#005 女子寮の現実
雪那の登場に、篠ノ井の暴走。
そんな、なんとも言い難く慌ただしい一週間がようやく終わりを迎える、金曜日の放課後。
部室にはいつもの俺を含めた四人の姿があった。
「ねぇ、ゆっきー。この本読んだ?」
「えぇ、読み終わったわ」
和気藹々としている様に見える篠ノ井と雪那。
そして――――
「なぁ、ゆず。これの続きって発売してたっけ?」
「うーん、どうだろー。結構前から新刊買いに行ったりしてないからねー。ちょっと分からないなー。調べてみよ」
――――そんな美少女二人のキャッキャウフフの横に、さも平然と座っている鈍感系主人公体質の巧。
アイツは知らない。
篠ノ井と雪那が裏では自分を取り合い、協定を結んでいるなどとは……。
というか争い合っている割に仲がいいというか、話し合い以降は雪那と篠ノ井の間に妙な連帯感というか仲間意識みたいなものが芽生えているように見えるが……どうなってんだ、あれ。
「そういう事なら、篠ノ井さん。明日か明後日は二人で本屋を巡ってみてはどうかしら?」
「本屋?」
「えぇ。今週は私と悠木クンは寮のごたごたで行けないのだけど、二人なら家も近いのだし。それに悠木クン、確か前読んでたラノベの続きが発売したって言っていたわよね?」
「え、そんな事一言も言って……ました。言いましたとも、それはもう心の底から。願わくば死ぬ前に一度で良いから見てみたい、と」
「……ねぇ、悠木くん? そこまで言ってないでしょう?」
慌てて軌道修正したと言うのに、雪那が満面の笑みを浮かべて俺に釘を刺してきた。
余計な事まで言わなくてよろしい、と。
言下にそう言われた俺はコクコクと頷くだけに留める。
「そっかー。そういえば最近本屋巡りとかしてないしなぁ。ゆず、新刊出てそうな本で面白いヤツないか調べてみようぜ」
「うん、ちょっと待ってねー」
ふぅ、さすが鈍感系。俺と雪那のこのやり取りにも違和感を覚えずに話を進めるとは、やはりスルー力が高いな。
まぁ、そういう目線で見ていると、鈍感系ってちょっと空気読めないキャラとも言える気がするな。
そんな訳で部室の一角にあったノートパソコンに向かった篠ノ井と巧。
そのタイミングを見計らってか、雪那が俺に向かって本棚を指差し、付いて来るようにと告げた。
「悠木くん。今回の二人のデート、私達で尾行するわよ」
「は? 何でそんな事までするんだよ」
「あのね……。フラグブレイカー相手に普通のデートでイベントが成立すると、本気でそう思っているの?」
「ごもっともですね」
ひそひそと小声で話しているせいか、お互いの距離が近い。
相変わらずの漂う香りに胸が高鳴ってしまう。
「そういう訳だから、私の引っ越し準備手伝ってね」
「引っ越し……?」
「えぇ。私は誰も使っていなかった部屋をあてがわれたから、この土日中には荷物を移動するの」
「あれ? 今週末は清掃業者が入るって話じゃなかったっけ?」
「……悠木くん。アナタもしかして、今回の寮の合併で部屋が動く予定とかないのかしら?」
「あぁ。俺二階だから」
「……そうだったのね。道理で無頓着な訳ね」
雪那が嘆息しながら額に指を押さえ、そして俺の顔を見上げた。
「とにかく、一日は尾行で潰れてしまうでしょうから、お願いね」
「あぁ、うん。分かった」
「……まぁ、その。尾行って形にはなるけど、ダブルデートみたいにはなるかもしれないから、そのつもりでね」
「お、おう……」
不意に顔を赤くしてそんな事を雪那が言うものだから、俺も思わず恥ずかしくなる。
こ、これはアレだ……。なんか主人公っぽい!
……まぁ、やる内容は尾行なんですが。
そう考えるとちょっとテンション落ちる。
「ゆっきー、悠木くん。早速だけど、明後日行く事にしたよー」
「そう。この辺りだったら、やっぱり駅前?」
「そうだねー。あそこは新刊もある程度揃うみたいだし、色々あるからね」
「悠木も来れないのか?」
「バカ言うな。俺はお前と違って忙しいんだよ」
さりげない雪那の情報収集。
その横で、俺は巧からの誘いを一蹴した。
せっかくのデートイベントで男誘うんじゃねぇよ。
「それで、どれの新刊が欲しいかピックアップして、メールしておきたいんだけど……」
そんなこんなで、俺と雪那は日曜日のデートイベントの尾行を決定した。
まぁその前に、俺は雪那の引っ越しを手伝う事になるんだが。
そんなこんなで翌日。
俺は十時から荷物の運び込みを始めるという雪那に合わせて台車を持って女子寮の前にやってきていた。
女子寮は中世ヨーロッパの洋館――お屋敷をイメージして建造された、木造の館だ。
とは言っても、そこまで実際に古びている訳ではないのだけれど、耐震性なんかが今回の工事で見直される予定なのだそうだ。
横へと延びた館の外観は、それだけ見ればまさに洋館だ。採光用の窓が一定の感覚で取り付けられ、まるで海外に来たかのような感覚を覚える。
ちょっとそんな建物を見ると胸が踊るのは男の子たるもの仕方ないだろう。
近代的なホテルをイメージした男子寮とは正反対と言える。
「なんだ、永野。お前も女子寮の生徒に早速召使い認定されたのか?」
「……すいません誰ですか――」
「茅野だ! ついこの前も話したじゃないか!」
「冗談だよ、外野くん。しっかり覚えているさ。確か、愛称が蚊帳の外くんだったよな」
「ねぇワザとだよね? 俺が、俺が気にしてるって知っててそれを言うのは、ちょっとしたお茶目だよね……!?」
喧しい外野クンを他所に嘆息する俺。
外野くんはいじり甲斐はあるんだが、どうにもモブ臭が酷い。
というか、むしろ俺の記憶にはあまり残らないのである。
「そ、それで永野。キミは誰の手伝いに呼ばれたんだ?」
「櫻雪那だよ」
「……は……?」
外野くんが固まった。
「おまたせ、悠木くん。早速だけど、中までお願い」
「まだ他は待ってるみたいだが、もう入っていいのか?」
「えぇ、問題ないわ。一応は十時からは許可も出ているのだし、文句を言われる筋合いはないもの」
まったく、雪那は分かってないな。
――――『女子寮』。
そこは健全なる男子にとってはまさに桃源郷。夢の楽園、聖域とでも呼ぶような、そんな場所だ。そこには男子寮にはない華やかさがあり、男の夢が詰まったパラダイスなんだぞ……!
そんな夢の地に踏み入れる事がどれだけの男の憧れなのか、お前は分かっていない……ッ!
「……申し訳ないけれど、ハッキリ言っておくわね。そんな夢、早い内に捨ててしまった方がいいと思うわ」
「……な、何の事だね」
「今の、全部口を衝いて出てたわよ」
「……そうか。いや、是非気にしないで頂きたい」
「そうね。まぁそんな夢も、きっとあっさりと潰えるのは目に見えているのだけど。潰えた瞬間を見るというのも、悪くないかもしれないわね」
そんな物騒な言葉を告げる雪那に付いて行く。
そういえば、ふと固まったままだった外野くんはどうなったのだろうか。
そちらへ目を向けると――――
「茅野クン! こっちよ!」
――――そんな声が聞こえて思わず俺も振り返った先に立っていたのは、ふくよかな…………ふむ、保護者かペットの方だろうか。
人語を操るとは、なかなか金持ちのペットというものは時代の最先端を走っているようだ。
「引っ越しの準備から手伝ってもらうわ! 下着とかはもう片付けてあるから、変な想像しないでよね!」
霊長類何某様がそんな事を言って頬を赤くして、外野くんを引っ張っていった。
なるほど、アレは威嚇で頬を染めるという、特殊な生態をしているらしい。
「……雪那。俺、雪那の手伝い一生懸命頑張るわ」
「そ、そう……?」
決意を新たに、俺は女子寮へと向かって歩いて行く。
そんなくだらない事を口にしながらも女子寮へとやって来た俺は――早くも雪那の予言に抗えず、現実を目の当たりにした。
「…………そんな……ッ! 男の、俺達の夢が……! 理想郷が……!」
思わずその場に膝をついて倒れそうになる。
「ちょっと男子! 早くしなさいよ!」
「誰か私の荷物何処にあるか知らないー?」
「っていうか洗濯してた下着とかまだ乾いてないんだけど!」
……修羅場。
そこは、俺が憧れていたような、無防備さを持った薄着のお嬢様方の存在はなく、羞恥心を捨て去ったかのような、実に自由な空間が広がっていた。
確かに女子寮は男子寮に比べるとやはり少々古さを感じさせる。
とは言え、寮のコンセプトが洋館だったのが原因の一つとも言えるのだが、それ以上に雑多。何しろ荷物が溢れかえっているのだ。
廊下に積まれた荷物、溢れ出たダンボールと、そこからはみ出した、粗雑に突っ込まれただけと思われる服の袖。
これがあの、男子の憧れ、聖燐学園の女子寮の実態だと言うのか……。
「だから言ったのよ、悠木くん」
「……嘘だと言ってくれ……」
「いいえ、現実よ。私が言うのもなんだけど、そもそもこの寮はお嬢様が多かった。つまりあれもこれもと欲しがるクセに飽きて放置する生徒が多かったの。そのせいで、この環境が生まれたわ。大掛かりな修復もあるからという理由で今年に入ってからは処分の業者も来なかったし、今ここは魔窟と言っても過言ではないわ」
部屋へと向かいながら絶望する俺へ、雪那が淡々と状況説明をする。
男子寮の生徒達と、見慣れない大人達――雪那曰く、お嬢様方の使用人だったりとからしいが、そういった連中が慌てて駆けていく姿が見受けられる。
「……なぁ、雪那。女子側に寮の統合が告げられたのっていつなんだ?」
「今年の初めよ」
「……おい。なのに、何でこんなてんやわんやの大騒ぎになってるんだ……?」
「あら、悠木くん。女子の支度は得てして時間がかかるものなのよ?」
「そういうレベルじゃねぇから!」
雪那はクスクスと笑いながら俺の前を歩いていく。
……まさかとは思うが、雪那の部屋もこんな感じなのだろうか。
「ここが私の部屋よ」
「どうしよう。女子の部屋にお邪魔するなんて嬉しいシチュエーションなのに、俺の心はここまで見てきた光景のせいで一切浮かれてくれない」
思わず呟いた俺の一言に、雪那は何も言わずに扉を開けた。
「……良かった。雪那、俺は本当に雪那の手伝いで良かったと、涙を流さずにはいられない……!」
「そ、そう。オーバー過ぎると思うのだけど……」
雪那の部屋は、俺が想像していた魔窟とはかなり異なっていた。
綺麗に整頓して使っていたのであろう部屋の中は、外観から想像していた通りの大きな部屋だった。
シャワールームとユニットトイレが取り付けられた、二十畳程はあろうかという広い部屋。テーブルやベッドは元々備え付けられていたらしく、これらは持って行く予定はないらしい。
既に私物は全てダンボールに包まれ、部屋の中に積まれていた。
「ダンボールに番号が書いてあるでしょ? その順番に運ぶ予定よ。男子寮も部屋の間取りはあまり変わらないみたいだし、そのままの順番で持って行ってくれればいいわ」
「ふーん。まぁそういう事なら問題はなさそうだな。じゃあ俺はこれを運んで、雪那は向こうで荷解きって感じでいいか?」
「いいえ、私も運ぶわ」
「いや、運ぶのは俺がやるぞ。番号通りなら俺が一人で往復して、雪那は向こうで荷解きした方が早く終わるだろ」
「それはそうだけど……」
雪那が何だか気まずそうに言葉を詰まらせる。
「心配するなって。別に中身を見たりする訳じゃねぇんだから」
……………………。
「……おい雪那。この沈黙はさすがに俺も傷付くぞ」
「冗談よ。じゃ、それでお願いするわ」