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あの夏を僕らはまだ終われずにいる  作者: 白神 怜司
第三部 二章 聖燐祭――Ⅱ
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#009 歪な愛情

予定時刻に間に合わず。

 聖燐祭2日目、午前10時半。


 悠木と瑠衣の二人と別れた雪那は、今しがた電話で呼ばれた資料室へと向かって歩きながら、操作していたスマフォをスカートのポケットへと突っ込んだ。


 雪那が応援に呼ばれたのは、現在のメイン会場になっている校舎や中庭から少し外れた場所にある、今は使われていないホールだった。

 元々は体育館であったそうだが、それがやがて吹奏楽部用の部室兼練習場となり、今では使われていない古い木造の建物だ。


 つい先程悠木と瑠衣の二人と共に入った、お化け屋敷として使われていた旧校舎よりも、盛り上がっている喧騒から離れた場所だった。


 広大な高等学部の敷地を有している聖燐学園の敷地内ではあるが、由緒あるこの学園の建造物は、言い換えれば古く老朽化が進みつつある。その為、昨今の工事が続いているというのが現状だ。

 最近着手された、旧女子寮などもその改築計画の一部に組み込まれており、ここ以外ではお化け屋敷として利用している校舎も然りだ。


 活気や喧騒からだいぶ離れ、静けさに包まれた旧吹奏楽ホール、と呼ばれていた建物。


 ようやくそこに辿り着いた雪那は、半開きになっている入り口の扉を見て一度足を止め、そして中へと足を踏み入れた。


 この建物は、奥の用具入れ用の倉庫に多種多様の楽器が置かれている。そこから機材を運ばなくてはいけないというのが雪那が呼び出された名目だ。


 少し古びてしまっているものの、まだまだ使える数多くの楽器がここには置かれたままになっている。聖燐祭で行われている吹奏楽部の大演奏会の為に荷物の運び出し申請なども、何度か雪那も目にしていた。


 静けさの漂うホール内に足を運んだ雪那は、倉庫を覗いて誰もいない事を確認すると、奥の階段を上って二階にある旧部室へと足を進めた。


「誰かいる?」


 窓が開け放たれた部室では、白地のカーテンが風に揺られてふわりと大きく広がっていた。突然吹き込んできた風に長い黒髪が揺らされ、雪那は手で髪を押さえて教室内を見回した。


 旧部室とは言え、ここは音楽室としても使われていた為に教室と同等の広さがある。

 机や椅子は隅に追いやられているが、恐らく荷物を運び出す際にこうしたのだろう、と取り留めのない事を考えながら、雪那は更にその奥の元教員室に向かって歩いて行く。


 小物はそこに置いているという報告も目にした事があり、そちらに誰かいるのかもしれないと考えたのだ。


「櫻さん」


 突如自分の苗字を呼んだその声に、雪那の足がピタリと止まった。


「……はぁ。そういう事ね」


 ガラガラと無駄に大きな音を立てて閉じていく出入口の扉。

 その音に振り返った雪那の目に映ったのは、後ろ手に扉を閉めて声をかけた張本人。幽鬼の如く顔を蒼白にし、それでもなお歪な笑みを浮かべた少年――三神だった。


「ふ、ふ、ふふ、もう、もう終わりだよ、僕は……。もう、終わりだ」


 壊れた人形のような断絶された笑い声。

 呟くような声に、雪那は微塵も動じる事なく三神をまっすぐ見据えた。


「えぇ、終わりよ」


「……何で、何でだよおおぉぉ!」


 あまりにも静かな、雪那の死刑宣告とも呼べるような一言に三神が叫ぶ。


 常軌を逸した、という言葉があるが正にそれだ。

 目を見開いて叫ぶその様はまさに「壊れている」という表現が相応しい光景だった。


 何をしでかすのか分からない狂気とも取れるその様子に、それでも雪那は動じずに佇んでいた。

 いや、出来る事なら逃げ出したい程の恐怖が目の前にはあった。

 それでも雪那は、この狂気を前に逃げ出す訳にはいかないと踏んだのだ。

 逃げようとして逆鱗に触れる可能性がある。


 それにもし逃げる事が出来たとしても、この狂気はきっと他の人間に矛先を向けかねない。

 それが『読書部』のメンバーに向かう可能性、悠木に向かう可能性がある以上、雪那はここで逃げ出すという選択を排除せざるを得ない。


 そう考え、恐怖に震えかけた自分の身体を必死に悟られないように掻き抱くつもりで、それでも毅然と構えるかのように腕を組んだ。


「僕は、僕が! 僕だけが責められるなんておかしいじゃないか! 僕はただ、キミを振り向かせようと! ただそれだけの為に!」


「笑わせないで」


「へ……?」


「アナタの行った行為は最低の一言に尽きるわ。それを私の為だなんて、笑わせないで。

 自分勝手でどうしようもないアナタの行いを『私』を使って正当化されるなんて不愉快だわ」


 冷ややかな口調で雪那が告げる。


 この状況で、こんなにも壊れた相手に対して反論するのも、挑発するのも危険である事ぐらい、当然雪那も理解している。

 それでも雪那はそれを選んだ。


 黙ってやりたいようにさせるのは釈然としない。

 逃げて周りに迷惑を被るのも我慢出来ない。


 ――ならばここで、この場所で心が折れてくれた方が良い。

 もしそうはいかなかったとしても、少なくともこの場で時間を稼げれば誰かが気付いてくれるかもしれない。


 分の悪い賭けではあるが、それでも雪那はその選択肢を選んだ。


「前にも言ったと思うけど、私が誰とどうなろうがアナタには何も関係ない。それをアナタに言われる筋合いもない。

 少なくとも、人を貶めて愉悦に浸るアナタのような人に、私が靡くなんて事は有り得ないわ」


 目を見開いたまま、三神は雪那を見つめて動きを止めていた。






――――






 ――――三神奏に、正面からの全否定という他人の反応は理解出来ない(・・・・・・)


 たかだか17年。

 されどその年月が彼の人生であり、その17年で彼は構築されている。


 両親は仕事で成功し、三神奏は愛されて育ってきた。

 それは彼自身も自負しているところであり、自分もまた両親を愛していると言えるだろう。


 彼と両親の間で行われる日々の会話と日常のやり取りは、三神奏という少年を構築する常識となっている。

 例え、それが一般的に見て歪な、溺愛とも取れる両親の愛情の中で構築されたものであっても、だ。


 幼少期、三神奏の身体は弱かった。

 体調が崩れれば顔が蒼くなり、貧血で倒れかけるという虚弱体質。

 もともと、出生が早産であったこともあってか、彼の両親は大事を取るという選択を再優先してきたのだ。


 代々続く三神家の一人息子。

 そうそう大企業とまではいかない彼の家ではあるが、積み上げてきたその歴史と功績は三神の家にとっては大きく、何よりも大事な誇りでもあった。

 だからこそ、将来の跡取りを大事にしようという両親の想い。


 それが、三神奏の増長を促す事になったのだ。


 子供というのは聡い。

 両親がどれぐらいのワガママを許し、どうすれば喜び、どうすれば怒るのかを見定める。動物が群でボスに従う本能そのものとも言えるだろう。


 義務教育期間は学校を休みがちで、家庭教師を雇って補った。

 体調が本当に悪い訳じゃなくても、ただ一言それらしい事をほのめかせば理解される。


 三神奏という少年はそれが「自分に許されたもの」だと判断したのだ。


 わざわざ学校に行く必要などないのだ、と。

 そこには子供ならではの羨望もあった。


 ――自分は他人とは違う。

 行かなきゃいけない学校に行かなくても良いのだ、と。


 これ程簡単で便利な武器があれば、当然使うに決まっている。

 集団生活における協調性の育成など、当時幼い彼に理解出来るはずもなかった。


 小学校、中学校とそんな生活は続いたが、高校に入る頃になって三神の両親はようやく気付く。

 このままでは息子は、大事な三神の跡取りは、人付き合いというものを理解出来ないのではないか、と。


 だからこそ、聖燐学園を選んだ。

 自主性と協調性を育むには、多少の荒療治も必要だ、と両親は考えたのだろう。


 それは正しくも、あまりに遅すぎる選択であった。


 三神奏は寮に入らなかった。

 他人とのいきなりの共同生活に彼自身が猛反発したのだ。


 ――「何で僕が他人なんかと同じ場所に暮らさなきゃいけないんだ」、と。


 加えて、三神奏は確かに成績が優秀ではあるが、特待生の制度を利用していない。

 正確には、学園側の審査によって利用出来ないと判断されたのだ。中学時代の出席日数のあまりの低さが、彼の両親の弊害となっていた。


 仕方なく両親は息子に一人暮らしをさせた。


 幸いにも仕事の関係で付き合いのある者達に同い年の子がいる。その子らに息子を気にかけてもらえないかと頼めば、一人でもやっていけるのではないか。

 このご時世、連絡はいつでも取れるし頻繁とまではいかずとも顔を見に行く事は出来なくもない。

 もう息子は15だ。体調の良し悪しで学校を休む事ぐらい、自分で判断出来るだろう。


 そんな彼の両親の決断が背景にはあったのだが、当然本人は理解していない。

 三神奏という少年は、そこで自主性を学ぶどころか間違った方向に増長した。


 月額20万円という仕送り。

 そこに1LDKという高校生の一人暮らしに過分な住まいの家賃は含まれていない。

 金を手に入れ、自由を手に入れ、三神奏はさらに自分を特別だと思い込んだ。


 サボってしまえば良いとは思っていたが、せっかく手に入れた自由を手放すのは三神にも躊躇われたのか、高校生活に関してはそういった態度を取らなくなっていた。

 そしてもう一つ、彼が彼にしては珍しく学園へとちゃんと通っていた理由がある。


 ――櫻雪那。


 成績も優秀、見た目も良い。

 少し聞けば、家柄も自分と同じく(・・・・・・)良いと言うではないか。


 だが、だからと言って三神奏のこれまでの人生において、自分から女子に声をかけるという行いは戸惑われた。

 単純な恋心に理由をつけたのか、それとも前提条件に適ったから自分に相応しいと考えたのか、三神自身もそれを理解していないまま、気持ちばかりが募る一年半だったと言えるだろう。


 そうして、三神奏は雪那を欲しつつ、聖燐祭実行委員というポジションを手に入れた。

 話しかける理由を得て、そう出来る立ち位置に立って、三神奏は雪那に接触を図った。


 そこで彼のコミュニケーションに対する力の無さと、常識の欠落が露呈した。



 




 ――――雪那はそんな三神を拒んでみせた。






 これまで自分の意見が通らなかった事などない三神奏という一人の少年にとって、それは苛立ちを生み出した。


 何故言うことを聞かない。

 何故自分に歯向かう。


 三神には理解出来ない(・・・・・・)

 両親に連れられて出会った二人の男子生徒は、三神の家より格下の付き合いがある相手だ。


 当然彼らも、三神奏を否定しない。

 否定はしないが、どうやら同時に信用もしていなかったのだと知ったのはつい先日の夕方だ。


 彼らが自分を裏切ったという事実。

 自分が処罰の対象になったという事実と共に、三和という教師から聞かされた。


 その顛末は既に家に漏れ、生まれて初めて父が自分に電話越しに怒鳴り声をあげてきた。


 全部、全て、何もかもが理解出来ない(・・・・・・)


 遠くに聴こえていた父の怒鳴り声によれば、自分は自主退学という選択を取らなくてはならないらしい。

 手にしたと思い込んでいた自由は、あっさりと崩壊しつつあった。


 そんな三神でも、分かる事があった。


 彼の目の前で腕を組んだこの女子生徒。

 櫻雪那に対する欲求から全ては転がったという事だけが、三神に唯一理解出来た事だった。






――――






「キミの、キミのせい、だ……! 全部キミのせいだ……!」


 歪んだ常識に振り回され、その八つ当たりとも取れる解釈を誰もが責めるだろう。

 しかしそれを誰も知らない。


 震えた口から紡がれた怨嗟の声。

 青褪めた唇が、震えてカチカチと歯を鳴らす奇怪な音と共にそれを吐き出した。


 ゆらりと掲げられた一本の包丁。


 差し出された鈍い光を放つそれが、人気のない建物の中で雪那に向かって鋭く尖った先端を突き付けた。



間に合わなかった言い訳。


……雨で涼しくて、寝心地が良かったんだ……。

ごめんなさい。

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