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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第三部 三章 瑠衣の変化
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#006 針を進める時

「ぐぬぬぬぬ……」


「うーーーーん……」


 読書部の部室で、二人の男女の苦しみに満ちた呻き声が響いていた。

 視線を逸らせば、額に『必テスト勝』と書かれた謎の鉢巻をして勉強に取り組んでいる水琴の姿も見受けられる。


 ――静かなものね。

 呻き声はとりあえず聴こえなかった事にして、雪那が心の中で呟いた。


 この日、悠木と瑠衣は生徒会室で今後の役割について説明されている。

 軽い報酬――とは到底学生にとっては言い難いが――に釣られ、生徒会の手先AとBの二人組になってしまった悠木と瑠衣。


 しばらくは行事がある毎にそちらに借り出される事になるようだ。

 おかげで、雪那にとってみれば勉強に四苦八苦している3人の面倒を丸投げされた気分であった。


 悠木が部活を休むのは、三神の一件で怪我をしていた頃以来だ。


 それでもあの日々は悠木に手作り弁当を渡していた上に、寮に帰れば会えて当然という、本人はあまり気にしていなかったが近い距離にいたと言えるだろう。

 それが今はどうだろうか。

 自分と違う状況にいる悠木と瑠衣が、何だか遠くに感じてしまうではないか。


 気が付けば視線は手元の本の文字を追わずに、その中空に留まったままだった。

 一定のスピードで読んでいた雪那の手が止まった事に気付いたのは、相変わらずそうした洞察力には特化しているのか、遺憾なく無駄な力を発揮した水琴であった。


「ゆっきー、気になってるの?」


「……えぇ、そうね。同じ寮に住めるのはあと僅かね、水琴さん」


「えぇっ!? 流れるように返って来る言葉が辛辣!?」


 水琴がニヤニヤとした笑みを浮かべている時点で、雪那とて何かからかおうとしている節を見抜く事ぐらいは容易である。

 まさかからかいで投げ飛ばした言葉が、槍投げ選手も真っ青な勢いで水琴の心に突き刺さるとは思っていなかったのだろう。


 打ちひしがれた様子で愕然としていた水琴に、雪那は手に持っていた本を閉じて視線を向けた。


「それで、気になるって何の事かしら?」


「お、おぅぅ……。辛辣な言葉すらなかった事にするなんてゆっきーマジで鬼畜……」


「何を喚いているの?」


「ね、ねぇ、ゆっきーって意外とドがつくSな人なの? クールだとは思っていたけどそれはちょっと予想外だったなーなんて」


「あら、ドSなんかじゃないわよ。ただちょっと、ほんの少し、そうやって良いリアクションが返ってくるものだから、つい言葉が出て来ちゃうだけ」


「な、なんかゆっきーって悠木クンに似てるかもしれない……」


 水琴の言い分に、雪那は自分の過去を振り返る。


 確かに悠木と再会して以来、自分は変わったのかもしれない。

 それは良くも悪くも素直になったと言うべきか、雪那に関して言えば、他人に対する付き合いというものを大事にするようになったと言えた。


 それまで、徹底的に人と関わろうとしなかった雪那だ。

 三神が言う孤高の華という表現は、あながち的外れではなかったのだ。


 口の悪さは、確かに悠木に影響された節がない訳ではなかった。

 悠木のあの口の悪さは周りにも少しばかり影響を及ぼすのである。

 雪那もそれは理解している。

 何せ、最近では瑠衣にも若干その節が見えているのだから、雪那にとっては面白い変化であると言えるだろう。


 瑠衣はああ見えて頑固で、自分というものをしっかりと確立しているのだ。

 一見すれば悠木に影響されて流されてしまっているように見えるかもしれないが、芯の部分は確固としたものが通っているのだ。


 ――でなければ、同じ人間を何年にも渡って想い続ける事が出来るだろうか。

 雪那はそこまで考えて、ようやく一度口を開いた。


「……そう、ね。私達は全員、少なからず悠木クンに影響されていると思うわ」


 雪那の答えに、水琴も小さく笑った。

 その姿に再び本を開いて視線を落としながらも、雪那はまだ思考を切り離す事が出来ずにいた。


 ――まずは巧とゆずである。

 お互いに流され続けていた春の頃。支えあっているようで引っ張り合っているような関係が、いつの間にやら変わっている。

 今はお互いに自分の道を見つめて歩いているような、そんな姿に見えるのだ。


 タチの悪いヤンデレっぷりを発揮していたゆずもその節が見えなくなり、依存から徐々に脱しようとしている。


 一方で巧は、当初読書部に入った頃は「気色悪い」という印象であった無秩序な優しさがあったが、悠木曰くの鈍感系主人公体質はすっかりと消え去っているように見える。


 瑠衣は巧に対しての気持ちを――恐らくは吹っ切ったのだろうと雪那も推測していた。


 何かとゆずと張り合うようなちょっとした仕草であったりが見えなくなり、悠木と共に行動したり話し込んだりする中で、自分の進む道を探しているような、そんな気さえする。


 水琴はある意味、もっともブレてはいないだろう。


 それでも、部に入ってきたばかりの完全に閉じた自分の世界にいた節は消え、少なくとも部のメンバーを気遣っているように見える。




 そして自分は、悠木に過去の過ちを清算して、守ってもらって。

 この先はどうなるのだろうか。


 ――――漠然とした不安が広がった気がした。




 季節は春から夏を越えて、すでに秋を終えて冬へと入った。

 あの夏の日々を、父親とレイカのせいで一緒に行動する事も出来ずに、夏が終わってしまったのだ。


 雪那にとって、あの夏を。

 7年前のあの夏を終わらせる事が出来たとは――言えなかった。


 この冬が終われば高校生活最後の年を迎える。

 今のままでは、このまま有耶無耶になってしまうのではないかと。

 そんな不安が、突然雪那の胸の内に広がった。


「ねぇねぇ、ゆっきー」


「……あ、ごめんなさい。何かしら」


 声をかけてきたのは水琴ではなく、呻き声をあげるも助け舟どころか見向きもされなかったゆずである。

 てっきり勉強で煮詰まって声をかけに来たのかと慌てて振り返ると、ゆずは笑顔で言葉を続けた。


「私、もう一年ぐらい長くこのガッコーに残るかもしれない!」


「……えぇ、あり得るわね」


 どうでも良いと言わんばかりに明後日の方向を向いた雪那にフォローを求めていたゆずは遠慮なく一刀両断されたのであった。


 口を尖らせたゆずはしかし、それだけでは口を閉じようとはしなかった。


「ひどいよ、ゆっきー。なんか考え込んでいたみたいだから気を紛らわせようとしたのにー……」


「そう言われても……。でも、気を遣ってくれたのね、ありがとう」


「ううん、半分本気で嘆きたい気分だったっていうのも事実だよ」


「……それは、頑張って」


 ――思えば、ゆずとの関係にしてもそれは言えた。


 7年前のゴタゴタに巻き込まれるように、自分とゆずは当時の仲を裂かれてしまった。

 いや、正確に言うならばこちらから避けてしまったと言うべきなのかもしれない、と雪那は改めて思考の海へと意識を深く沈めていく。


 この読書部の扉を開いた時の決意。

 自分がこれから問題に立ち向かっていくのだと気負いつつも、それでも自分からは前に進めなかった春の日々を変えてくれたのも、結局は悠木であった。


「……あ。そっか……」


 不意に、気付く。


 近付いていく度に懐かしい記憶を思い出しながら一喜一憂していた自分も、今のように変わったのだと何気なく自分の日々を振り返っている自分も。


 そのどちらにも、悠木の存在が深く根付いているのだという事に。


 雪那の意識の中に芽生えた漠然とした不安もまた、結局は「それ」が何なのか分かってさえしまえば、何ら不思議ではなかった。




 停滞していた自分の時間が、今ゆっくりと、確実に。

 時計を動かそうとしていた。






◆ ◆ ◆






「……まぁ、何となく分かっちゃいた事なんだがなぁ」


 レイカから一頻りの説明を受けて生徒会室を後にしてから、俺はボヤくように頭を掻きながら呟いた。


「マスコットみたいな役です」


「そう、それなんだよな」


 同じように釈然としないものを胸にしていたのか、むーっと唸りつつも瑠衣が同調する。


 学園内にある男女間の不和――それを口実にした、教師間の不和に三和先生は一石を投じるつもりで、俺という目立つ存在を起爆剤にしたという訳だ。


 瑠衣に関しても、うまく引き合いに出されてしまった。

 俺が告げられたのは、「仲の良い一年生がいたら、一緒にやってくれないか頼めるかしら」という一言。


 当然俺は瑠衣を思い浮かべるし、恐らくは三和先生もそれを見越してそう告げたんだろう。三和先生としては直接借りを作らずに済む上に、瑠衣にとっては断りにくい状況の出来上がり、という訳だ。


 部に所属しているとは言ってもマッタリ進行なウチの部の後輩で、特待生ではなく一般入学。そして女子生徒。

 俺と引き合いに出される事になるであろう、見事に対照的な立場にいる存在。

 その上、この容姿が周りから一目置かれている事にも調べがついていたのかもしれないが。


 何にしても、掌の上で踊らされるとはまさにこの事だ。


 三神の一件か――もしかしたら去年の出来事があった時から、俺はそれなりに利用価値があると見定められていたんだろうか。


「やめちまって良いぞ、瑠衣」


「へ?」


 先程までの唸りっぷりは何処にいったのやら。

 瑠衣は俺の言葉に目を丸くして、こちらを見上げて声をあげていた。


「俺の方から代役を用意してくれって伝えとくから、お前はやめとけ」


「ど、どうしたですか、急に――」


「――『マスコットみたいな役』。お前、そういうの嫌だろ」


「……ッ」


 並んで歩いていた足がぴたりと止まって、瑠衣は顔を伏せた。


 瑠衣の状況については知っている。

 昔からその容姿と病弱というか弱い身体のせいで、妙な構われ方をしてきた。


 それこそ、マスコットのような扱いだ。


 友達がいないなんてからかってみた事もあるが、コイツはその立ち位置があまり好きじゃなくて、それでも強く言えないから踏み込めない節があるんだろう。


 対等に、というか。

 ただ構われるだけだとか、そういうのが嫌で。

 だから読書部の居心地が良いんだと思っている。


 巧と篠ノ井はともかく、俺と雪那と、それに水琴も含めて俺達は瑠衣をマスコットとして扱ってはいない。

 むしろいじり甲斐のある後輩だと思っているのはさて置き。


「……私、やるですよ」


「本気か?」


 静かに告げた瑠衣の決意に、俺は素直に疑問しか浮かばなかった。

 そこまでする必要があるのかというのが本音だったからだ。


 確かに学園の教師に男子を疎んじる女性教師がいるというのは、俺も何となく理解している。

 授業態度に出ているのだ。

 女子生徒しか当てなかったり、そういった微妙な距離というものが。


 単純に考えれば「当てられなくてラッキー」だとは思うかもしれないが、それは少し違う。

 存在そのものがないかのように進行する授業は、実際巧達のような一般入学の男子生徒のやる気を確実に削いでいる節がある。


 それは教師の問題であって、俺達が関与するべきではないのかもしれない。

 俺だって、正直言って自分には関係ないものとして認識しているから、特に拘るつもりも改善したいだなんて熱意がある訳でもない。


 まぁ三和先生には三神の件で世話になったという手前、断りにくいのも事実だ。

 決して報酬に釣られた訳ではない。

 断じてそれは違う。

 ない。


 いずれにせよ、瑠衣がそれに挑む理由なんてないのだ。


「だって、もう生徒会長とも挨拶しちゃいましたし、引っ込みつかないですよ」


「それは俺からレイカに――」


「――それに。確かに悠木先輩が心配してくれたみたいに、マスコット扱いされるのは嫌ですよ? でも、利用出来るものは利用した方が良いです」


「…………お前、そんなに腹黒かったっけ?」


「誰かさんに影響されたのかもしれないですね」


 にっこりと笑って、瑠衣は俺を揶揄するように告げる。




「……成る程、水琴のせいか」


「えっ!? いや、悠木先輩のこと言ったつもりですっ!」


「大丈夫だ、隠そうとしなくても告げ口したりはしない。成る程、アイツの腹黒さは感染型か。ちょっと隔離した方が良いかもしれない」


「だ、だからっ! 水琴先輩のせいみたいにして勝手に納得しないで欲しいです! 何ですか、その「分かってるから」みたいな生温かい目はっ! 何も分かってないですっ!」


 ――正直言って、まさか瑠衣が引き受けるとは思っていなかった。

 からかいながらそんな事を考えてしまったあたり、俺は思った以上に驚いていたのだろう。


「で、本気なのか? あまり良い思いするとは思えないぞ、今回のこれ」


 簡単に言えば、俺と引き合いに出されている格好の駒という扱い。

 瑠衣だってきっと、そんな扱いされて嬉しいと思うはずがないだろうに。


「……悠木先輩、〈マスコット〉ってどうしたら〈マスコット〉じゃなくなると思うですか?」


「は?」


「ただ可愛がられるような、ちょっとした象徴みたいな存在です。どうしたらそうじゃなくなると思うですか?」


「……どうしたら、か。そりゃ、もっと違った一面を見せるしかないだろうな」


「そういう事ですっ!」


 ビシッと小さな指を俺に向けて、瑠衣が高らかに宣言する。


「決めたですよ、私は悠木先輩を利用してマスコットを卒業するのです! 周りを顎で使えるぐらいの個性の強さを得る為に、この機会を逃すつもりはないのです!」


「いや、おい、待て、おい。高らかに何を宣言してるんだ、お前」


「覚悟すると良いですよ、悠木先輩っ! 最近流行りの悪役令嬢みたいになってやるですから!」


 おかしな影響を受けた瑠衣の宣言が、静かな廊下に響き渡る。


 コイツはコイツで、何かをちょっとずつ変えようと進み始めているのだろう。

 何か方向は間違っている気がしないでもないが。


「――それに、いつまでも嘆くばかりというのは、性に合わないみたいですから」


 笑いながら、瑠衣はそんな決意をあっさりと口にしてみせる。






 ――俺も、いつまでも逃げてばっかりじゃいられないのかもしれない。





 そんな事を思いながら、俺はポケットの中に入れていた自分のスマフォを握り締めていた。

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