#009 三和の描いたシナリオ
現在、聖燐学園の教師内は二つの陣営に分かれているらしい。
柳田先生の男子生徒否定派の教師陣。
そして、今まで男性であるが故に男子生徒の肩を持ち、ここぞとばかりに柳田先生達男子生徒否定派に噛み付く、男性教師陣といった状態だ。
その他に事態を静観し、我関せずを貫く教師も何名かは存在しているが、最近――いや、正確に言えば三神と俺の一件以来、柳田派に加担する傾向を見せ、そして増長を促しているのだそうだ。
解決案を出したりしないのかという俺の意見に、三和先生は答えた。
「そうもいかないのよ」
「何でですか?」
「直接言っては、その行動を請け負って責任を背負わなくてはいけなくなるからじゃないかしら。だから、誰もそうした意見を口にしようとはせずにいる、とか?」
レイカの答えは正解だったようで、三和先生はその指摘に頷いて答えると、そのまま補足した。
――曰く、今回の教師陣の言い合いというのは、別に何も改善されなくてもそれで良いという本音が誰もの胸の内にあるのだ、と。
どういう事かと首を傾げる俺とは別に、レイカはその意味合いを正しく理解したらしく、深いため息を吐き出した。
「答えを出す為に会議をしているのかと言えば、それは違うわね。でも、大別する派閥のどちらかの意見さえ通ってしまえば、他の目的が達せられるわ」
「他の目的?」
「……利権、ですか?」
レイカの問いに、三和先生は沈黙をもって肯定を示すと、深いため息を吐いて俺を見つめた。
「……永野クン。この学園は公立高校じゃなくて私立高校。私立と公立の違いはもちろん分かるわよね?」
「公立は公の機関によって造られた学校であって、私立は法人によって経営されている、という点なら」
「その通りよ。教師が人事異動させられる公立と違って、この学園には長く残っている先生が多くいるわ。さっき美堂さんが言った「利権」というのはここに関係する問題なのよ」
「……なるほど」
なんとなくだが、言わんとしている意味はよく分かった。
例えるなら、ここを学校、というよりも会社と考えれば分かり易いだろう。
さしずめ、教師は社員といったところだろうか。
レイカの言う「利権」とはすなわち、「優位性」や、恐らく今後の「発言力」といったところか。今後の学園での教師生活に於いてもそうだが、立ち位置とでも言うべきだろうか。
「……そんなもん、必要か?」
「公立の学校じゃ人事異動が当たり前に行われるけど、この聖燐学園は私立。それなりの発言権を持った教員というのは確かにいるのよ。私は公正な立場にいるから派閥めいたものには巻き込まれていないけれど、美堂さんならこの意味、よく分かるんじゃないかしら?」
「……えぇ、どちらにつくのかと言外に問い詰められてますから」
……何それ、面倒くさ……。
当然、俺には理解こそ出来ても納得出来る内容じゃない。
どこぞの医者のドラマを彷彿とさせられるような、現実味のない話だ。
表面上は「生徒の為に」という口実を使って、実際は自分達の今後の立場の優位性を確保する言い合い。そういうぶつかり合い。その為に、俺達男子生徒が教師のダシに使われているのか。
怒りを通り越して、もはや呆れしか浮かばない。
「最初――共学化して間もなくは正当な会議だったけれど、最近じゃそれが顕著に出ているわ。教師陣の授業態度にもそれが出ている、という投書も生徒会に届いているし、内々で勝手にやる程度ならまだしも、悪影響を及ぼしているのが実情よ」
男子生徒に対する明らかな差別的授業。
当然、何かを直接言う訳じゃないが、いないかのように進める教師も決して特殊とは言い難い。
「で、三神クンの一件によってさらに露骨になってきたの。そこで、アナタの出番という訳よ、永野クン。アナタには今日まで生徒会臨時役員としてアピールする対象になってもらって、地盤を固めてもらった。おかげで、ようやく本番に臨めるという訳ね」
まるで俺に責任があるかのような言われようだが、特にそういう意図はないのだろう。
「……まぁ、乗りかかった船ですし、今更降りれませんよね?」
「えぇ、今やアナタは私と一蓮托生よ」
レイカに言われるならともかく、三和先生に言われても嬉しくも何とも無い。
「それで、俺に何をしろと? 三神みたいにぶん殴れって言うなら、さすがにお断りですよ」
「当然、直接そんな事はしないわ。アナタには、簡単に言えば『共通の敵』になって欲しいのよ」
「……はぁ?」
「どちらもを完全に否定して、不毛な言い合いを止めて欲しいのよ。そうね、煽るだけ煽って、この状況を他の生徒に他言してしまうかのように匂わせてくれれば良いわ」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。それで騒動が収まるんですか?」
劇薬を投与するかのような三和先生の言い分に、思わず尋ねる。
「その点は心配いらないわ。アナタの立場は、あくまでも『臨時役員』。他の先生方に、アナタの登用理由は、『生徒の素直な声を教師に届ける立場』と伝えてあるもの。これには他の先生方も同意しているわ」
「……それって、ただの名目上の立場としてじゃないッスか」
「それでも良いのよ。その名目を承知して同意したんだから、耳が痛い事を言われて激昂しようものなら、私がそこから口撃……――じゃなくて何とか抑えてみせるから」
本音が漏れている気しかしない。
「……まぁ、百歩譲ってそれをやったとしても、表面上の問題しか解決しないんじゃないですか? 水面下ではお互いに牽制し合うって事で、先送りにしかならないんじゃ……」
「確かに、ユーキの言い分は正しいわ。
――三和先生。もしかして、それで良いってお考えなんじゃないですか? 根本的な解決ではなく、生徒に対する態度さえ修正出来れば良い、と」
俺の言葉を引き継いだレイカに視線を向けられ、三和先生が一つ諦めたかのように嘆息した。
「……その通りよ」
「え?」
「水面下での不平不満は呑み込んでもらうしかないわ。それが嫌なら、ここを去れば良い。直さなくてはいけない事態になっても直せないなら、切れば良いだけの事よ」
「切れば、って……。クビ、って事ですか?」
「えぇ、そうよ。でも、今はその線引をするきっかけとなるラインがない。そこで、永野クンが共通の敵となって、生徒に気付かれているのだと悟らせる。そうすれば、表立ってそういった問題を起こしているお局連中――いえ、男子否定派の動きを牽制出来るのよ」
「つまり三和先生は、男子肯定派の肩をお持ちになる、と?」
「いいえ、美堂さん。私はどちらの肩も持つ気はないわ。ただ、男子否定派の筆頭とも呼べる人が、さっき言った通り発言力のある古い先生だから、そちらを注意しづらいのよ。これまで、この問題以外に落ち度と呼べる落ち度がないわ。だから、生徒に気付かれているという声が欲しいの。それも、私や美堂さんではない存在から」
「……きっかけさえ作れれば、それで良い、と?」
「その通りよ、永野クン。後はこちらで対処出来る。あくまでも公正な立場で、ね」
それは苛烈とでも言うべきか、それとも大人の判断とでも言うべきなのか。
三和先生は事も無げに、あっさりと言い放っていた。
「……三和先生。どうして私や三和先生ではダメなんですか?」
「……私はもちろん、アナタもこの学園の関係者として教師に認知されているわ。そんなアナタや私が言えば、敵の肩を持つのかと敵意を向けられてしまう可能性もあるわ」
「それこそ、放っておけば――」
「――それだけは出来ないわ。私達に対する不満が生まれれば、それは私達にとって少なからぬ障害となり得るわ」
「な……ッ! それじゃあ、ユーキだったら良いと仰るおつもりですか!?」
「酷い言い方かもしれないけれど、そう思っているわ」
三和先生が告げたのは、どうしようもない現実だった。
レイカと三和先生。
つまりは生徒会会長と学園の教師陣の中でもそれなりに重要なポジションにいる2人が、今後の学園生活で不利益を被る結果になり易い。
そういう点で、俺という――『今後の運営に携わっていない人間』ならば、爆弾を投じたとしても、リスクが少ない。
俺の代わりに、レイカはこの答えに憤っているらしい。
確かに俺も釈然としないものはあるが、こればかりは呑み込むしかないだろう。
三和先生の言っている事は、確かに正しい。
ある意味、これは俺にしか出来ない方法だ。
むしろ冷静に三和先生の言い分に耳を傾ける事が出来ていた。
だからだろうか。
この時の俺には、レイカがどうしてこんなにも――苦い表情を浮かべているのか、理解出来なかった。
「……ユーキを、捨て駒に使うと言うおつもりですか……っ?」
「捨て駒、という表現はあながち間違いでもないかもしれないわね。いえ、むしろその表現は酷く正しいものだと思うわ」
肩を震わせて尋ねるレイカに、三和先生は淡々と告げた。
反論しようと口を開きかけたレイカへ、三和先生は手でそれを制してさらに続けた。
「美堂さんが懸念している事は、私も十分に理解しているわ。――この役目を担う事によって、永野クンに対して私怨を抱く教師がいるかもしれない、という可能性については心配しなくて良いわ」
そう言って、三和先生は続けた。
聖燐学園の生徒の成績を決めるのは、各科目毎の教師による採点と、それに私情が挟まれていないかという最終確認をする教師が、テストの成績などを客観的に見て判断する、というものの二つによって構成されているそうだ。
もちろん、そこに生徒会や各実行委員会の仕事などの評価点も微々たるものであるが加算されるとは思うが、そこについて三和先生は明言しなかった。
ともあれ、先の二つの内の後者。
つまり、客観的に見て判断するという役職に就いているのが、他ならぬ三和先生自身だそうだ。
例えば今回の一件で、俺に対して怨みを抱く教師がいたとする。何かしらの工作をして成績を操作しよう。だが、俺の成績に対する不正行為というものは明らかになり易い。全テストで上位5位以内にあり、生徒からの評価も高い。下手に手出しをするような真似には至れない。
加えて、もしもそんな真似をしようものなら、他の教師陣に自分の汚点を曝け出す結果になる。それは教師陣が欲しがる優位な立場とはかけ離れて、弱点を与える事に他ならない。
目立ち、成績も安定していてなお、『学園の運営に携わる役職に就いていない者』。
「――そういう意味でも、永野クンだからこそ出来る役割なのよ」
三和先生の言葉は、聞けば聞く程に道理だった。
俺という注目度が高い生徒を利用しようという算段は、正しい。
三和先生にとって、非常に都合の良い駒がここに誕生したという訳だ。
「……私は、そんなやり方……ッ」
「美堂さん。生徒でありながらも学園の裏側に関わっているアナタに、こんな事を言うのもおかしな話だけど、これが大人の社会での始末の付け方としては最善なの。永野クンには辛い想いをさせる事になるけど、これ以上問題が大きくなる前に手を打つには、これしかないわ」
――――三和先生の言う、本番。
それが正しく、この場であった。
騒然とする会議室の中で、俺は努めて平静を保つかのようにフッと小さく笑って肩をすくめてみせた。
「さっきから聞いてれば、やれ男子生徒がどうのって。柳田先生が男子生徒に対してどんな苦い思い出があるのか分かりませんが、聞くに堪えない内容ばかり。まぁ、百歩千歩一万歩譲って、聖燐学園の校風とやらが男子生徒が原因で劣ったのだとしましょう。
――だとしたら。それで、柳田先生はどうすればこの状況が改善されるとお考えなのです?」
「そ、それは……ッ!」
「男女共学化は、もう既に通ってしまった案件であり、現に俺や他の生徒がこの学園に通っている。にも関わらず、今もまだその現状を受け止める事すら出来ず、改善しようともなさらない先生が語りますか。この学園の品位とやらを。まぁそれは個人の自由ですが――なら、教師の品位と手腕を問われる可能性も、当然お考えですよね?」
騒然さも気が付けばピタリと止み、沈黙が場を支配していた。
俺の言葉に鷹揚に頷いてみせる、柳田先生に反論していた男性教師――立川先生。
じっと俺が見つめている視線に気付いたのか、目が合う。
「立川先生も、結局は柳田先生を批判するばかりでしたね。何をご満悦な様子で頷いているのか分かりませんが、アナタも柳田先生も、熱の込められた弁を振るっていた割に、何も建設的な意見を出していませんが」
冷たく言い放った俺の言葉に、今度は柳田先生の肩を持っていた教師達が頷いてみせる。
その姿に、俺は嘲笑するかのようにふっと笑ってみせた。
「そうだそうだ、とでも言いたげに頷いている先生方もいらっしゃるようですが、無言を貫いて黙っているのが正しいとでも? この会議の主題から大きく外れているのに静観する。それが聖燐学園の教育方針ですか?」
会議室内に沈黙が流れ、外からは生徒が部活やらで話している遠くの声が僅かに聴こえてくるばかり。
忌々しげに睨まれている俺の胃はすでにピークを迎えている。
正直、帰りたい程である。
「……永野クン、言いたい事は分かったわ。でも、それはあまりにも言い過ぎじゃないかしら」
予め渡されていた台本通りに事が運び、内心ではきっとほくそ笑んでいるであろう三和先生の、台本通りのセリフだ。
このまま三和先生の言う事を聞いて、一度落ち着いてみせる。
その後、この一件を他の生徒が知ったらどう思うでしょうね、と俺は告げ、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに退出するまでが、シナリオ。
これで、あとは教師陣を窘め、三和先生に全てを投げれば俺の役目は終わる。
――――元より、俺は今回の一件には正直言って関係ない。
面倒な役割をぶつけられただけ。
ただそれだけだから、さっさと終わってくれるに越した事はない。
だから――――と、自分に言い聞かせる。
そこまで、走馬灯のように頭の中で駆け巡る気持ち。
面倒事がようやく終わる。
そんな時だった。
俺はふと、三和先生と俺のちょうど間に座るレイカを見やる。
――――レイカは、悔しさを噛み締めるかのように、俯いたまま何も喋ろうとはしない。
あぁ、昔もコイツはそうだった。
嫌な事があっても、それを顔にあまり出す事もせずに、目を閉じて口を結ぶ。
そのまま何も喋ろうとはしないのだ。
今回の一件を三和先生から聞いて、レイカはレイカなりに考え、打開策を練ろうとしてくれていた。
にも関わらず、タイムアップを迎えてこの本番を迎えている。
その姿に、俺は台本通りに進むべきタイミングを迎えたこの瞬間に、一度頭を冷やすかのように深呼吸した。
それはまるで、怒りを鎮めるかのように見えただろう。
誰一人猜疑心を抱く事もなく、俺の言葉を待っていた。
これで、終わる。
これが、正解で、最善で。
これで、良いんだ。
――――例えそれが、レイカが納得していなくても、最善といえるのか?
ふと過ぎる、疑問。
―――――誰かが納得していなくても、これがベストなのだから仕方ない。
……俺は、そんな答えを選んでしまえるような、そんな人間だっただろうか。
巧と篠ノ井の騒動に、篠ノ井が承諾し、巧が選んだのだからそれで良いと我慢しただろうか。
篠ノ井と雪那の間にあった複雑な問題を、時間が解決してくれると全部投げ出してしまえただろうか。
瑠衣と篠ノ井の間にあった微妙な不和を、他人の問題だからと放っておくような真似を、俺は出来ていただろうか。
――――そんなにも俺は、誰かが犠牲になるような結末を受け入れられるような、「出来た人間」だっただろうか。
「はぁ? 三和先生、何を達観したつもりでいるんですか? アナタも同罪ですけど?」
「「え……っ?」」
――――俺は、そう口にした。
それは三和先生が描いたシナリオとはかけ離れたものだった。
この数日、三和先生のその言い分がどうしても納得出来ないと憤慨していたレイカ。
納得した方向で、シナリオに乗るように同意していた俺に安堵していたはずの三和先生。
2人の声が、その場に漏れた。
――――心のどこかで、俺は三神を撃退した噂のおかげで、慢心していたのかもしれない。今回の面倒な役割も、有名税みたいなものだろう、と構えていた部分がなかったと言えば、きっと嘘になる。
だから、かもしれない。
素直に全部を背負って、このまま三和先生のセオリー通りに事を運ぶだけ。
そんな三和先生の勝手なシナリオに対して、レイカと違って苛立ちもせずに受け入れようとしたのは。
前にもこんな事があった。
何でも出来るような気がしていて、それでも結局自分に出来る事なんて限られているんだって、実感したはずなのに。
俺は自分で思っている以上に、どうやら単純らしい。
そんな風に呑み込んで、達観しているつもりで静観するなんて。
レイカが最善だと思っていないのに、これが最善だと納得する?
そんなの、俺のガラじゃない。
唖然。
そんな顔をした三和先生と、慌ててレイカが俺を引っ張った。
「ど、どういうつもり……!?」
小声で問い掛けてくるので、俺は小さな声で答えた。
「そもそも、利用されるだけで終わるなんて、俺は御免だ。例え学校が会社みたいなものであっても、俺はその社員なんかじゃない。大切なのは今後がどうとかじゃなくて、今、この学園に通っている俺達自身の時間だろ」
「――ッ、それはそうだけど……――!」
「――だいたい、お前だって気に喰わないんだろ? だったら、全部を思い通りにさせる必要なんてねぇじゃねぇか。お前だって確かに中枢にいるっつっても、聖燐学園の生徒だろうが」
「……ッ」
「胃が痛い想いまでして我慢するのは、もうやめだ」
本当に胃が痛いなんて思っていたのは、この険悪な空気を前にしていたからなのか。それとも、俺自身が納得出来ていないと身体が訴えていたのか。
どうやら、後者だったようだと悟る。
未だ何かを言いたげであったレイカを無視して、注意されて締めたばかりのネクタイに指を突っ込み、机に手を突いた。
「ハッキリ言わせてもらいます。教師間でのゴタゴタなんて、俺達生徒にもとっくに気付かれてるんですよ。口にしないのは、気付いてないからじゃない。勝手にアナタ達がやってる面倒事に、いちいち首を突っ込む気なんてないし、関係ないって誰もが思ってるからですよ」
「な……ッ!」
「それに、俺がここにいるのだってそうだ。アナタ達がいつまでも馬鹿げた事をやってるから、巻き込まれた。ハッキリ言って迷惑なんですよ。男子生徒をダシに言い合いして、自分達の事しか考えずに話し込む。そんな大人の不始末に、俺やレイカっていう生徒である人間が巻き込まれる。
それが教師のする事なんですか? 言い合いをしている柳田先生も立川先生も。それに、三和先生。アナタもだ」
三和先生が願う以上の、新しい風とも刺激とも、或いは爆弾とも取れる発言。
敢えて俺は、それを落とすと決めたのだった。