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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第一章 二人の美少女
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#009 雪那は過去を語る

 結果として、俺と雪那が篠ノ井らとその日に合流する事はなかった。

 なんだかんだで雪那とは連絡を取り合っていたみたいだが、特にこれといって篠ノ井から救援要請が届くような事もなく、俺と雪那は寮の門限――二十時を迎える前に帰宅する事になった。


「楽しかったー」


 俺の前を歩く雪那が満足気にそんな言葉を口にした。


「やっぱり俺達が行った意味はなかったな」

「……もう。悠木くんも意外と風宮クンに負けず劣らず、空気を読めないのかしらね」

「え?」


 雪那が振り返り、俺の顔をまっすぐ見つめて立ち止まった。

 この数日一緒にいるおかげか、見慣れてきた整った顔立ち。それでもこうしてまっすぐ見つめられると、俺の心拍数は上昇の一途を辿る訳で、気が気でない。


「デートできたんだから、行った意味がなかったって事はないでしょ? そういうデリカシーのない言葉は、あまり良くないわ」

「あ、あぁ、そっか。ごめん」

「ん、素直でよろしい」


 まったく。

 こういうやり取りをするのは憧れだった。むしろ大歓迎だ。


 ――なのに、どうしてこんなに浮かれられないんだろうか。


 いつもの俺ならではのキレがない、とでも言うべきだろうか。

 巫山戯た言葉も浮かんで来なくて、調子が狂う。

 こういうのは俺らしくないのに、雪那に調子を狂わされている。


「どうしたの?」

「あ、いや。別に何でも。ただちょっと、俺の青春の一ページ新たに刻まれたという感動を噛み締めていてだな……」

「……? そう?」


 キレのない俺の言葉に小首を傾げた雪那は、再び俺に背を向けて数歩先を歩き出した。


「明日から、また一週間が始まるのね」

「うん」

「月曜日って憂鬱よね。水曜日が休みなら良いのに」

「あぁ」

「……悠木くん、聞いてる?」

「あぁ、聞いてるよ」

「そう? 心ここにあらずって感じよ」


 むっと顔を顰め、雪那が再び振り返る。

 俺に向かって歩み寄ると、また雪那が俺の手を引っ張った。


「お、おい……」

「ちょっと来て」


 勢い良く、俺の手を引っ張って雪那が歩き出した。


 月の光に照らされた夜道をしばらく歩き続ける。

 何度も何処に行くのかと訊ねてみるものの、雪那は「いいから来て」の一点張りで、行き先を一切告げようとはしなかった。


 この街は、駅前から閑静な住宅街を抜けると、途端に人口密度が下がった閑散とした田舎のような印象を受ける。


 雪那に連れられて来た場所は、住宅街から学園にほど近い、小さな川のほとりだった。

 月明かりが、ゆっくりと流れる川の水面にきらきらと光を散りばめ、静かな川のせせらぎが、静寂の中に響き渡る。


「……あ……」


 足を止めていた俺と雪那。その声を発したのは、俺だった。

 俺はこの川を知っている。


 ――今も覚えている。


「ここはね。私が小さい頃から好きだった場所。何度もここに遊びに来たわ」

「……俺も知ってる。ここ、知ってるよ」

「……そう、よね……」


 雪那は俺の呟く言葉に少しだけ反応して、俺を置いて川へと向かって歩み寄った。

 大小様々な石で敷き詰められた川辺を慣れた様子で歩いて行って、そうして雪那は再び口を開いた。


「私と篠ノ井さんはね。昔は仲が良かったの」


 ぽつりぽつりと、雪那は語る。


 ――――大手化粧品メーカーの社長令嬢。

 そして、そんな化粧品メーカーで働いていた父を持った篠ノ井。


 彼女達二人が知り合ったのは、親同士の付き合いからだった。

 当時は家族でこの街に住んでいた雪那は、篠ノ井家に住むゆずと同い年という事もあり、よく顔を合わせるようになったのだ。

 躾に厳しい家柄の雪那とは対照的に、天真爛漫な少女そのものだったゆず。


 当時は、ゆずに雪那も振り回されたのだと雪那は笑いながら過去を振り返る。


 そんな、ごく平凡な、それでいて幸せな過去。

 幸せな過去は、あっさりと、大人によって壊されたのだと雪那は続けた。


「篠ノ井さんのお父さんはね、お父さんの会社とは違う会社から引き抜き――いわゆるヘッドハンティングされていたらしいの。しかも好条件・高待遇でね。いくらお父さんと篠ノ井さんのお父さんとの仲がいいとは言っても、仕事の評価やお金については差別も優遇も出来なかった。そんな時よ。悪い事が、次々と重なったの」


 雪那は当時の事を語る。

 俺はそんな雪那の言葉を、ただ黙って聞いているしかなかった。


 篠ノ井の父親は、当時多くの負債を抱え込んでいたらしい。

 新築の住居や、それに伴う出費の数々。

 一見すれば裕福そうに見えたとしても、その実多くの借金にまみれている事は決して珍しくはない。そんな多分に漏れず、篠ノ井の家もそうだったらしい。


 そこで篠ノ井の父親は、ヘッドハンティングに応じようとしたのだそうだ。

 雪那の父親が経営する会社の、新製品の情報や製法などを盗んで、それを手土産に。


「……は?」


 俺は唐突に告げられた現実に、情けない声を漏らした。

 それでも雪那は続けた。


「そうなるのも無理はないわ。仲が良かった篠ノ井さんのお父さんが暮らしの為に職場を変えると言うなら、お父さんもきっと笑顔で見送ったでしょう。でも結果として彼がやった事は、裏切りだったの」


 月光に照らされた川を見つたまま。

 後方に立った俺に振り返る事もなく、雪那は告げた。


 親しい間柄であっても、仕事の情報を盗んだとなれば放っておけるはずがなかった。

 もちろんこれが、雪那の父親だけで考え、新製品の作成に至っていたなら、餞別にと笑って許す事も出来たかもしれないが、そうではないのだ。

 他の社員達を守る為にも、これには雪那の父親も断固として抗議し、ついには裁判沙汰を起こす寸前にまで問題は膨れ上がったのだと言う。


「でも、裁判には至らなかったわ」

「……解決したのか?」

「……言い方次第では、解決とも取れるでしょうね。篠ノ井さんのお父さんが、首を吊ったのだから」

「……マジ、かよ……」


 それは、あまりに――重すぎる。


「良心の呵責。裏切りの重圧。それらは人の心をあっさりと押し潰してしまうのだと、幼いながらに悟ったわ。そして人の死も、あっさりと訪れるものだとも」


 雪那は俺に背を向けたまま、告げた。


 篠ノ井の父親が亡くなった後、櫻家はこの街を出て行ったらしい。

 というのも、同じ町に自分達が住んでいれば、残された篠ノ井の母と篠ノ井自身にとって、あまりに肩身が狭かろうという雪那の父親の判断だったそうだ。


 篠ノ井の家族には親戚と呼べる親戚がいないらしく、頼れる相手も行き着ける先もなかったのだそうだ。これは酒の席で、雪那の父親が篠ノ井の父親から聞いた事だった。

 一家の経済力としても余裕があった雪那の父親が、せめて残された篠ノ井らの為に気を遣った。


 ――――そうして、雪那と篠ノ井家の因縁は、一度は完全に終わりを迎えたのだそうだ。


「――そうして、私が『読書部』に訪れるまで、篠ノ井さんと私の因縁は消えていたの」

「そんな関係って……」

「えぇ、凄く重くて、苦しい繋がり。それでも篠ノ井さんが私をゆっきーって愛称で呼ぶのは、きっと気持ちの整理がついていないからでしょうね。過去と、現在の」


 なんとなく、なんとなくだけど。

 雪那が言わんとしている事は俺も理解が出来た。


 だから、なのだろうか。

 思い返したのは、雪那に対する篠ノ井の罵倒の言葉。


 ――『泥棒猫(・・・)』。


 俺はてっきり、それは巧を取ろうとする相手へと向けられた罵倒だと思っていたけれど。

 本当は、父親を奪った雪那達家族へと向けられた、篠ノ井からの恨み言……?


「……雪那。お前の目的って本当は……」


 ――篠ノ井と巧をくっつける為に、煽りに来たのか?


「いいえ。悠木くんの行き着いたそれは当たりであって、外れよ」


 そう言おうとした俺の言葉を、雪那は理解した上で、一蹴した。

 俺はてっきり、雪那は篠ノ井と巧をくっつける事で罪滅ぼしでもしようとしているのかと、そう思ったんだ。


「私は同情こそすれど、それ以上の感情なんて抱かなかったわ。それに、その一件はもう終わった問題だもの。何も私には関係ないし、篠ノ井さんにも関係のない事よ」


 ぴしゃりと言い放つ。

 当事者ではないのだから、関係ないのだと。


「むしろ私も、あの一件のせいで、裏切って(・・・・)しまった(・・・・)のだから。それは変わらない。変えたいけど、変えられない過去だもの」


 背中を向けて、肩を震わせて。

 銀色の光を煌めかせる水面を向こう側に、浮かび上がった雪那のシルエット。

 肩が、僅かに震えていた気がした。








 ――――俺は未だ気付いていなかった。

 

 俺達四人が、高校に入るよりずっと前から繋がっていて。

 そして、あの時の間違いを今更ながらに正そうと、引かれ合って集まったのだと。








 高校生活二年目。

 春のうららかな日々。穏やかな日常。


 激動の一週間は――――。


 二人の美少女の存在によって、俺の平穏と共にあっさりと。

 それぞれの気持ちを僅かに。それでも確実に揺り動かして。


 ――――終わりを告げた。


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