#003 瑠衣
「――クリスマス、です?」
「そうですわ。我が華流院家で盛大なパーティーを開こうと思っておりますの。もし良かったら、宝泉さんも読書部の皆様とご一緒にいかがです?」
――お嬢様学校という名称に相応しいのは、きっとこういう喋り方だったりするのだろう。
そんな益体もない考えを頭の中に浮かべながら、瑠衣は自分に声をかけてきた同級生、華流院園美を見つめた。
クラスこそ違うが、悠木のおかしな噂が蔓延した際に話すようになった生徒。「寮でお世話になっている先輩ですもの。見過ごす訳にはいきませんわ!」と息巻いて、悠木と同じ部に所属している瑠衣を知るなり、積極的に声をかけてきたお嬢様である。
元々、瑠衣は華流院園美を知っていた。
お嬢様らしい喋り方に、あの見た目である。目立たないはずがなかったのだ。
だが、ここ数ヶ月で華流院園美は、まさしく変貌を遂げた。
聖燐学園の七不思議の一つに加えても良いのではないかとまことしやかに囁かれていたりもする。以前まではオブラートに包んでもふくよか過ぎる程であった彼女だが、夏を挟んでみるみる内に体重を落としているのだ。
過度のダイエットは身体に悪い。
例えば食事量を極端に落とせば肌が荒れたり、脂肪で伸びていた皮が余ってしまったりと問題があるのだが、華流院園美のダイエットはそういった形跡も特にはなさそうだ。
もともと、性格だけはお嬢様然としているものの、他者を見下したりという節がない女子である。
そんな彼女が体重を落とし、見た目が良くなるにつれて、密かに今では男子生徒から人気を得つつあるのだが、それは瑠衣のあずかり知らぬところの話である。
それでも、まだまだ本人の理想には届いていないようだ。
確かに瑠衣の目から見れば、「少しばかりぽっちゃりとしているかな……?」といった印象ではあるが、トレードマークの悠木曰くドリルヘアさえなければ、一年ぶりに会う人では他人だと思うだろう。
ともあれ、そんな華流院を前に瑠衣は「うーん」と少々悩む素振りをしてみせた。
「先輩達に訊いてみないと解らないですけど、でもそんな大人数で押し掛けても大丈夫ですか?」
「えぇ、もちろん。とは言っても親しい方々にしか声をかけておりませんので、ざっと50名程度の参加予定ですわ」
「…………ざっと、50人、ですか……」
「えぇ、そこまで大きな規模でもありませんわ」
そもそもこの学園の全生徒を集めても50人も友達――もしくは関わりのある人がいるかと言われれば、瑠衣は迷わず頭を左右に振るだろう。
それをさも少数だと言い張る同い年の少女を前に、住んでいる世界の違いなのかと思わず苦笑した。
「あ、心配なさらないでくださいね。しっかり来客用のスーツやドレスも準備しておきますので、気軽な服装で来て頂いても問題ありませんわ」
「ど、ドレス!?」
「えぇ、もちろんですわ」
「ドレスなんて着たことないですよ……?」
「あら、ならば初めての経験ですわね。ウチの侍従達がしっかりと似合うドレスを選びますし、初めてのドレス経験を楽しみにしておりますわ。意中の人がいらっしゃるのなら、普段とは違った自分を見せる好機ですわよ」
華流院の言葉を聞いて瑠衣の脳裏に浮かんだのは――悠木だった。
思わず瑠衣の顔が赤くなり、ぶんぶんと頭を左右に振る。その姿を見ていた華流院は無粋にもからかおうとも聞き出そうともせずに「楽しみにしてますわね」とだけ告げてその場を去って行くが、瑠衣の耳にはすっかり入って来なかった。
――悠木先輩が、どうして?
ふと浮かんだ顔を思い出しながら、瑠衣が心の中で呟いた。
◆
――そう言えば、私、悠木先輩の前で泣いちゃったんだっけ……。
部室へと向かって歩いている最中、瑠衣はあの日――巧に告白して、フラれてしまった日の事を思い出していた。
季節は冬。
テレビを見ればクリスマスの飾り付けがどうだの、どこどこのツリーの点灯式がどうだのと騒ぎ立てている。
一つの季節を跨いだだけ。
たかが4ヶ月ばかりが過ぎただけだと言うのに、遠い記憶に思えてならなかった。
高校生活一年目。
色濃い半年強という日々を振り返りながらも、瑠衣はその場でしばし立ち尽くしていた。
中学生時代の先輩――風宮 巧。
彼を追いかけるように聖燐学園に進学しておきながらも、それでも最初から読書部に入ろうとはしなかった。
当然、瑠衣が巧の所属している部を知らなかった訳ではない。
追いかけるように同じ学園にやって来てそのまま巧を追いかけるという自分に、少しばかりやり過ぎたきらいがあるような気がしたのは事実だった。
それに、巧には親しい幼馴染――ゆずの存在があった。
高校生になって二人の関係が進展していたらどうしようかと悩んだりもしたのだ。
当然、巧はそんな瑠衣の気持ちに気付いているはずもないだろう。
――――入学早々、瑠衣は自分のクラスでの居場所を失ってしまった。
背も低く、身体も弱い。顔が小さいのに目も大きくて、周囲からの評価は男女問わず「可愛い」の一言に尽きる。瑠衣は特別扱いされやすい。
それを利用するような態度を取ってみた事もあったが、いつの間にかそれが息苦しくもなって、周囲との距離の取り方が解らなくなってしまった。
かと言って、瑠衣はクラスで浮いているような存在という訳ではない。
話しかけられれば答えるし、別にお高く止まっている訳でもない。
ただ自分からどの程度まで歩み寄れば良いのか、その距離感が瑠衣には掴めず、結果として中学時代とは少々違う方向で特別扱いされている、というのが現状であった。
男子は良く思われたいが為に背伸びをしてみせ、女子は小さくて可愛いという瑠衣を可愛がる。
それはもはや瑠衣の意識でどうにか出来る問題ではなかった。
声をかけられた時に、極力笑顔で応えようと努力している瑠衣であるが、その結果、その笑顔を見たいが為に構いたがる者も多い。
まさしく悪循環であって、瑠衣は――まるで息が詰まるような気分で日々を過ごしていた。
そのせいで、瑠衣は対等の友達と呼べる友達はなかなか作れていない。
いっそ一言、本音をぶつけてしまえば仲良くなれるのだろうかと思いつつも、それでもしも嫌われて、さらに居場所がなくなってしまったらどうしようかと、そんな考えがふと過ぎってしまう。
息どころか、手も詰まってしまっていた。
――――そうしてやって来た読書部であったが、非常に心地の良い場所だった。
綺麗という言葉が似合う年上の先輩、雪那。
少し遅れて部へとやって来た明るくて優しい先輩、水琴。
中学時代から予想通り――それでいてガッカリする程に変わりない、巧とゆず。
誰よりも適当そうで、なのに誰よりも真面目に周りの面倒を見る、悠木。
今思えば実に個性派な面々だと、まるで自分を棚に上げるかのように小さく笑って瑠衣は部室の扉を開くと、「おーす」と力のないだらけた挨拶が飛んできた。
「あれ、悠木先輩一人ですか?」
「あぁ。巧と篠ノ井は購買に買い出しだな。雪那と水琴はまだ来てないぞ」
机に鞄を置きながら、瑠衣は「そう、ですか」と小さな声で返事を返した。
先程の華流院との会話の中で浮かんできた悠木の顔。そのせいで妙に意識してしまっているせいか、うまく話せない。
なるべく視線を合わせないようにと振る舞う瑠衣の、いつもとは違った態度に悠木が違和感を覚え、立ち上がった。
「どうした?」
「なっ、何がですかっ?」
「…………お前それ、何かあったのを誤魔化せるような切り返しとは思えねぇけど」
敢え無く瑠衣の誤魔化しは失敗に終わった。
巧ならばこのまま強引にでも気のせいだと言えば通じたかもしれないが、悠木にそれが通用するとは瑠衣自身も思えない。
そんな、巧に対してはそこはかとなく失礼な思考を過ぎらせながら、瑠衣は一つため息を吐いた。
「悠木先輩、クリスマス空いてますか?」
「おい瑠衣。それって、俺に色気づいた話なんてある訳がないという見下しか? 宣戦布告か?」
「ち、違うですよ! その、華流院さんから読書部全員でパーティーに来ないかって誘われて……」
じとっとした目つきでいきなり突っ掛かるという悠木の態度に、慌てて瑠衣が説明した。
「あー、華流院さんか……って、瑠衣と華流院さんって親しかったのか? クラス同じだったっけか?」
「クラスは違うですよ。ちょっと色々あって親しくなったというか」
「ふーん、そっか。まぁ別に予定がある訳じゃないんだけどな……。皆で行くならそれも面白そうだな。そういや、夏に行った時は雪那がやらかしたんだっけか……」
「夏?」
ふと漏らした悠木の言葉に瑠衣が尋ね返した。
夏に茅野に言われ、華流院家の誕生日パーティーとやらに参加した際、雪那はワインを飲んでしまって潰れたのである。その流れについては雪那の名誉の為に伏せつつ、瑠衣に夏の話を始めた。
「――じゃあ、悠木先輩は生徒会長とそこで会ったですか?」
親しげな様子で話していたレイカと悠木の二人の姿を思い返して瑠衣が尋ねる。
「俺とレイカは、小学生の頃からの知り合いだよ」
「え?」
「あの夏だから――7年前、か。二学期になって転入してきたんだよ、レイカが。その後、冬休み前には転校しちまったけどな。それから華流院さんのトコのパーティーで再会したって感じだ。っつっても、俺はアイツに気付いてなかったけどな」
外国人系の顔は年齢がよく分からなかったんだ、と付け加えて苦笑する悠木に、瑠衣は少しだけ苦い想いを噛み締めていた。
悠木と雪那の間にある、7年前の話。
悠木とレイカにある、7年前の交流。
そして、自分と悠木の間にある7年前の一瞬だけの兄妹という関係。
不思議な繋がり方をしている自分達の関係だというのに、自分はその中では一瞬の繋がりでしかなくて。
それでいて、雪那やレイカに比べてあまりにも弱い繋がり。
悠木が以前言っていた兄として振る舞った相手が自分だと、気付いてすらいないのだ。
ふと、脳裏を過ぎる小さな疑問。
どうして自分は、ただそれだけの事に苦い気持ちを噛み締めているのだろうか、と。
――「自分は、悠木に対して恋心を抱いているのか」。
瑠衣の中に芽生えたその疑問には、誰も答える事など出来ない。それは瑠衣自身にも、「分からない」という答えしか出て来ないような、小さな感情の変化だった。
「……どうした?」
「え?」
「いや、なんか難しい顔してるからさ。何か悩み事か?」
「……悠木先輩に心配されるほど、落ちぶれてないです」
「おいお前、俺の優しい気配りに対してずいぶんな仕打ちだな、ん?」
「ち、近寄るなですよ! 何手をわきわきしてるですか!」
「身長を止める呪いをだな――」
「――こ、効果はないと思うですけど、なんか気分的に嫌ですっ!」
――――今までならば「そういう感情はない」と断言出来ていたはずの、瑠衣の変化。
その違いには、この時の瑠衣も気付いてはいなかった。