#005 『神楽夜魅』
「解せぬ」
春休みが終わり、新学年が始まって3日が過ぎた。
その日、俺は学園の会議用に設けられた一室に、多くの部の部長らと共に招集をかけられた。
新入生歓迎会の詳細を詰める会議が行われるのだ。
「何が気に喰わないの?」
「一つは俺がここにいるというそのものだが……――」
真横に座っていたレイカに嘆息して答えた後、レイカを横目で見やる。
「――もう一つは、なんでよりにもよって、お前の隣に配置されているか、という点だ」
「あら、いいじゃない。私とユーキの仲がいいってアピールしておいた方が、読書部としてもメリットは多いはずよ?」
「メリット、ねぇ……」
教室の中心を空けるように四角く並べられた机に座る、それぞれの運動部の部長連中。そのほとんどが女子生徒である。
女子の集団力を前に、男子のヒエラルキーが最下層に追い込まれていた聖燐学園において、今まで男子が部長として運営できている部活はあまりにも少ない。
特に運動部では、女子の集団に入って「うはっ、俺一人だけ男子とかそれどんなエロゲ」なんて期待を胸にしていた男子も雑用を押し付けられるだけである。世の中、そんなにうまい話なんてあるはずない。
ラッキースケベを誘発した日には、他の女子からも軽蔑の視線に曝されるだろう。
実際、それを狙ってやったんじゃないかと騒ぐ生徒が一人でもいれば、それだけで学校に於ける社会的抹殺が噂となって駆け巡りかねない。
……俺はそんな命懸けの状況に、絶対に飛び込みたくはない。
どうみてもアンラッキーでしかないだろ。
だが、それも今年からは少しずつ変わる。
スケベ云々ではなく、部の在り方が、だ。
今年から、バスケットやテニスなどの既存の部活に男子部が出来るという話は聞いている。
去年までは女子の集団にぽつんと男子が混ざり、男子もようやく男臭い集団の中で羽を伸ばせるというわけだ。
とまぁ、それはさて置き、だ。
生徒会長、生徒会書記、その反対に俺という謎の布陣を作り上げた俺には、先程から視線が突き刺さっている気がしてならない。
そもそもここに本来座るべきはあの鈍感系主人公の巧であったはずなのに。
もしアイツがここに座っていれば、突き刺さる視線すらスルーするのだろうか。
そのスルー能力を俺にも寄越せ。
「――さて、新歓の打ち合わせを始めます」
部長連中が全員集まったのを確認して、レイカが口を開き、段取りを説明していく。
新歓は一年生を体育館に集め、舞台の上から部活内容を発表しつつパフォーマンスを行ってみたりと、内容は多岐に渡る。
某有名な軽音部ならば曲を演奏してみたりという手もあっただろうが、俺達に何をしろと言うのか。読書部(ライトノベルに限る)というカッコ書きが入る俺達は、正統派な部活紹介をするだけに留まる、かもしれない。
もしかしたら、神楽さん辺りが何かやりたがるかもしれない、か。
一応新入部員である彼女にも意見を訊くべきなのだろう。
「私達バスケットボール部は、トランポリンを使ったアクロバットプレイを練習してます」
なにそれ見たい。
バスケのゴールにある枠――ゴールボードと言うらしい――に、トランポリンで飛びながら当てて後方にパスをして、最後の一人がダンクするというあれを練習しているらしい。
元お嬢様学園なのにずいぶんとアクティブなネタを突っ込んできたものだ。
他には特にイロモノ系と呼ばれるような発表はなかったので、ごくごく一般的なネタに留まった。
やはり演劇部は劇の練習をしていたらしく、軽音部はバンドをやるとか。
捻りが足りない。
まぁ読書部には捻るも何も、何かをする要素すらないのだが。
「それで、ユーキ。読書部は何をしでかすの?」
「しでかすなんて人聞きの悪い事を言うな。俺達は普通に部の紹介をするだけだ」
《えっ?》
「いや、意味判らん。なんで全員で「まっさかー」みたいな反応してんだよ」
ざわっと騒然とする室内の反応にツッコミを入れて、時間の調整などを進めたレイカによって最後は締め括られた。
次々に教室を後にする部長連中に続いて俺も立ち上がろうと机に手を当てたところで、レイカが声をかけてきた。
「ねぇ、ユーキ達は本当にただの勧誘しかしないの?」
「やりようがないからな」
「ほら、読書部なんだから朗読とか……」
「字面に書かれた効果音を読むとか、なんとなく中二病な主人公のセリフを口にしろってのか? それどんな公開処刑だよ」
ズシャッ、とかバキッとか。
可哀想な子を見る目で見られるだけの公開処刑じゃねぇか。
俺が言わんとする意味を理解したのか、レイカも顔を引き攣らせていた。
「た、確かにそれはちょっと厳しいわね……。
そういえば、読書部ってその、ライトノベル? そういう本しかないの?」
「まぁ著名人の本なんかもあるにはあるけど、9割はラノベだな」
しかも女性向けばかりが蔓延していた、とはレイカも知らないだろう。
読書部が通称薔薇部と呼ばれていたという過去を、レイカが知るはずもない。
まぁこれは篠ノ井からちらりと聞いた逸話だったんだけど。
「あぁ、そういえば一人、ウチに入部した生徒がいるぞ」
「えっ、今の時期に? 2年生の生徒?」
「あぁ、神楽夜魅っていう中二病の……」
そこまで言って、レイカが突然立ち上がって俺の腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと来て!」
「へ、なんだよ、急に」
「いいから!」
突然腕を引っ張られて、俺は周りからの唖然とした視線を受けつつ外へと引っ張られ、拉致が決行された。そんな品行方正なレイカらしくない行動に目を剥いた他の連中の困惑ぶりを見て、俺の口から思わずため息が漏れる。
レイカは外国人の血を受け継いでいるせいかやたらと目立つ容姿だ。
その周囲の注目を利用しているのも事実だが、レイカは妙なスキャンダルを避けているのか、一人の生徒に執着する様子を見せようとはしない。
差別も隔たりもなく、誰に対しても同じ顔をして喋ってみせている、とでも言うべきだろうか。当然、そんなレイカが腕を強引に引っ張るような真似をすれば、何か妙な噂が生まれかねない。
そう思うとため息だって出るもんだ。
レイカらしくない強引ぶりに巻き込まれつつ、その後ろを進みながらつらつらと考えている俺は、レイカに腕を引かれたまま生徒会室へと足を踏み入れた。
相変わらず高そうな絨毯が鎮座してやがる。
「……やっちゃった」
我に返ったのか、俺に背を向けたまま机に手をついて、レイカが呟いた。
「まぁ、俺が問題発言して怒って連れ回したってことにでもしておけよ」
「そんな事すれば、ユーキにまたおかしな噂が立つじゃない」
「お前におかしな噂が立つよりはよっぽどマシだろ。お前はこの学園で色々やってる生徒会長様なわけだし」
そう言われては言い返せないのか、レイカがむぅと少し不機嫌そうに眉根を寄せると、気持ちを切り替えたのか小さくため息を吐いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら?」
「おう、貸し一な」
「……そこは気にすんなとか言うべきところじゃないかしら」
「…………キニスンナ」
「いいわよ、もう。借りておくわ」
明らかな棒読みと不服ぶりをたっぷり含んだ俺なりの謙遜はいらなかったらしい。
美少女に貸しを作るなんて、なんとなく得した気分である。
レイカ相手じゃなかったら貸しだなんて言い出そうとはしなかっただろうけども。
「それで、ウチの新入部員とはどんな関係なんだ?」
「……そりゃ、気付くわよね。あれだけ取り乱したら」
「まぁ、それ以外に考えられないのは確かだな」
神楽夜魅。
新しくウチの部に入ってきた中二病少女が原因で取り乱したレイカの態度を見る限り、何か因縁とはいかずとも、思う所があるのは確かだ。
「……ねぇ、ユーキ。あの子を――助けてあげて」
「は?」
予想だにしていなかったレイカからの言葉に、思わず声が漏れた。
――――ただの中二病少女と思われた読書部の新入部員である、神楽夜魅。
レイカから聞かされた彼女の過去は、少しだけ俺が味わってきた過去と似た部分があって、見過ごせないものであった。
◆ ◆ ◆
「それじゃあ、また明日ですよ、夜魅ちゃん」
「ん」
ふりふりと手を振る、同い年の同級生、宝泉瑠衣。
名前で呼び合いたいと言われて、私――神楽夜魅――は夜魅ちゃんと呼ばれ、私はちゃん付けして名前を呼ぶのが恥ずかしくて、瑠衣とそのまま呼び捨てにする。
友達になりたいけれど、私とあの子はまだ同級生でしかない。
それは多分、私自身のせい。
一室4LDKのデザイナーズマンション。
指紋認証システムを使ってエントランスを抜けて、エレベーターで自室のある階へと向かう。
「……ただいま」
家には誰もいない。
珍しくもなんともない、私にとっての日常。
もちろんこれが一人暮らしだったなら、いちいちこんなこと思わない。
住所は一緒で帰る家はここなのに、この家に誰かがいる方が珍しい。
一応、私も特待生として学園に入学した。
通える距離じゃなければ寮に入れたのに。
無理にでも向こうで暮らすべきだったのではないかと、最近はそう思いつつある。
リビングに寄って飲み物を取り出し、そのまま自分の部屋に戻る。
机の上に鞄とコップを置いて、ベッドに身体を投げ出してテレビを点けてチャンネルをポチポチ変えて、結局DVDに変更する。
――――ふと思い出して指を動かしてみる。
久しぶりにピアノを弾きたい、とは思わないけれど、指が動くかどうかを確認してしまうのは、小さな頃からの癖。
アニメのオープニング曲を聴きながら、つい頭の中の真っ白な譜面に音符を描いてしまう。
借りておいたアニメのオープニング曲を聴きながら、ちらりと本棚を見る。
ライトノベルにコミカライズされた本、フィギュア。
色々と集めてきたけれど、まだまだ足りない。
表彰楯にトロフィー、額に入った表彰を隠すには。
……抜け切れない感覚。
どれだけラノベやアニメに嵌ってみても、まだ足りない。
どうしても思い出してしまう。
世の中は理不尽。
願ってもないことばかり起きて、人を苦しめる。
ただ日常を享受して幸せに――淡々と日々を過ごせるだけの人間はいっそ幸せだと、私は知っている。そんな日々を退屈だ、なんて言えるのはそういう人間だけで、苦しいとか辛いとかって考えている人間には、退屈なんて言葉は出てこない。
私が悩むのもそれと同じで、他人には絶対に理解されないもの。
軽々しく理解したフリをされるのは、きっと赦せない。
そうやって殻に閉じこもって、大人から見れば「そんな事で」と吐き棄てられかねない苦しみでしかない。
――あぁ、気分が落ちていく。
アニメやラノベ、小説に創作物は偉大だ。
こういう気分を忘れさせてくれる、夢中になれる世界がある。
現実逃避だと笑いたければ笑えばいい。
現実に不満も苦しみもなく生きれる人間は、そうやって私みたいな人間を容赦なく軽蔑して優越感に浸って、自分の居場所を確保する。
そう、私の親のように。
成功者であるが故の傲慢。
他者にぶつけて自分を満たす愚かな、浅はかな感情に。
――ダメ、もうよそう。
そう言い聞かせて、溢れてきた黒い感情を抑え込む。
読書部。
私が私らしく在れる場所を求めて、私はあそこに入ったのだから。
嘆いてばかりいるのは、気分が荒むばかりで碌なことがない。
そう思うのに――どうして泣きたくなるんだろう。
何から、とも。
誰に、とも言わずに嘆きたくなるのは、何故なんだろう。
そんな事を思いながら、滲んだ視界の向こうの画面を見つめて、私は再び自分の世界に閉じこもることにした――――。