているのだろうか。
そんな事を考えつつ、一応は雪那にもメールで挨拶しておきながら、篠ノ井のその後を訊ねておいた。
人の少ない土曜の朝食を食堂で食べていると、結構早めにメールで朝の挨拶が送られてきた。相手は雪那だ。どうやら篠ノ井は雪那の部屋に泊まったらしく、このまま昼過ぎの寮監の目が緩い時間までは部屋で過ごす事にしたらしい。
自炊できるなら、もっと遅くまで寝てればいいのにと、割と本気でそう思って返したのだが、「デリカシーのないメールはお断りよ」とメールが返ってきた。
……デリカシーの基準は何処ですか……?
謎である。
そんな朝を過ごし、自室に戻ってからはテスト範囲となるであろう箇所の復習を続けている内に巧からのメールが届いたのは、すでに太陽も中天に差し掛かる、正午に近い時間帯であった。
『おはよーさん。今起きたから、二時ぐらいからで良いか?』
……篠ノ井がいないとアイツはとことん眠り続けるとか聞いてはいたんだが、たった一日の休みで昼夜逆転しそうなレベルとはどういう了見だ。
幼馴染キャラに甘えているなんて、うらやまけしからん。
昼食を食べるついでに、待ち合わせはファミレス。
その後はどうなるか分からないが、まぁ俺も巧もそう長い時間を一緒に出かけるような関係でもないし、早めに帰るつもりで外へと出て行った。
一応雪那にも巧とこれから会う事は伝えてあるので、行ってくると連絡をしたのだが、返ってきた返信は「あまり手荒い真似はしないようにね」だった。
俺に対するイメージを小一時間程は問い詰めてやりたいところだ。
久しぶりの快晴という事もあって、気温は高い。
肌の露出が増え始めたこの時期は、なんとなく夏が近づいてきたと思って気分が踊りそうなものだが――約束している相手が巧だと思うと思わず気分が沈む。
そんな俺の心情などお構いなしに、約束の時間にちょうど良く合わせて登場した巧が、俺に声をかけてきた。
「待たせたな」
「……お前は遅れて登場した真打ちなのか?」
「え、ちょ、悠木、意味が分からないんだけど……」
「……チッ」
「舌打ち!?」
開口一番のボケに対するリアクションがつまらない。減点だ。
雪那ならば素晴らしいリアクションを返してくれただろうに――とそこまで考えて、嘆息してしまう。
ついつい雪那を基準に物事を考えてしまっている辺り、どうにも俺は彼女に毒されているらしい。
「それにしても、テスト前に気分転換なんて珍しいよな」
「あぁ、今回はテスト前の気分転換がどうしても必要になりそうだったんでな。そういうお前こそ、親が帰って来たんだってな。一家団欒の邪魔して悪かったな」
「え、いや、そんなの気にしなくていいけど。っていうか、どうして知ってるんだ?」
……しまった。
家族の一家団欒は篠ノ井と宝泉さんしか知らないって形になってるのか。
俺と篠ノ井が会うハメになったのは、むしろイレギュラーだった訳だし。
「……ほら、あれだ。篠ノ井からメールで聞いたんだよ」
「ゆずから?」
「あ、あぁ。部活が休みになったからつまんないってな」
「あぁ、そっか。それにしてもゆず、悠木とはメールしてたんだな。そっか。アイツも、ちょっとずつ変わって来てんだな」
何やら満足気に呟く巧に、ついついイラッとしてしまったのは、きっと篠ノ井の昨日の様子を見てしまったせいだろう。
何も知らない、何も分かっていないのに、能天気に笑うような素振りに見えて、それは酷く軽薄に映ってしまう。
そんな勝手な価値観の変化で巧に八つ当たりする訳にもいかず、けれど巧相手なら別にそれぐらいやってもいいんじゃないかと思う俺もいる訳で、とりあえずスルーしておく。
「さて、気分転換とは言ったが巧。ファミレスにでも行こうぜ」
「え? 遊ぶんじゃないのか?」
「あー、遊ぶ遊ぶ。その前に飯に付き合え。寮暮らしだと昼飯が侘びしいんだよ」
適当な事を言って、俺は巧を連れて歩き出した。
そもそも最初から遊ぶ気もないのだが――まぁ今はまず、話を聞かない事には判断しようもない
「まぁ俺も飯食ってないし、いいけどさ」
「親父さんとかと一緒なのにか?」
「あー、うん。寝坊したから、置いてかれた。父さんと母さんは一緒に昼ご飯食べに出かけたらしい」
篠ノ井に起こされず、親に置いていかれる。
そんな巧の状況に同情――するはずもなく、冷たい目を向けたのは至極当然であった。
「――いらっしゃいませー! 二名様ですかー?」
「はい」
「二名様、ですね。……本日は全席禁煙となっておりますのでご協力お願い致します。では、お席にご案内しますー」
……席の案内になるまで、やたらと――というか、いっそ纏わり付くような視線を向けて間があった、バイトの眼鏡お姉さん。
二名という言葉の後、僅かな間を作り出した彼女は、眼鏡の向こうにあった目を左右に動かし、俺と巧の顔を見て僅かに口角を吊り上げた。
その姿に、何故か俺は悪寒を感じるんだが。
……いや、考えるのはやめとこう。
「ご注文がお決まりになりましたら、こちらのボタンでお呼び下さいー」
「はーい」
「では、ごゆっくりどうぞ~」
ようやくお姉さんが離れて行って……こちらと天井の呼び出しランプを交互に睨んでる。
こ、怖いんですが。何そのスタートダッシュしそうな感じ……!
さすがに巧も気付いて――いないらしい。
「俺は飯食ってきたからなぁ。ドリンクバーだけで良いや」
「おい気付けよ鈍感系。どう考えてもあのお姉さん危険な香りがプンプンするじゃねぇか」
「……危険?」
「いや、何でもない。もういいわ、お前。お前にこういう事言っても意味ないわ」
「え、ちょ、何その落胆!?」
――巧の鈍感ぶりに改めて絶望した俺であった。
とりあえず、軽食で空きっ腹を埋めるべく、軽食メニューへ視線を移し……ついでにお姉さんをチラッと見た。
……ほ、他のテーブルの呼び出し音も鳴ってるのにこっち見てるとか、もういっそその執念に畏れ入る。
なんか怖い。特に腐ってそうな気配が。
とりあえず、ボタンを押してしまったらアレが来る。
あの目で見られるだけで汚された気分になるから、とりあえず他の店員さんを手で呼ぼう。
「決まったけど……」
「あ、んじゃあ押すわ」
「おい馬鹿やめろ――」
「はぁ、はぁ……。ご、ご注文をお伺いします」
巧がボタンを押した瞬間、いや、正確にはその前から向かって来ていたのだろうか。
フライング気味にやってきた眼鏡お姉さんの襲来である。
走ったせいで息が切れてるのか、それとも違う意味で息が切れてるのか。
聞きたいような聞きたくないような……!
そんなお姉さんが相手でも、一切気にした様子もない巧の鈍感ぶりに、俺とした事が――不覚にも、ちょっと頼もしく思えてしまった。
適当に鶏の唐揚げやらポテトフライやらを頼んで、それをつまみながらテストの勉強について巧と話し合う。
巧もちょいちょいと口に運んでいる。
おい貴様、その唐揚げ何個めだ。
巧のような一般入学の場合、テストの成績はそこまで要求されないため、基本的には赤点さえ免れれば問題ないというのが本音だそうだ。
とは言っても、巧もそろそろ勉強を始めるつもりだそうだ。
「で、巧。そろそろこの前の事、話してもらおうか」
「……ゆずの事か?」
頷いて肯定を返す。
前回は連れフン疑惑がかけられる可能性があったために断念したが、ここ最近の篠ノ井に対する巧の態度の変化とやら。それをまずは聞かなくちゃ話もできない。
まぁ宝泉さんの件も気になってはいるのだが、それは個人の問題だし、俺達が深く突っ込んでもしょうがないしな。
それに、うまくいけば篠ノ井の事を言えば宝泉さんの件もあっさり解決出来るかもしれないし。
一石二鳥で済むかもしれない。
そんな期待を寄せつつも、続ける。
「お前が篠ノ井を避けるような真似をしてるのは分かってるんだが、一体どうしたってんだ? 今までそんな事しなかっただろ?」
「……あー、うん……。ちょっとな。前に言ったよな。ちょっとゆずはキツい過去があって。そのせいで、人間不信な部分があるんだよ」
それについては、すでに雪那から聞かされているんだが、ここで雪那と篠ノ井の関係について、細かく説明するのもな。
そんな訳で、巧に対しては敢えて初耳な情報だと振る舞う。
「人間不信か。それで、それとお前が篠ノ井を避ける理由に、何の関係があるんだよ」
「……ゆずは、だいぶ明るくなったんだ。昔はホントに酷いモンでさ。他人とは話そうとしないし、俺の後ろに隠れてばっかりだったんだ。それが中学になって、ちょっとずつ周りとも話すようになってさ。高校に入ってからは、天真爛漫な元気娘って思われるぐらい、明るくなった。悠木も、そんなゆずの印象が強いだろ?」
――いいえ、ヤンデレモードの印象の方が根深いです。
なんて、茶化した言葉は言う気にはなれない。
しかし何だろう、育児日記か何かを聞かされている気分になってきて――同時に、なんだろうか。
俺は別に巧自身を嫌っているとか憎んでいるとか、そういう気持ちを持った事はない。
ないのだが――話を聞けば聞いている分だけ、段々と自分が苛立ってくるのを感じていた。
「俺はさ、悠木。ゆずには色々な人と、もっと関わっていくべきだと思うんだよ。俺を介してじゃなくてゆず自身の手で。俺がいつまでも一緒にいられるかなんて、分からないんだし……」
徐々に抑えきれなくなりつつある苛立ちに、きっと俺は今、酷く仏頂面でも浮かべているだろう。
確かに、雪那から聞いた篠ノ井の過去。それに巧が今言った雰囲気から察するに、篠ノ井はちょっとずつ成長しているのだろう。それを見守ってきた巧が、今のままじゃ良くないと考え始めた理由も、分からない訳ではない。
「俺がいつまでも一緒にいたら、ゆずは俺に依存しちゃうんじゃないかなって。俺、ゆずが明るくなってきた今だからこそ、俺から離れた方がいいんじゃないかって、そう思うんだ」
――詭弁。
巧の言葉に俺が感じたものを一言で言うのなら、ただそれに尽きた。
人なんて、周りに影響されたとしても、最終的には自分で決断する。言う事を聞くのも、周りに合わせるのも、結局最後に判断するのは自分だ。
巧が必要だから、篠ノ井は巧と一緒にいる事を望んでいる。
それは昨夜の憔悴しきったアイツの様子を見ていれば一目瞭然であるし、普段の巧に対する依存というか、接し方を見ていても分かる。
「お前、本気でそんな事悩んでんの?」
「そんな事って……。アイツと俺はずっと幼馴染として付き合ってきたから……」
「おいおい。なんなの、お前のその言葉」
「え……?」
巧が、俺の言葉に唖然とする。
無理もない――自覚がないのだ、コイツは。
「今まで面倒見てきて、今さら突き放すってか? まるで玩具みたいな扱いだな。興味がなくなったから捨てるって事だろ?」
「な……ッ! そんな事――!」
「あるんだよ、お前のやってる事を端から見たら、そうとしか見えねぇってぐらいには」
「違ぇよ! そんなんじゃねぇよ!」
「何も違わねぇよ。なぁお前、自分が何しようとしてるのか、本当に分かっててやってんのか?」
あぁ、ダメだ――俺には許せない。
俺は、そうやって裏切られた側だから――その詭弁を、許せない。
今の巧の考えを真っ向から否定する事しか出来ない。
「自分がいるせいで篠ノ井の可能性をどうのこうの、なんて。上に立った気分で面倒を見てきて、いざという時には“相手の為に”って正当化して一方的に別れを告げる。実に良い身分だな、お前は。そうやって自分勝手な悦に浸って、結局は理由つけて自分が逃げたいだけじゃねぇか」
「……ッ! 違う! 俺はそうじゃなくて、ゆずの為に考えたからそうしようと……!」
普段の俺なら、きっとこういう言い合いは冷めた態度のまま、ただただ淡々と、軽蔑と侮蔑を織り交ぜたような冷たい目で見つめる程度で済んでいたのかもしれない。
けれど――どうにも今の俺はそういう訳にはいかなかったらしい。
気が付けば俺は椅子から腰を浮かせ、言い募ろうとする巧の胸倉を掴み上げて、声を荒らげていた。
「篠ノ井がそれを望んでねぇって気付かねぇのか、テメェは! 篠ノ井の為になんて言っても、結局何も篠ノ井の為になってねぇって言ってんだ!」
「――ッ」
「お前が今やろうとしてんのは、中途半端に構って、自分が疲れたから逃げようとしてる。それ以上でもそれ以下でもねぇんだよ……ッ! それ以上くだらねぇ御託並べて正当化してみろ、このままぶん殴るぞ」
土曜日の店内――昼過ぎの閑散とした時間帯を迎えている店内で、俺の声はさぞ大きく響き渡った事だろう。
シン、と静まり返った店内で、俺は巧の胸ぐらを離して、机に置かれたレシートを手に取って立ち上がった。
唖然としたままの巧は、何も言おうとはしない。
「中途半端なそんな気遣いするような、そんな浅い付き合いじゃねぇだろ、お前と篠ノ井は」
「……なぁ、悠木。俺は間違ってるのか……?」
「知るか。ただテメェがやってるのは、俺にはただの独り善がりの自己満足でしかねぇって、そう見えるだけだ。あとはどうするか、テメェで決めろ」
それだけ言い残して、俺は会計を済ませにカウンターに向かった。
「はぁ、はぁ……。ゴチでした……!」
………………。
ブレない眼鏡のお姉さんにサムズアップで見送られ、俺は店を後にした。