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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第三部 三章 瑠衣の変化
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#003 変わっていくもの

 唐突だが、俺の部屋――というよりも俺自身、寮の部屋には荷物をそこまで持ち込まず、ファッションにあまり拘りがないせいで、服が増えるという事も滅多にない。


 シンプルに着こなせる程度の私服さえあれば、学園の寮に暮らしている俺の場合はそれで事足りているというのが理由だ。


 以前雪那も言っていたが、学園の寮で暮らすなんていうのは借り住まいでしかない。

 私物をそこまで集めるには至らないのが普通だ。


 だが、外野クンの部屋はシンプルな俺の部屋とは違ってずいぶんと充実していた。

 恐らくは外野クンの家――つまりは茅野家の教育方針なのかもしれないが、調度品かのような無意味な花瓶などまで置いてある。


 以前、雪那の引っ越しを手伝った時に聞いたのだが、この学園はやはりお嬢様学園の毛の色が抜け切ってはいないらしく、自室を如何に豪華にかつ見栄えよく飾るのかというのは、聖燐学園に通う女子生徒にとってのステータスの一つとなりやすいらしい。


 もっとも、雪那は『SAKURA』の社長令嬢とは言えそういった部類には興味もなく、この学園で人脈を広げておくつもりもないとあっさり言い放っていたが。


 どうやら外野クンの家は、そうした観点では聖燐学園の生徒らしい生活を送る事を望まれているようだ。


 ともあれ、部屋の広さは俺と同じだし造りも一緒。

 にも関わらず、部屋の中に置かれたそれなりの荷物の量のせいか、20畳程もあろうかというこの部屋でもちょうど良い大きさとなり、無駄に狭苦しく見えてくる。


 来客者用なのかテーブルと椅子までわざわざセットして、ベッドがあるだろうその場所はパーテーションで仕切られている。


 ……これが貧富の差なのだろうか。

 俺の部屋にもソファーぐらい置いた方が良いのかもしれない。


 そんな考察をしながらセットされた椅子に腰掛けると、外野クンは飲み物をコップに注いで机に置いた。


「サンキュ」


「……聞こえてたのか?」


 単刀直入とはこの事か。

 どうやらこの部屋に来た理由については見当もついていたらしく、俺は出されたコップに注がれた烏龍茶を口にしつつも頷いた。


「まぁ、惚れてる相手からあんな言葉を聞かされちゃ、さすがにな」


「……そっか」


 直球な物言いに返ってきたのは短い返事だった。


 部屋の中に置かれた、それなりに高そうな壁掛けのアナログ時計がカチカチと音を鳴らす。

 耳鳴りしそうな程の沈黙が流れた。


 言葉にしにくい部分は当然あるだろう。

 俺もそれは言える立場であって、何とも言い難い空気が流れているのは間違いなかった。


「永野なら、どうする?」


「自分が好きな相手に、恋愛する気がないって言われたらって事か?」


 答えを望む外野クンがこくりと頷き――


「……経験がないな」


 ――対して、俺が答えたのは非情とも取れる一言だった。


「はは……、さすが永野はモテるんだな……」


「いや、そうじゃなくてさ。本当にそういう経験がないんだよ」


 どこか卑屈になっているかのような外野クンに言い直す。


 そもそも俺はモテたいとは常日頃から言っているが、モテているという実感はない。

 この数日で、俺の淡い期待は裏切られたばかりなのだ。

 華流院さん情報によると、俺はモテる立場には入れないらしい。


 外野クンが言うように、モテているから経験がない訳じゃない。

 自分から特定の人物に好意を寄せる事はあっても、目の前で今回のように言い切られた事がない。


 だから、俺の経験上からのアドバイスなんてものは出来ない。

 ただそれだけの話だった。


「経験がなくたって、いつか振り向いてくれるかもしれないとか、ちゃんと想いを告げて自分に振り向かせろとか、諦めた方が良いとか。色々言える言葉だってあるじゃないか……」


「成る程、そういう選択肢があるのか。さすが美少女ゲームの達人」


「やった事ないよっ!?」


「で、それを言って欲しいのか? 言われてそれで納得出来るなら言っても良いけど」


「それは……っ、どうだろう……」


 結局のところ、ありきたりな励ましの言葉を並べてみたって意味なんてないのかもしれない。

 俺自身、もしもそんな簡単な言葉を並べられたりしたら、きっと相手を見限る。


 ――あぁ、その程度か。所詮は他人事か、と。

 実際、恋愛沙汰なんてのは他人事でしかなくて、それも間違いじゃないかもしれないけれど、うまい言葉が見つからない。 


 行き詰まり気味の会話。

 重苦しい空気を振り払うかのように、一つ咳払いして外野クンの視線をこちらに向かせた。


「なぁ。とりあえず怪文書の件について、しっかりと断るか水琴の言葉を伝えるべきなんじゃないか?」


「え?」


「まずはそっちが問題なんだし、片付ける順番としては間違ってないと思うんだけどな。それにさ、別に外野クンが好きな相手が一緒だって知られちまうなら、それも仕方ないと思うんだよ。好きなんだろ、水琴が。結局、今みたいに板挟みになって何も出来ないより、その友達にも知られちまった方が良いと思うんだ」


 確かにそれは現実的で、俺がそう言うのは簡単だ。

 でもそれを実際に行動に移すとなると、そんな単純に気持ちの整理なんてつかないだろう。


 天秤にかけるようであまり良くは聞こえないかもしれない。

 むしろ残酷な現実かもしれない。

 でも水琴の答えを聞かされた以上、仲介をしている外野クンだってそれを伝えなくちゃいけないとも思う。


 外野クンの友達と外野クンは、二人揃って失恋する。

 だったら、言ってしまえばもっと素直になれるんじゃないかと思う。


 少なくとも今よりは、外野クンだって自由に動けるようになるだろうし。


 そんな思惑で告げた俺の言葉を前に、外野クンは俯いたまま何も言おうとはしなかった。


「じゃ、帰るわ。お茶ごっそさん」


 これ以上、俺から言える言葉なんてなくて、聞かなくちゃいけない答えなんてない。

 潮時だと思いながら、俺は無言の外野クンにそれだけ告げると、さっさと外野クンの部屋を後にした。


 結局、力になってやれる事なんてなかった。

 もしかしたら俺は、三神の件で天狗にでもなっていたんだろうか。


 何か力になって、解決してやれるんじゃないかって。

 

 もうちょっとぐらい上手く何かを言えたんじゃないかと思いながら、何もろくな事を言えない自分に、ちょっとばかり嫌気が差した。







◆ ◆ ◆







「暗くなるの早くなったなぁ……」


 ゆずが夜道を歩きながら独りごちる。


 日を追う毎に空が夜闇に包まれる時間が早くなり、いつの間にやら制服のブレザー着用が当たり前となって、気が付けばコートもクローゼットから出されて羽織っていた。


 夜にもなればすっかり空気は冷たくなり、肌に刺さるような冷たさだ。


 そんな季節の移ろいを改めて振り返り、実感しながらゆずは母親に頼まれて買い物に出ていた。


 住宅街を歩いて近くのスーパーに向かう道のり。

 巧を連れ出そうかとも思ったが、わざわざ買い物するだけで連れ出すというのも気が引けた。


「――ん? あれ、瑠衣ちゃん?」


「あ、ゆずさん」


 夜道の住宅街。

 ちょうど前方の曲がり角から姿を現した小さなシルエットが外灯に照らされて、その人影が後輩の瑠衣である事に気が付き、ゆずが声をかけた。


 振り返った瑠衣が同じく外灯の下へとやってきたゆずに気が付き、声をかけた本人がゆずだと気付いたようだ。


「どうしたの? こんな時間に」


「お母さんに買い物頼まれたですよ。ゆずさんはどうしたですか?」


「あはは、私も一緒なんだ。一緒に行こっか」


「はいっ」


 二人が並んで歩き出す。


 ゆずと瑠衣は、少しばかり複雑な関係だ。

 巧という一人の少年を挟み込むかのように、心のどこかでは敵対していたと言っても過言ではない。


 幼馴染として二人の間に出来上がった空気は瑠衣にとっては羨ましくもあり。

 逆にゆずにとっては、幼馴染という枠組みにいないからこそ意識してもらえるのではないかと瑠衣を羨ましくもあった。


 隣の芝生は青く見える、とはよく言ったものだ。


「こうやって瑠衣ちゃんと二人で歩く機会って、あんまりなかったよね」


「ですねー。いつも巧先輩がいますし、なんだかちょっと新鮮ですね」


 にぱっと花の咲いたような笑みを浮かべて自分を見上げる後輩に、ゆずは少しだけ胸がちくりと痛むような感覚に陥った。


 再び前を向いて歩きだした瑠衣を見つめて、ゆずは徐々にその足を止めてついには立ち止まった。


「……瑠衣ちゃんは、巧のこと、好きなんだよね?」


 ゆずの言葉に瑠衣がぴくりと身体を動かして足を止め、振り返る。


 ちょうど外灯の下に照らされたその顔は、ゆずにはなんだか苦笑しているように見えた。


「……それが、最近はよく分からなくなってきたですよ」


「え……?」


 瑠衣のそんな一言は、ゆずにとっては予想外だと言えた。


 ゆずにとって、恋心というのは巧に対するそれだ。

 ずっと想い続けているのが当たり前であって、それはこれからもずっと変わらないような、そんな強い気持ちだった。


 だから、好きな相手が変わる、というのは少々――いや、ゆずにとっては強い違和感を覚えさせる。


「そう、なんだ……」


 少し前の自分ならば、そんな瑠衣の変化を大歓迎したのかもしれない。

 だが今のゆずが抱いた感情はそれとは違った。


 悠木に怒られたり、巧と距離を置いてみたり。

 そうした『読書部』という枠組みの中で日々を過ごしていく毎に、瑠衣を毛嫌い――いや、正確に言えば忌避していたと言うべきだろうが、そうしたかつての印象は消え去りつつあった。


 ――寂しい、とでも言うべきなのかな。

 ゆずはふっと自分の中に湧いた感覚を、そう表現するか迷う。


 それは事実、奇妙な感覚だと言えた。


 同じラインに立っていて心のどこかでは瑠衣を羨んでいたのに、変わってしまった気がしてならなかった。

 それは自分にはないもので、少しだけ寂しいと感じられてしまうおかしな感情だった。


「だから、ゆずさんは私に遠慮しないで巧先輩を落としちゃってくださいっ」


「え……えぇ!? い、いきなり何言ってるの!?」


「ゆずさんは優しいですから。私にちょっとだけ遠慮したり、巧先輩と二人きりで行動する時、たまに私を見て申し訳なさそうな顔してたですし。そういう遠慮、もういらないって事です」


 瑠衣は気付いていた。

 目の前のゆずは、何だかんだと巧の傍にいながらも自分に向かっては申し訳なさそうな顔をしていた事に。


 だから、もうそんな遠慮は不要なのだと告げる。

 この時の瑠衣は、ゆずが先程感じた奇妙な感情の機微に気付いていたのかもしれない。


「……後悔しても知らないよ?」


 確認するかのように。

 本当にそれで良いのかと尋ねるようにゆずは尋ねた。


 その質問に逡巡する素振りすら見せず、瑠衣は笑った。


「大丈夫です。ゆずさんはなんだかんだ言ってヘタレですし、巧先輩はトーヘンボクも良いトコですし」


「っ!? ちょ、ちょっとまって! ヘタレ……なのかなぁ……」


「にっひひ、ゆずさんはヘタレさんです。ほら、早く行くですよ、ゆずさん」


「あ、えっと、うん……。なんか釈然としないけど……」


「……そういう所がヘタレなのですよ?」


「ひどいっ!? 瑠衣ちゃんの口の悪さがひどいっ」


 笑いながら小走りで逃げていく瑠衣を追いかけるように、ゆずもまた歩き出す。


 少しずつ変わっていく自分達がどうにも寂しく思えてしまう。

 そうした感情を胸に抱えたのは、どうやら悠木だけではなかったようであった。

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