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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第二章 幼馴染ペアの騒動
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#004 宝泉瑠衣の過去

 雨の降る窓の外を見つめながら、私――宝泉瑠衣――は取り残された部室でため息を吐いた。


「……嫌われちゃった、ですね」


 最近、ゆずさんと巧先輩の間に流れている空気がおかしい事に、私は気が付いていた。

 それじゃあ、と告げて立ち去って行ったゆずさんの顔が、今にも泣き出しそうな表情だった事に気が付いて胸が締め付けられるような気がしたけれど、それでも私は言葉を撤回しようとはしなかった。


 ――ずるい。

 私がゆずさんに抱いた感情は、ただそれだけだった。


 ありのままの『自分』を見てくれる存在を独り占めするかのように隣に居続けながら、なのにそれでも踏み出そうともしないゆずさんが――ずるい。


 ―うん、それだけじゃない。

 ゆずさんがあの頃の私と似ていて、見ていられなかったのかもしれない。


 だから私は、あんな風にゆずさんに宣戦布告する事にしたのだろう。






 ――――私の身体は、至って普通だった。

 むしろ運動神経も良くて元気な女の子だったと自分でも思う。


 そんな身体が、唐突に――突然、弱くなってしまった。

 小学五年生の頃――第二次性徴を迎えると同時に、私の身体は酷く不安定なものに変わってしまったのだ。


 風邪を引けば寝て治るというものでは済まず、体力が低下して長引いた。

 生活にも支障が生まれてしまった。

 少しでも体調に異変を感じたら、自分から申告して休まなくてはいけない。

 小さい頃から続けていた大好きなテニスも、満足にプレイする事はできなくなっていった。

 体育の授業も、ほぼ休みがちだったせいで、周囲からはサボっているように見られる事もあった。


 けれど、良くも悪くも私はどうやら容姿が整っているらしかった。

 その上病弱という弱い一面もあってか、中学校に上がる頃には、周囲の人間は私の事を守りたがった。


 男子は、接する度に下心が見えた。

 女子は、弱い私に構う自分に陶酔していた。


 それらは、あくまでも『自分』ではなく、『病弱で小柄な女子』に向けられた優しさなのだと私が気付くのは、それほど難しいものではなかった。

 自分を見ているのではなく、『病弱な子の世話をしている自分』を見ている周囲の態度は、まだ幼かった私の心を捻くれさせるには、あまりにも十分過ぎた。


 ――「私はお前達の玩具なんかじゃない。装飾品でもない。私は、私。なのに誰も、『私』を見てくれない……!」


 思春期という多感な時期だった事も相まって、私は自分の置かれている環境と周囲の上っ面の優しさに、孤独を強く感じていた。


 やがて気持ちは塞ぎ込み、なかなか学校にも行けなくなった。

 病は気からとはよく言ったもので、学校に行こうとすると、すぐに体調を崩してしまうようになったのかもしれない。


 それでも学校にはなるべく通うようにしていたのは、お父さんとお母さんの影響だと思う。

 私が休んで、体調を崩す度に心配そうに表情を曇らせる。

 そんな姿を見たくなかったのだ。


 徐々に、確実に。

 自分の居場所が、本当に心から落ち着ける場所がなくなっていく。


 そんな中で、徐々に私は変わってしまった。

 中学二年生になった頃――巧先輩と出会う頃の私は、今の私から見てもどうしようもない子だったと、思う。


 自分の病弱な体質と優れた容姿を利用し、周囲を操るようになったのだ。

 人心を掌握する(すべ)を手にした私は、間違った方向に増長していった。


 人なんて、そんなものだ。

 私を人形のように使うなら、その代わり私の為に動いてもらおうじゃないか、と。

 あの頃の私は、そんな風に物事を考えて、自分を正当化するようになってしまった。


 周囲を自分の意のままにコントロールする私に、周りは特に不満を抱かなかった。

 要領の良さと、奇しくも私が嫌っていた、周囲が抱いている自己満足のおかげか、周りの人達は我儘を言う私に嫌悪という感情の牙を剥くには至らせなかった。


 そんな中学二年生の秋――文化祭の準備中、

 私は少し休みたいと告げて、準備中の教室からたった一人でエスケープした。


 空いていた教室に入り込み、ドアを閉めて近くにあった椅子に座り込む。

 体調が崩れつつある予兆はあった。

 それでも、家で両親が表情を曇らせる姿を見るぐらいなら、学校で周りを利用して休んでいる方が気持ちは遥かに楽だった。


 体調が急変したのは、必然だと言えた。

 誰もいない教室に入り込み、緊張の糸が切れてしまったのだ。

 咳き込みながら、朦朧とする意識の中で廊下に出ようとするが、身体に力が入らない。

 普段ならこぞって心配してくれる周囲の生徒も、探しになんて来てくれない。


 それもそうだ。

 無理について来ようとすれば、私は自分からそれを困ったような態度を取って、自ら敬遠してきたのだ。

 一人の時間がほしいという、我儘の為に。


 どうしようもなく滑稽だと、苦しみながら私は小さく呟いた。

 もしかしたらこのままここで、ひっそりと死ぬんじゃないだろうかと。


 そんな時だ。

 扉が開かれ、誰かが入ってきた。


 ――――あぁ、助かった。

 そう感じ、安堵から気を失った私は保健室に運ばれ、そこで目を覚ました。



 目の前に座っていたのは、自分をここまで運んでくれた冴えない少年だ。

 上級生である事は、学ランについていた校章の色が物語っている。

 どうしてあんな所で倒れていたのかと訊かれ、私は答えた。これまで通りに。


 自分の身体が弱くて、周りに迷惑をかけたくなかったから、一人でいた、と。


 こう答えれば、目の前の冴えない男も自分に同情する。

 いつも通り。手慣れた人心掌握術を披露する。

 可哀想な自分を強調する事で同情させようという、いかにも稚拙な心算で。


 ――しかし返ってきた答えは。


「何だそりゃ」


 そんな言葉を告げられた事など、今まで一度もなかった。

 思わず目を丸くした私に、少年は語った。


 自分の幼馴染の話だった。

 細かい話はされなかったが、少しずつでも変わろうとしている幼馴染がいる、と。

 とても目に見えた進歩はないけど、それでも頑張ってる幼馴染がいると。


「そいつはさ、変わろうとしてる。ゆっくりだけどな。だから、お前も自分で変わろうとしなきゃダメなんじゃねぇの?」


 嫉妬、だったのかもしれない。

 自分にはそんな風に見てくれる存在はいなかったのだ。

 目の前の少年に対してではなく、その幼馴染に、私は嫉妬したのだ。


「何よ、それ。知った風なこと言っちゃって。そんな事言ってるけど、ホントは幼馴染の世話をしてる自分が好きなんでしょ」


 思わず口を衝いて出た言葉。

 目の前の男子を責めるつもりはない。むしろ感謝しているぐらいだ。

 それでも、自らの口を突いて出た言葉は辛辣なものだった。


 しかしその男子はきょとんとした後で答えた。


「あー、そういう考えもあるか……。確かに、あり得るかもなー」


 その答えを聞いて、私の中に芽生えた僅かな後悔の念は消え去った。

 やっぱり。

 そう落胆した私は、吐き出すように本音を吐露した。


「そうでしょ。『幼馴染の世話をしてる自分』が好きなだけ。『幼馴染自身』なんて興味ないのよ。偽善者になりたくて、周りに良い顔してる自分が好きなだけよ……」

「……んー、それはちょっと違うかな」


 年下の後輩に、しかも助けた相手に罵倒される少年。

 それでも少年は怒りもせずに、しばし考え込んで否定を告げる。


 何もかもが、苛立つ。

 自分の思い通りにいかない。

 私はギリッと奥歯を噛み締め、そして再び口を開いたのであった。


「何が違うのよ! 私の周りだってそうよ! 『私』がこんな事思ってるなんて知りもしない、知ろうともしない! だから私は、それを利用する! アイツらが良い顔する。私は楽が出来る。これでお互いに成り立っているだけ!」


 一度堰を切った感情は止まらなかった。


 だが、少年はそれを聞いて。

 私の額にデコピンした。


「へ……?」

「確かに言いたい事は分かる。けどお前さ、辛いんなら辛いって言えばいいじゃねぇか。周りが求めるから自分もそれに合わせて、利用して。それで結局自分で苦しくなってるんだろ? 自分の首絞めてるだけじゃねぇか」


 少年の言葉は、あまりにも的確な言葉だった。


「そんなの……! そんなの今更出来る訳、ない……! 今さら私がそんな事言って、本音を言ったりしたら、嫌われる……」

「だったら、せめて俺の前ではそれをやればいいじゃねぇか」

「え……?」

「練習だよ、練習。俺で良ければ付き合ってやるし、今さらおかしな芝居しなくて済むだろ?」

「な、何を言ってるのよ……! アンタに関係ないじゃない……ッ!」

「いや、もう知っちまったし、関係ないって事はねーだろ……。とにかく、もうそんなバカな真似すんなよな。これからはその度に、今のデコピンの刑だからな」


 その言葉を聞いて、思わず泣き出してしまいそうだった。

 「これからは」と、そう言ってくれたのだ。


 目頭が熱くなり、思わず私は布団を被り、顔を隠した。

 布団の向こう側で、小突いたのが痛かったのかと慌てふためく少年の声を聞きながら、泣きながら笑った。


 もちろん、私が泣いたのはそのせいじゃない。

 その布団の向こう側で慌てふためいた、決して冴えない男子。

 そんな彼が告げた言葉は、今までずっと私が求めてきた言葉だったから。


 本当の『私』を知ろうとしてくれる言葉だったから。


 ――この人なら、『自分』を見てくれるんじゃないだろうか。

 捨てたはずの希望を、私は再び胸に抱いたのであった。




「……名前」

「は?」

「私、宝泉瑠衣、です」

「あぁ、瑠衣な。俺は巧。風宮巧だ」

「……よろしく……です」

「おう」





 やがてその感情は、恋へと変わっていった。






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