#002 新学年に向けて ― ②
――部員が欲しいですっ!
「――……とは言ったものの、アテなんてないですよぉ……」
事の発端は自分の発言。
そんな現実を思い返してみる結果、だったら友達でも誘ってみたらどうだと提案してきた悠木の意見を思い返しながらも、瑠衣は自室のベッドの上に小さく華奢な身体を投げ出して呟いた。
瑠衣の交友関係の幅は狭い。
もちろん友達が皆無というわけではないのだが、よく喋る友達はすでに現在の部活に馴染んでしまっているし、今更部活に誘って移動してくれる都合の良い友達などいるはずもなかった。
余談ではあるが、男子生徒が瑠衣目当てで読書部へと入ろうかと企てているのだが、それを瑠衣が知るはずもない。
現在の読書部と言えば、去年の聖燐祭での一件以来、悠木のネームバリューこそあがっている。
かと言って部活を変えようと殺到するような事態になってはいない。
お嬢様学園こと聖燐学園に入ってきた女子生徒は、今でも学園に対する挟持を少なからず持っている面もあるのだ。
男子生徒に至っては、読書部に何故か居並ぶ錚々たる美少女メンバーとも言える雪那やゆず、瑠衣や水琴といった面々が所属している部に下心から移動したいと本心では願っていても、そんな真似をできるはずもない。
この数ヶ月――春を迎えるまで、特に人員が増えたり減ったりといった変化はなく、比較的平和に過ごしてきたのだが、これからは瑠衣が一人ぼっちになり、最悪の場合は部を廃部にされ、他の部への入部を命じられる可能性もある。
当然、これを看過しておくわけにはいかない。
新入生を部員として獲得したとしても、今度は瑠衣だけが2年生になってしまう。
それはそれで、なんとなく腫れ物のように扱われそうで嫌になりそうだ。
希わくは、同い年――それも瑠衣にとっても気兼ねなく付き合える友達がいてくれれば一番なのだが、そんな相手がはたして存在するのか。
その結果は、枕を抱いて顔を突っ伏してしまう辺り、絶望的だと窺い知れるというものである。
「……はぁ。もしこのまま部員が増えなかったらって思うと……」
寝返りを打って天井を見つめ、独りごちると共に想像を巡らせてみる。
季節は夏。
3年生である悠木らは退部してしまい、一人だけ取り残される瑠衣。
廃部を命じられ、今更ながらに部活を移動してみるも、すでに出来上がった空気に溶け込むことができずに、一人孤立させられてしまう。
「……どう考えてもバッドエンドでしかないです……」
結果、思い浮かんだ現実は悲惨なものである。
すでに春休みも後半に差し掛かり、あと数日で自分は2年生。
新たに入ってくる後輩が入ってくるのも期待しないではないが、やはり同学年の友達が欲しいと思ってしまうのも無理はない。
雪那と悠木、巧とゆず。それに水琴の存在。
同学年だからこそ気兼ねなく付き合えているようなあの5人の姿は、瑠衣にとっての一つの憧れともなっているのだ。
一つ学年が違うせいで、共有できない話題だって時には出てくる事もある。
そうした現実を、この一年近くの時間の中で何度も見てきた。
悪気なんて一欠片もなくとも、そういう瞬間に一抹の寂しさを感じるのも仕方がなかった。
「……同い年の友達……」
改めて意識してみれば、いかに自分の交友関係の狭いことか。
春休みも終盤を迎えようとしている、少し風の強い日。
瑠衣は新たな生活を迎える次の学年こそは、同学年の友人を作ろうと密かに決意するのであった。
◆ ◆ ◆
「――今年からはクラスも変わるのよね、そういえば」
聖燐学園の学生寮の食堂で、ふと雪那が呟いた。
去年まではクラスの変更という制度がなく、3年間同じクラスで過ごすというスタンスを取っていた聖燐学園ではあるが、ついに今年から一般的な学校と同じように、クラス変えが行われることになったのだ。
聞けば、どうやらこの辺りは三和先生やレイカが一枚噛んでいるらしい。
さすがは生徒会長様と女性狸の三和先生だ。
そんな二人からはそれとなくクラス変えについては聞いていたものの、新クラスに一種の期待と不安を抱くのも無理はない。
「どうしたの?
なんだか悪事を思いついた三下みたいな笑みを浮かべているみたいなのだけれど」
「例えにすでに罵倒が混じっている気がしてならないんだが」
「どうせ悠木クンのことだから、「もしかしたらクラス変えして俺にも春がやって来るんじゃないだろうか」、とか。そんなこと考えてたんでしょう」
「……そ、そんなこと考えてねーし……」
何故バレた。
今もなおじとっとした目でこちらを見るのはやめていただきたい。
「まぁ、悠木クンはそういう人だものね。
最初の頃なんて、何か言う前から「はい喜んで」で応じる人だったもの。心象を良くする方法だ、なんて言って」
「それは否めない」
「……そうやって誰にでも優しくて一生懸命になったりするから、瑠衣ちゃんも……――」
「ん? 瑠衣がどうしたって――?」
「――おっはよー、ゆきゆきコンビー」
雪那が小さな声で瑠衣の名前を出していたものだから何かと思いつつ、それでも話題を切り替えるように雪那は声をかけてきた水琴へと振り返ってしまった。
「おい水琴、もう昼だぞ」
「うん、だからおはようなんだよ、悠木クン。私にとって昼は早朝みたいなものだからね!」
春休み後半になったというのに、相変わらずの昼夜逆転ぶりを発揮している水琴である。
寝起きそのまま、ジャージに長袖のシャツ。
胸が大きいせいか、無駄にそこが強調されてはいるものの、水琴に関しては何故か色気というものが足りていない。
やはり日頃の言動というものはポイントとして加算されるのだろう。
「そういえば、結局新歓どうするの? 新部長さん」
「……俺は未だに納得してねぇからな。俺が部長なんて」
そうなのだ。
結局あの日から俺が新部長という体裁を取ることは皆の中ですでに決定してしまい、俺の意見を他所に新部長扱いが始まってしまったのである。
三和先生やレイカとの縁があり、三神の一件で無駄に持ち上げられた俺は、まさに部長という名の体の良いシンボルとして有能なようだ。
「このままじゃ、るーちゃんが一人ぼっちになる可能性は否めないからねぇ。
新一年生だけじゃなくって、できれば新2年生からも入って欲しいところだけれど」
「そうは言っても、今更部活変えるってのは難しいだろうなぁ。
実際、2年になって部活を変えるなんて真似する珍しいヤツなんて……」
そこまで言って、実は目の前にいる二人がそういう存在だったことに気付き、なんとも微妙な気分である。
雪那も水琴も俺の言わんとした言葉を理解したのか、苦笑していた。
「2年生なら誰でもって訳じゃないもの、私達にできる事なんてたかが知れているわ。
そもそも、瑠衣ちゃんと親しい子が入ってくれるのが一番よ。
性格が合わない相手が入ってきても、それはそれでギクシャクするかもしれないし」
「ゆっきーの言う通りなんだよねぇ。
でも、それとなくるーちゃんに訊いてはみたんだけど、あまりアテはなさそうな感じだったねぇ」
瑠衣の知り合いというか、一緒にいて楽しい相手。
要するに友達にいないかと訊ねてみたものの、結果は微妙なものだった。
そもそも瑠衣は、同学年の友達との距離感をはかりかねているらしい。
巧と知り合うまでの――本人曰く、お姫様扱い。
そんな過去があって以来、瑠衣はどう接して良いものか、分からないままでいるそうだ。
そんな考えが根底にあるせいか、微妙な距離感で接してしまう瑠衣の態度に、きっと周囲の連中だって近寄り難い部分があったりもするだろう。
確かに瑠衣は素直でいい子だと、俺達ならばそう言える。
でもそれは、あくまでも年上が年下に対する評価でしかなくて、同学年の生徒にどう映るかと言えば、また違ったものになってしまうかもしれない。
「瑠衣も人気はあるみたいだしな」
俺の視線の先に映る、この一年で劇的な変化を遂げた華流院さんから聞いた情報である。
瑠衣は見た目の可愛らしさから、やはり人気はあるようだ。
しかし瑠衣自身がそういう評価を拒むような空気があるそうで、自然と周囲と溝が出来てしまっているのでは、というのが華流院さんの見解である。
周囲と溝が出来ているというセリフを華流院さんが言うべきではない気がしないでもないが、まぁそこは置いておこう。
「あの子は可愛いもの」
「あれあれ? ゆっきー、なんだか不機嫌なのかな?」
どこか不機嫌そうにと言うべきか、あるいは羨むような口ぶりで告げた雪那に水琴がからかうように声をかけると、雪那は一つ嘆息して肩を竦めた。
「そんなことないわよ。ただ、ああいう天真爛漫っていうか、純情っていうか。そういうのを表面に出せてるのは羨ましいとは思うわ。
なんだか瑠衣ちゃんを見ていると、少し自分が穢れた存在に思えるのよね」
「穢れたってまたオーバーだねぇ……。
まぁ、ゆっきーの言わんとしてることは解るし、それがこじれて今に至ってるっていう気がしなくもないかなー」
「こじれて?」
唐突な物言いに目を丸くした俺達を見て、水琴は一つ頷くと得意気に人差し指を立てて解説を始めた。
「るーちゃんは、ゆっきーの言う通りなんだよ。本当は素直で明るくって、可愛らしい性格をしているよ。
だけど、あの子自身が自分にどこか負い目を感じてるっていうのかな?
だから年上である私達には素直になれるけれど、同い年の同学年には素直になれないっていうか、どこか遠慮しちゃってるのかもしれないねぇ」
水琴の説明は、俺もその通りなのかもしれないと思わされるものだった。
瑠衣は過去の自分を嫌っていて、負い目に感じている。
それを繰り返さない為に、人付き合いをどうやって素直にしてしまえば良いのか分からずに、動けずにいる。
そういう意味で、確かに水琴の説明は瑠衣を的確に表現しているのかもしれない。
「……なんていうか、お前ってたまに凄く大人な意見だよな」
「一応は色々働いてきたりもしてたからねぇ」
得意気に言う水琴の態度にちょっとだけイラッとするものを感じながらも、確かにそうした経験の差みたいなのはあるような気がして、どうにも複雑な気分である。
水琴の経験――つまりは様々なアルバイトであったり、そういった学外の交流で培われる価値観であったりは、ただ純粋に学生をしているだけじゃ、きっと手に入らないだろうとは思う。
それを言うのがレイカならば素直に認められただろう。
やはりこれも日頃の行いによるポイントの賜物なのかもしれない。
「な、何かな、その何か言いたげな顔は……。
まぁ、悠木クンが新部長になって新歓で盛り上がれば、入部部員は増えてくると思うんだよね。
――あ、でも男子は基本的にお断りで」
「ん、何でだ?」
「はっきり言って、読書部って女子のレベルが高すぎるんだよね。
私はともかく、ゆっきーもゆずっちも、るーちゃんもさ。
下心丸出しの男子とかが来て告白なんかしたって、ゆずっちはたっくんがいるし、ゆっきーも悠木クンがいるわけだから玉砕するわけだよ」
「えっ、ちょ、ちょっと! どうしてそこに私が……!」
「おぉ、ゆっきーの赤面なんて珍しい。
――まぁとにかく、そういう意味で告白なんてされた日には部の雰囲気が壊れる可能性だってあるんだよ。だから在学中の2年生や3年生の男子なんかが来るようなら、気をつけた方がいいと思うんだよねぇ」
顔を赤くするということは、つまりそれは脈ありだという証左なのではないだろうか。
そんなチョロい俺の妄想を頭の片隅でしっかりと膨らませつつも、確かに水琴の言う男子を危惧すべきという可能性は否めなかった。
聖燐学園の共学化は俺達の年代から始まり、最上級生が女子だけだったつい先日までとは変わってくる。
レイカと三和先生も言っていたが、新たに入ってくる一年生にとってみれば、この学園がお嬢様学園の名残を残していると理解していない生徒だって増えてくるだろうとのことだ。
三和先生が俺を劇薬に使おうとした職員への行動も、今年からの学園――つまりは完全共学となる世代を見据えたものだったらしい。
意識を完全に改革しなくてはならないのは、在校生だけではなく教師もだ。
そういった意味で、俺は三和先生に利用されたというのも、もう半年近くも前の話か。
女子が有力になりがちだった、これまでの聖燐学園は今年から少し変わるだろう。
決して表立った抑圧こそなかったが、どこか肩身の狭い思いをしていた俺達の年代の男子が、解放されたかのように調子に乗るケースもある、とか。
女子率の高かった聖燐学園の清らかさが穢されるという点では、俺としては勿体ない気分ではあるが。
多分深呼吸率が下がるぞ、俺は。
「…………悠木クン、深呼吸なんてしてないじゃない」
「なるほど、悠木クンにとっては女子が多い方が都合が良かったわけだねぇ」
口から駄々漏れになったらしい俺の思考に対して、雪那からは冷たい視線を。水琴にはニヤニヤとからかうような笑みを浮かべながら返された。
3年生。
どうやら去年以上に色々な問題が改めて降りかかってきそうだと、この時の俺は何となく予感させられるのであった。
――――そして、春休みは終わりを告げようとしていた。