#007 箍は外せない
ファストフードで失態をした雪那の機嫌も落ち着き、買い物も無事に終わった。
そうしている内に外はすっかり陽が暮れて、真っ暗な夜を迎えているのだが――今、俺は自室に雪那を招き入れている。
台所に立つ、学園でも有数の美少女こと雪那。
そんな彼女が自分の分のついでとばかりに俺の夕飯も一緒に作ってくれているという、この状況。
まさに夢のシチュエーションに、俺は心のアルバムにまた新たにその思い出を刻んでいた。
「さぁ、出来たわ」
「おぉ……!」
用意されたのは、オムライスだ。
ちなみにこれは、得意な料理を頼むと言った結果、雪那が作ってくれたもの。
別に俺が頼んだ訳ではないのだが、ケチャップでハートぐらい描いてくれていたら、俺はきっと食べずに保存していたのではないだろうか。
「卵が安かったし、何より冷蔵庫の中の野菜が少なかったから……」
そう言って、雪那は俺の冷蔵庫事情に対して小さく文句を言っていた。
さっきの買い物では雪那の部屋に必要な物ばかりを買っていて、自分の事はすっかり失念してしまったのだ。
「いや、これはもう俺の記念に相応しいと思うんだが。とりあえず写メを……おい、何をする。俺のスマホ返せ」
「や、やめてよ。恥ずかしいじゃない。それにこんなの、誰にだって作れるんだから……!」
机の上に置いていた俺のスマホが拉致された。
「とにかく、食べてみて」
「あ、あぁ。食べてしまうのが非常に勿体無いんだが……、いただきます」
緊張の一瞬。
これがよくあるパターンなら、きっとこの味は非常に微妙なもののはず。
美少女お嬢様イコール料理下手。そんな構図ができたっておかしくはない。
喜びとは一緒に、けれど心してオムライスをスプーンですくい上げ、いざ――――
「……うまい」
――――テンプレには至らなかったようだ。
雪那が作ってくれたオムライスは、感動に目を輝かせる程の美味さではないが、普通に作り慣れているのがよく分かる、ちょうどいい味加減だった。
そう、普通に美味い、とでも言うべきだろう。
「ホント?」
「お、おう。ちょっとお約束を期待してたけど……冗談ですごめんなさい」
ジト目で睨まれ、軌道修正。
「自炊しているのに食べられないようなものなんて作らないわよ」
「自炊してるのか?」
「えぇ。両親から送られる仕送りがあるって言っても、いざ何かをするって時の事を考えて最低限しか使っていないわ。もしもお金が余るなら、それはそれで何かに使えるかもしれないし」
「へぇ……、偉いな」
お嬢様にしてはしっかりとした金銭感覚だと、素直に感心する俺に、雪那もまた向かい合う位置でオムライスを口に運びながら、じとりとこちらを睨みつけてきた。
「悠木くん、私の事をなんだと思っているの?」
「いや、悪い。別に雪那がどうのって訳じゃないんだが、ついな」
「二次元と現実が一緒な訳ないでしょうに」
「そうだな、ファストフードデビューした事もないぐらいのお嬢様なんてそうそういない……いや、冗談だ」
雪那の目が冷たくなってきたのを感じ取り、ギリギリで言葉を濁す。
いや、それぐらい俺にとっては驚きではあったのだ。
「それで、明日はあの二人、一時半に駅前で待ち合わせしてるみたいだから、それに合わせて私達も行きましょう」
「いいけど、時間まで知ってるのか」
「篠ノ井さんからメールが来たの。すでに明日回るコースはこちらに届いているわ」
「あぁ、そうか。篠ノ井も俺と雪那が協力するってのは知ってるんだもんな」
篠ノ井にとってみれば、強力なバックアップを手に入れたようなものだしな。
俺みたいに嫌々ながらに手伝うような人間より、雪那のようにこうして積極的に動いてくれる方がありがたいのだろう。
そうして雪那が明日の、篠ノ井と巧が取る予定について俺に説明してくれている最中、 俺は全く違う事を考えていた。
あのオムライスはやはり、写メに残しておきたかった。
じゃないと俺は、きっとあのオムライスが夢か幻だったかもしれないと、そう疑ってしまうだろう、と。
それと、真正面に座って話し続ける雪那の表情が、少し堅く感じるというか、そんな取り留めのない事ばかり。
「……ねぇ、ちゃんと聞いてるの?」
「あぁ、もちろん。つまり巧の鈍感系主人公ぶり滅びろ、という事だな」
「……明らかに聞いていなかったのに、結局行き着く所はそこだから頭ごなしに否定しにくいのだけど……!」
――やめだ。
ちょっとずつ自分でも雪那に惹かれているのが分かってるけれど……本気になるには、あまりに相手が悪すぎる。
自分の中に芽生えた感情に――いつも通りに蓋をする。
「とにかく、明日は一時前に下の食堂で待ち合わせね」
「おう、分かった。でもさ、食堂で落ち合ったりして平気なのか? ほら、俺との事で変な噂が立ったりしたら、巧との事に差し支えるんじゃないのか?」
「……そんなの問題ないわ。言いたい人には言わせておけばいいもの」
「いや、でもさ……。俺のせいで雪那がどうのって言われるのは、さすがに俺も後味悪いしさ……」
まぁ正直、俺が何か言われる分には別に構わない。
そもそも俺にとって、そういった評判なんてものは“今更”でしかないしな。
せいぜい言われるとしたら、捨てられた男って所だろう。
それはそれで、後に送るであろう俺の甘酸っぱい日々に支障をきたす可能性があるかもしれないが、俺なんかの噂はそんな長い時間残らないだろうし、笑い話にもできる。
だけど、雪那は別だ。
孤高の人として名高い美少女。
そんな雪那に男の影があるだけでも大騒ぎになるかもしれないし、もし巧とうまくいった時に俺を捨てたなんて話が出たら、変な噂にこじれていくかもしれない。
「そんなの、悠木クンが心配してくれなくても結構よ」
「んー、まぁ雪那が気にしないならいいんだけどな……」
そうは言ってみるけど、腑に落ちない。
そんな俺の表情を読み取ったのか、雪那が俺の顔を見て嘆息すると、食後に用意していた紅茶を口に運んで、一つため息を零した。
「分かったわ。悠木くんのせっかくの気遣いだもの。外で落ち合いましょう」
「あぁ、そうした方がいい」
「……そう、ね。それじゃ、悠木くん。そろそろ時間が時間だから、部屋に戻るわね」
要点がまとまって、雪那が立ち上がった。
時刻はもう九時前。そろそろ寮監が部屋に来て生徒が戻っているかを確認しに来るだろうし、こんな時間に女子が男子の部屋にいるとなると、色々と面倒だしな。
俺は雪那を見送りに玄関まで行って、改めて感謝を告げた。
「オムライスありがとな。美味かったよ」
「いいのよ。あれは今日の手伝いのお礼だもの。むしろ写メを撮らせなかった事を怒るかと思ったわ」
「まぁ、残念は残念だったけど」
「それじゃ、また明日」
「あぁ。おやすみ」
ドアを閉めて、部屋へと戻って行く。
「……少し、はしゃぎ過ぎちゃった、かな……」
ドアの外で小さく呟いた雪那の言葉なんて、俺には聞こえるはずもなかった。
シャワーを済ませて、俺はベッドの上で寝転がって目を閉じた。
そうして、自分の中に芽生えつつある感情を、真正面から否定する準備を整える。
雪那は――――巧と付き合うという目的の為に、俺の傍にいるのだ。
俺にとっては謎の多き女、という印象が強いが、最初に部室に来た頃から徐々に、俺自身の心の箍が外れて来たような、そんな気がする。
柔らかな笑みを見せたり、ちょっと情けない顔をしてみたり。
そういった、人間味がある姿を見る度に、俺は不覚にも胸を高鳴らせてしまっているのだ。
我ながらチョロイン以上に攻略難易度が低い男だと、そう思ってしまう。
……願わくば、夏まで。
それまでに巧と篠ノ井がひっついてくれたら、俺は雪那とどうにかなれるんだろうか。
釣り合いもしなければ、高嶺の花過ぎる気しかしない。
だけど、そう願ってしまう。
そうして、願えば願う程に、怖くなる。
俺はきっとまた、裏切られるのではないだろかとフラッシュバックする記憶に蓋をして、俺は身体を起こした。
そもそも俺がこの街へ来たのは、ちょっとした当て付けでもあった。
誰に対してでもなく、自分の心に対して、だ。
あの日、あの時。
――――俺はこの街で、裏切られた。
そんな過去があるからこそ、俺はどうしてもこの街で、青春を謳歌してやりたいと思ったんだ。
恐怖している訳じゃないんだぞ、と。
逃げ出したい訳じゃないんだぞ、と。そう自分に直接伝える為に。
でも、それでもだ。
本気で人を好きになるのは、俺にとってはあまりに恐怖を伴うもので。
だから、軽い感情を表に出す。道化でいたいから。
――――なのに。
……本気になったら苦しくなる。このままでいたら、本気になる。
どうすりゃ良いんだよ、俺は……。
そんな事を考えながら、浅い眠りに意識を落としていった――――。