#002 後輩 『宝泉 瑠衣』
悠木がゆずを連れて、屋上に向かった。
買い出しとは言っていたけれど、多分俺――風宮巧――とゆずの間にあった違和感を確認するっていう意味もあったんだろうけれど……俺には何かを言える立場じゃない。
ゆずを拒絶するような言葉を口にしたのは、他ならぬ俺だから。
それがゆずの為であるけれど、きっとゆずがそういった俺の本心に気付いてくれるのは、もっとずっと未来の話だと思う。
そんな事を考えていたからか、正直に言えば――今の状況には困惑している。
「お久しぶりです、先輩!」
「あー、うん。久しぶりだな、瑠衣」
茶色がかった髪を、レース編みされたリボンでサイドテールに纏めている小柄な少女。
くりくりとした丸く大きな瞳と明るい声の、一人の後輩。
彼女の名前は――宝泉 瑠衣。
俺とゆずと同じ中学校出身の後輩に当たる少女だった。
彼女が突然やってきたという今の状況にも驚いたけれど、いかんせん瑠衣とゆずはなんというか、あまり仲が良くない。
まぁ言い合いできるっていうのはゆずにはいないタイプだし、実は仲がいいんじゃないかと密かに思っているんだけれども。
そんな風に考える俺を他所に、瑠衣は辺りをキョロキョロと見回した。
「あれ、ゆずさんはいないんですか?」
「あぁ、今は同じ部の仲間と食堂に買い出しに行ってるよ」
悠木が告げてきた方便をそのまま瑠衣に告げると、瑠衣はその大きな目をぱちぱちと瞬きして、小首を傾げた。
「……ゆずさんが先輩以外と、ですか?」
「あはは、やっぱ俺とゆずはいつも一緒にいるってイメージか?」
そうだろうと当たりをつけて、敢えて訊ねてみたつもりだったけれど――瑠衣から返ってきた答えは、そんな俺のイメージ以上に鋭い指摘だった。
「んんー、というより、ゆずさんは巧さんと一緒じゃないと、いつも一人でいるような気がするですよ」
そう言えば、中学時代のゆずはそうだったかな。
ゆずは明るく振る舞う事で周囲に対して、一定以上を踏み込ませない壁を作り上げるという、少しばかり無理をしながら周囲との関係を保っていた。
そんなゆずの本質に気付いていたのは俺だけだと思っていたけれど……どうも瑠衣もそれに気付いていたらしい。
思わず驚きに目を瞠る俺に、瑠衣が相変わらずのペースで続けた。
「一年。たったそれだけで、よくそこまで変われたですね」
「ちょっとずつだけど、な」
「……なら、先輩。私も先輩との関係に、変化を求めたっておかしくないですよね」
「ん?」
俺と瑠衣の関係って言ったって、仲のいい先輩後輩の関係じゃないのか?
それ以外には特にないけど――と口にしようとしたところで、瑠衣が呆れたようなため息を零した。
「……もう。せっかく光明が見えてきたと思ったのに相変わらずですっ。変わって欲しい所はすっかり残ってるなんて、理不尽過ぎるです……」
「……? 何怒ってんだ?」
瑠衣のそういう怒り方もそうだけれど、ゆずもたまにいきなり怒り出す時があるんだよな……。
俺が悪いのかって問い詰めても答えてくれないのは、一体何故なんだろうか。
◆ ◆ ◆
「それで、ヤンデレコントローラーこと悠木くん。やっぱり篠ノ井さんと風宮くんの間で、何かあったのは間違いなさそうなのね」
「甚だ不本意な渾名を即刻取り下げて欲しいのは今も変わらないが。まぁ間違いなく。内容が内容なだけに、ちょいと面倒そうだが……」
雪那と一緒に部室に向かいながら、先程の篠ノ井の発言を改めて説明する。
途中まで篠ノ井を宥める方法を発覚させた事に雪那は笑っていたが、そんな雪那も巧の行動を聞くなり柳眉を寄せていく。
「……それって、むしろ風宮くんがゆずさんっていう親から自立しようとしているって感じね……」
「まぁ、篠ノ井の過保護というか溺愛っぷりから考えりゃそう聞こえるな。ただ、そうする事で、篠ノ井から離れようとしてるって所なんだろうけどなぁ。しっかし何で唐突にそんな事するのかね……」
俺にとっては面倒な話だ。
せっかく、激動の一週間を終え、なんだかんだと巧と篠ノ井を一緒にして落ち着かせようと試みてきた。
それから一ヶ月経った今になって、今回のよく分からない騒動だ。
あのフラグブレイカーの問題が落ち着きさえすれば、俺だってもうちょっと自分の為に時間を尽くせるってのに。
でも雪那が来てからは、以前程の不快感はない。
美少女と話す機会が増えて楽しくなるとは、我ながら実にちょろい。
「篠ノ井さんと風宮くんの仲を引き裂こうとする第三者が現れた訳でもないし、放っておくのが吉なのかもしれないわね」
「おいやめろ。そういうフラグをここで立てるんじゃねぇ」
「あら、こんなのがフラグになるなんて、それこそゲームの中ぐらいじゃない」
そりゃそうだ――とか思いながら部室の扉を開けたら。
「お、やっと来た。悠木、櫻さん。コイツ、一つ下の後輩で宝泉瑠衣。『読書部』に入りたいんだってさ」
「宜しくお願いします!」
……………………。
「なぁ、雪那。言っておくけどこのフラグ立てたのは雪那だぞ」
「えぇっ!? ま、まださっき言った通りのキャラかどうかは分からないじゃない……! とりあえず悠木くん、そんな目で見ないでくれるかしら……! その、私に全責任を背負えと言わんばかりの目を……!」
思わずいつもの調子で雪那とフザけつつ、チラりと篠ノ井へと視線を向ける。
まさか病みモードが発動しているんじゃないかと思ったが、篠ノ井は新登場の後輩キャラを見て――引き下がったような、控えめな印象を表に出していた。
俺が篠ノ井と最初に出会った頃と同じな、どことなく偽物みたいな笑みを浮かべて立っている。
「あの……」
「あぁ。ごめんごめん、宝泉さんね。よろしく。俺は永野悠木」
「私は櫻。櫻雪那よ」
「宜しくお願いします、永野先輩! 櫻先輩!」
ふむ……先輩、か。
実に甘美な響きではないだろうか。
男に言われたらなんとも思ったりもしないが、何とも庇護欲に駆られる小柄な女の子にそんな言葉を言われると、何故か守ってあげなくてはいけない気がしてくる。
「ごめん、ちょっともう一回俺の事を呼んで……いえ、何でもないです。何でもないですから雪那さんや……! ちょ、ちょっとその足を退けて下さい……!」
思い切り踏まれた。
「馬鹿な事言ってないで、悠木くん? さあ、席に座りましょうか」
「席に座る前に保健室に行きたいんですが……! いえ、なんでもありません」
俺はいつもの定位置へと腰掛け、机に並べられた四つの椅子に四人が座る。
巧と篠ノ井。宝泉さんと雪那が並んで、今は巧と宝泉さんがこの学園に慣れたかなどと、当たり障りのない会話をしている。
四人があっちに座っていると、まるで俺だけがハブられたみたいだ。
そんな妄想で俺の心が軽く傷ついた。
「それで、どうしてこんな時期に『読書部』に?」
話題が入部の理由について、に切り替わったのだが……。
やっぱり篠ノ井は、ちょっとおかしい。
さっきから笑顔を浮かべたまま、あまり表情を変えない。
……能面か何かじゃないんだから、あの薄ら笑いは少し怖いんだが。
「私、元々はテニス部に入ってたですよ。でも、身体が弱いせいで練習について行けなくて……。他の部も見てきたですけど、運動部以外だと知り合いも少なくて……」
「もともと病弱だったもんな」
巧が相槌を打って頷いた。
「はい。私一般入学ですし、急いで他の部活決めなきゃいけなくて、今日も部活探ししてたです。それで偶然ここを覗いてみたら、巧先輩がいたですよ! これはもう、是非ここにって思ったですよ!」
「そっか。まぁ何するって訳でもない部活だけど」
「そこは巧先輩とゆずさんがいるから大丈夫なのですよ!」
「よろしくね、瑠衣ちゃん」
「はいなのです、ゆずさん!」
成る程。
一般入学なら、否応なしに部活に入部しなくてはならない。
確か、一般入学生徒は退部から一ヶ月以内に他の部に所属しなきゃいけないんだっけか。
そんな中で『読書部』を偶然見つけたと宝泉さんは言う。
巧を追って来たという訳でもないし、雪那のフラグは不発か? ――とも思わないでもないんだが、篠ノ井の表情は気になるんだよな。
そんな事を気にしていると、俺のスマホにメールが届いた。
送り主は巧だ。
「……ちょっとトイレ行って来るわ」
「あぁ、じゃあ俺も行って来る」
俺に同調するかのように、巧が立ち上がる。
スマホを通してわざわざ連れションさせるシチュエーションを作らせておきながら、俺のついでとばかりに動こうとは。
……少し意趣返ししてやろう。
「まったく。まだこの学園のトイレに幽霊が出るって噂が怖いのか?」
「え!? ちょっ、何その前から俺がトイレを怖がってるみたいな言い方!」
「せ、先輩……?」
「違うから! 変な誤解招く事言うなよ、悠木!」
「こ、こここ、この学園のトイレ、出るですか……?」
……………………。
ただ一人、カタカタカタと身体を奮わせる宝泉さんが顔を青くして訊ねてきた。
「……最低だな、巧。後輩を怖がらせるなんて」
「えぇッ!?」
「ホント、そういう人だと思わなかったわ、巧くん」
「何で櫻さんまでそうなるの! ねえ、なんで!?」
なんでって、雪那は案外そんなヤツだぞ。
割りとノリが良く、割りとサディスティックな一面を持っているのが雪那のデフォだと俺は知っているのだ。
ともあれ、冗談だという事ぐらい分かっているのだろう。
あの宝泉さんはともかく、俺が巧を置いていくかのように部室を後にして廊下を進めば、遅れて巧もやってきた。
ついでとばかりにトイレに向かう。
「それで、なんで急に呼び出したんだよ。言っておくけど俺にそっちの趣味はねぇぞ」
「そんなんじゃねぇよ……。って、ホントは悠木も気付いてるだろ」
トイレで小便器の前に、一つ空けて並び立つ俺達。
男子ならではの会話の光景だ。
真横に並ぶとか、ちょっと気持ち悪いという感覚。
「……篠ノ井か?」
「やっぱり気付いてたんじゃねぇか」
「まぁ、あんな能面みたいな顔してりゃ気付くわ」
表情がほぼ動かない姿を見てれば、そりゃ気付く。
一年ぐらい前も、時折あんな顔をしてる事はあったけど、あんな気味の悪さを感じる程ではなかった。
「……ゆずはさ、ちょっと厄介な事情を抱え込んでてさ」
「え、ちょっと待って」
「え?」
「重くて長い話なら、トイレでしたくないんだけど。連れションどころの騒ぎじゃなくなるんですけど」
「え、あ、確かにそうだな」
連れフンだと思われたらたまった物ではない。
ここは一つ、謎の親友キャラ的な、全てを見通したかのような助言を与えておこうじゃないか。
と言うより、篠ノ井に気付け。
じゃなきゃ俺が危ない。物理的に。
「……そんな事より巧」
「え?」
「お前、何を考えて篠ノ井を突き放すような真似してるのかは知らんけどな。そんな事してたら、いずれ後悔するぞ」
「……ッ」
俺は颯爽とそう言い残し、巧に背を向けて手を洗い、部室に向かって戻る。
今の俺、マジで親友キャラ。
後悔。そう、後悔する事になる。
……血の雨とか後悔しない訳がない。