#001 新学年に向けて
年末年始、バレンタイン。
そういった年始のイベントも過ぎてしまうと、春休みが目前に控える形となっていた。
俺達――『読書部』の面々もこの3ヶ月ばかりは何かと静かな日々を過ごしてきたものだと、去年一年間を思い出してはそんな感傷に浸っていた。
「部室の大掃除でもするか」
言い出しっぺは意外や意外、巧であった。
この1年前はたった3人しかいなかった『読書部』も、気が付けば雪那と瑠衣、それに水琴の3人が増えて人数は倍増。
部室の中は少々手狭に思えてしまうのも、ある意味では正しい反応だった。
「本棚を動かしたりは出来ないけれど、いい加減増えてきた本を並べ替える必要もありそうだもの。
女子は本の並び替えと、男子はその他の部分ってことでどうかしら?」
「賛成です!」
雪那の提案に瑠衣がピンと手を挙げて賛成の意を主張する横で、水琴や篠ノ井も特に異論はないらしく頷いていた。
そうなると、俺と巧が顔を見合わせる結果になる訳だ。
「巧、言い出しっぺなんだから頑張れよ」
「いや、お前も手伝えよな、悠木……」
巧に全て丸投げしてやろうという俺の心遣いは、あっさりと見破られてしまったようだ。
なんだかんだと掃除を始めてみると、まぁ色々と出てくる。
お菓子の食べかすであったり、水琴のデッサンや落書きをして埋まったノートであったり。
女子は女子で『脳内相関図』なる禁書に手を出してしまったらしく、水琴を筆頭に何か危険な話の方向性になりつつあるが……見なかったことにしよう。
触らぬ神に祟りなしだ。
そんなことを考えて掃除をしながら巧の顔をふと見てみると、巧がニヤニヤと笑いながら箒を動かしている姿が目についた。
「おい巧、思い出し笑いが可愛いと思えるのは女子だけだ。しかもそれを狙ってやってないから許されるのであって、お前がそんな顔をするのは正直言って……殺意しか沸かん」
「殺意って酷くないかっ!?
――いや、一年前ってこんな事もしてなかったし、なんか変わったなって思って」
そういえば、確かにそうだった。
ちょうど去年の今頃。
俺と幼馴染コンビの二人しかいなかった頃は、部室にここまで入り浸っていなかった。
というのも、この幼馴染コンビのごたごたに巻き込まれていたせいで、何かと宿題やら予習やら、特待生制度を理由に俺はここに顔を出そうとはしなかったのだ。
考えてもみてほしい。
お馬鹿馴染カップルがラブコメよろしくやってる前で、たった一人で本を読めるか、と。
そんなもの、ちょっとした拷問でしかない。
ラブコメものを読んだだけで砂糖を吐きそうになる俺の前で、実写版ラブコメである。
そりゃ寄り付かなくなるのも無理はないだろう。
そんな訳で、俺は部室に今のように毎日顔を出すような日々を過ごしていなかった。
体裁を整える為だけに入部し、時々――篠ノ井の目つきが危なくなる頃には顔を出す程度で距離を取っていたのだ。
今にして思えば、篠ノ井はどうやら当時からヤンデレの兆候を見せていたのかもしれない。
――櫻 雪那。
彼女の登場と共に『読書部』は変わった。
――宝泉 瑠衣。
コイツのおかげで空気が明るくなった。
――兼末 水琴。
…………こいつは、特に何も影響なかったな。
強いて言うなら、色々な人間のアドバイザー的な役割に収まっている。
一年間で確かに――『読書部』は変わった。
「――だがお前が言うのは何となく腑に落ちないものがある。
一番変わるべきはお前だろう、巧」
「何か考えてると思ったらいきなりだなっ!?」
ツッコミの能力だけは少しばかり上がったかもしれない。
◆
「――備品の買い出しなんて、最近すっかり忘れてたな」
「えぇ、そうね。
今年に入ってから、去年の慌ただしさを忘れるぐらいにダラダラ過ごしていたものね……」
翌日の土曜日、昼食を食堂で済ませてから、俺は雪那と一緒に駅に向かって歩いていた。
昨日の大掃除後、今度の春から新入生が入って来る――可能性は不明だが――ことを考えて、色々と備品を補給しておく必要があるだろうと話がまとまり、俺達は遊びがてらに部品を買い出しに行くことになったのである。
雪那と二人きり――ではない。
駅前で落ち合う予定があるのだ。
ちなみに水琴だが、アイツは朝から仕事の備品を買うとかでうろうろしている。
なので一時のデート状態である。
こう考えるだけでドキドキさせられてしまう辺り、やはり俺には免疫がない。
「こうして二人で外を歩くのって、なんか久しぶりね」
男が言えば一瞬にして「え、何意識してんの?」ぐらいな空気を生む台詞はしかし、女子に言われるとやけに照れくさくなる。
自らのチョロインぶりを自覚しつつも、「そういやそうだな」と何でもない風を装う俺の甲斐甲斐しい努力は見破られていないはずだ。
「お互い寮に住んでるから、用事があれば食堂か悠木クンの部屋に行けばいいだけだもの」
「まぁ一応、男女の部屋への行き来は禁じられてはいるんだけどな」
「それはそうだけど。
でも、寮の改修工事のおかげで色々話せたんだもの。
私は――改修工事があって良かったって、思うわ」
「……まぁ、確かにな。
そうじゃなきゃ、寮で会うなんて機会もめっきり減ってただろうしな」
雪那に言われて、改めて実感する。
去年の春、寮の改修によって雪那達女子は男子と同じ寮の上階に引っ越すハメになったのだ。
思えばそれがきっかけで、色々と雪那と交流が深まったんじゃないか、とも言える。
同じ『読書部』に所属した俺と雪那が、今こうして――少し手を伸ばせば触れられる位置にいる。
変に意識すればするほど、なんだか妙にぎこちない距離感を感じるのは俺だけなのだろうか。
去年の年末。
雪那の実家に挨拶――と言うより呼び出し――されてからというものの、雪那は時々妙にドキッとさせることを口にしてくる。
だからこそ、俺はどう答えていけばいいのか。
その答えがいまいち分からない。
「どうしたの?」
「俺の心の中にいるもう一人の俺が、何かを語りかけてきているらしい」
…………。
「えっと、悠木クン。中二病を発症するには少々年齢が遅すぎる気がするのだけども」
「失礼なこと言うな。俺は中二病なんて発症した覚えはないぞ」
確かに俺が言った内容は中二病な内容だったと思うが。
「中二病ね。色々と種類があるみたいだけど、いまいち私も理解出来ていないのよね」
「中二病について、か。簡単に言えば、おままごとや人形、ごっこ遊びの延長線って部分もあるんじゃないか?
自分がそうなりたいという一種の願望の表れであったり、現実がつまらなかったりとかさ。そういう意味じゃ、俺は戦国時代はある意味中二病のオンパレードだと思ってるぞ」
「どういうこと?」
突然戦国時代を中二病のオンパレードだと評した俺の言葉は、どうやら雪那には納得出来なかったらしい。
「何かになりたい、やり遂げたい、成したい。そういう欲求が強かったヤツ程、成功していくだろ。自らの腕一本で何かが出来たりとかな。だけど、現代はそういう野望が随分と遠く思えて、何かを成功して取り沙汰されるなんて人間は珍しく思えてならなかったりするだろ?
だけど戦国時代って、まさしくそういう奴らが変革を成し遂げて、歴史に名前を残しただろ。そういう意味じゃ、中二病に似たようなもんじゃないか?」
情報が溢れて、法によって統制はあっても不自由で、なのに自由に道を選べる。
そういう現代に対して、果たして夢を見られるのか。
何かを自分が成し遂げられると強く信念を抱くことが出来るのかなんて考えてみても、結局は夢でしかないと諦めてしまう。
常識、普通。
そういった枠組みの中でしか道を選べなくて、だけど何か特別なものになりたくて。
だから、漫画やゲーム、アニメやラノベといった世界が――現実とは違って眩しく見えるのだ。
それは誰もがそうだ。
舞踏会で王子様と結婚するなんてシンデレラストーリーも、ラノベによっては政治的に難しくなってしまうように、現実はそんな単純じゃない。
だから夢を見る。
中二病になんてならなくたって、自分という人間を少しでも好きになりたくて、何かに投影してみたり、趣味に没頭したりとか。
そうやって少しでも自分が好きなものがあるなら、それを恥じる必要なんてないんじゃないか。
アニメや漫画、ラノベが好きなんてのは、別に恥じるものじゃない。
それは一つの文化として海外にまで発信されているのだから、否定的に見る必要なんてないのだ。
そんなことを言い出すのであれば、海外のヒーローモノの映画がウケるのだってそれと一緒であって、それを映画として観るのだって変わらない。
確かに言葉に出したりすると痛い趣味ではあるが、俺はそれを否定的に見るつもりはない。
「――子供の頃にさ、漫画やゲームの主人公を自分に投影するなんてこと、一度や二度はあっただろ? それにちょっと妄想というエッセンスが加わったせいで現実にも影響はあると思うかもしれないが、それと一緒だ」
そういった言葉を並べてみると、雪那は少し驚きに目を見開いてこちらを見ていた。
「そ、そうやってしっかり説明されると、なんだか中二病というものに対しての価値観が変わりそうなものね。でも、悠木クンは中二病に対して偏見を持っていないのね」
「特に偏見はないぞ。まぁ、目の前に重度の中二病患者が現れたりしたら、さすがに引くとは思うが」
「……台無しじゃない、さっきの熱弁。
それに、なんだかすごく論点がすり替えられた気がするのだけど」
そのツッコミは正しいものだと同意せざるを得ない。
◆ ◆ ◆
「――悠木先輩、一つ訊きたいことがあるです」
「プライベートな質問以外なら答えてやろう」
「何処の芸能人気取りですか……。そうじゃなくて、『読書部』の新入部員募集についてです」
駅前で合流して買い物を済ませ、学園に戻り、部室で荷物を片付けて一息ついたところで。
瑠衣が突然そんなことを口にして、全員からの視線を一身に受けた。
「この部の部長って悠木先輩ですよね?」
「おい、どうして俺がこの部の部長扱いなんだ。部長は巧だぞ、多分」
「あれ、ゆず。俺とゆず、どっちが部長だったっけ?」
「えっ……と。どっちだっけ……」
備品を買った直後にこんな事を思うのは微妙なんだが、この部の存続は既に厳しい状態なのではないだろうか。
この部の部長と呼べるような人材はいないようである。
「一応風宮クンという扱いにはなっているわね。去年の部長会議だって風宮クンが出ていたじゃない」
「あ、そうだそうだ。一応、形上は俺ってことになってるんだっけ。
それで、新入部員の募集がどうかしたのか?」
巧が部長であるという新事実が発覚したところで、瑠衣は顎に手を当てたまましばらく黙りこみ、はっと何かを思いついたかのように立ち上がった。
「悠木先輩! 悠木先輩が部長になるのを推薦するです!」
あまりに唐突な意見。
突然戦力外通告をされた巧が慌てて叫んでいるが、そんな巧を他所に水琴がニヤニヤと笑いながら声をかけた。
「いきなり部長失格発言だねぇ。るーちゃん、いきなりどうしたの?」
「去年、この部って新入部員募集ってなかったですよ。
今年もやらないままじゃ、夏頃には一人ぼっちになってる気がするです!」
言われてみて、思わず納得する空気が流れた。
というか、3年生は夏休み前には部活の引退が確定する。
つまりその時までに新入部員がいない限り、瑠衣を除く俺達は全員部活を引退する、ということになる。
「いや、だからって何で俺が部長にならなきゃならんのだ」
「影響力の違い、かしらね」
俺の質問にあっさりと答えたのは、雪那である。
おい雪那、お前の横の篠ノ井の横で、巧がすごく傷ついている気がするぞ。
そんな巧の様子に気付くことなく、雪那は続けた。
「悠木クンは今のところ、この学園でも有名になりつつあるわ。
生徒会長である美堂さんとも親しいし、三和先生の評価も高い。
そう考えると、悠木クンが部長になった方が部にとってはプラスになる点が多いわね」
「あ~、確かにゆっきーの言うことには一理あるかもねぇ。
部長って簡単に言うと、部の顔になる訳だし。
そう考えると、たっくんじゃーちょっと物足りないのかもねー」
女子のキッパリとした発言を前に、巧が明らかにノックアウトしている。
傷つける罵倒などではなく、本音を吐いている感が否めない。
悪気ない現実が巧に突き刺さっている。
そうとなれば、篠ノ井だって黙っていないはずだ――と思ったら、篠ノ井が続けた。
「確かに部長って感じは巧より悠木クンの方が向いてるかも」
……篠ノ井にまでフォローされないとは、巧……。
「あぁ、違うのよ。
風宮クンがダメって言うんじゃなくて、悠木クンを部長に据えた方がメリットがあるって話なだけだもの」
「……あ、ありがとう、櫻さん」
それはフォローになっていませんよ、雪那さんや。
「いや、ちょっと待ってくれよ。そもそも俺は部長なんてやる気ないぞ」
《――――えっ?》
「えっ、じゃねぇよ」
全員から一斉にあがった声に、何か俺が間違ったことを言っているような気がしてならなかった。