#006 「ありがとう」
10月に入ったばかり。
季節はすっかり秋になったと言うのに、行き交う人々の熱気にあてられてか学園の中は汗ばむ程の暑さだった。
聖燐祭一日目。
昼の時刻を迎えたからか、喫茶店に客が入ったり食事を取り扱う露店に客足が傾いていた。
客数も午前中に比べて増えているようで、聖燐祭の盛り上がりはピークに達していると言えた。
そんな光景を横目に、俺は瑠衣を連れて『読書部』の部室へとやって来ていた。
一応ここでみんなで昼食を食べようという話になっていたらしい。
「種明かしもありますからね!」
そう嬉しそうに言う瑠衣に、俺は複雑な気分で苦笑した。
今更になって気付いたのだが、俺を見て何やらコソコソと喋っていた生徒達のそれは、暴力沙汰を起こした生徒に対する冷たい言葉ではなく、『聖燐学園の騎士』というどうしようもないアダ名に向けて放たれた言葉であるようだ。
皮肉にも、ずっと耳を傾けていなかったせいで俺は気付けなかったのだが、瑠衣はそれを理解していたらしい。
詰まるところ、俺が瑠衣にまで悪評が及ぶのではないかと危惧していたのは、杞憂でしかなかった、という訳だ。
『読書部』の部室。
そこにいたのは、当然『読書部』メンバー全員。
それに加え、外野クンと長嶺さんと、同じクラスの女子である青宮の計9名だった。
長嶺さんと青宮についてはまだ分かるが、外野クンがいるのは何故だろう。
見事な進化……もとい、変化した華流院さんとデートでもしているのかと思っていたが、そういう訳ではないらしい。
9人も部室にいるとなると、部室の中は少し手狭だ。
机と椅子は壁際まで避けられ、それぞれに椅子に座って談笑したり、立って談笑したりという空気だったはずが、俺と瑠衣の登場に部室内は静まり返った。
「待っていたわ、悠木クン。瑠衣ちゃん」
静寂を破ったのは雪那の一言だった。
――――経緯を説明された。
それぞれのメンバーが色々と動いてくれたおかげで、どうやら俺の噂を上方修正させるという荒業に出たらしく、その結果が瑠衣の連れて行ってくれた特設ステージでの結果。
つまりは、『男女人気コンテスト』とやらでの俺の一位という謎の順位、だ。
話を聞いた後に起きたちょっとした沈黙の中、皆の顔を見回した。
皆一様に悪戯がバレましたと言わんばかりの顔――をしているかと思いきや、やりきった感が溢れる晴れやかな顔をしてやがる。
「――……成る程な……。というかなぁ……」
ツッコミたい箇所が満載だ。
頭を掻きむしりながら俺は言葉を探る。
ふと長嶺さんを見ると、長嶺さんも皆と同じく晴れやかな表情をしている。
こんな形で、俺のせいで自分がふられたなんて恥を知られるというのに、どうしてそんな顔をするのか、よく解らない。
まぁ、長嶺さんは良い子だとは思うし、黙っているのは心苦しい所もあったのかもしれないが。
ただ、今回の俺の噂を払拭する為に、ただそれだけの為に自分の恥ずかしい過去を暴露するなんてしなくても良かったと思う。
そう言及しようと口を開きかけたところで、雪那が先に言葉を発した。
「悠木クン、色々訊きたい事もあるでしょうけど、先にこれだけは伝えておくわ」
「ん?」
自分が先導した、とでも言うつもりなんだろうか。
「裏で情報を操作するのも、案外楽しいものよ」
………………。
「なぁ雪那さんや。それはわざわざ前振りするところなのか? その流れ的に、俺の為を思ってやった事だから、とかさ。説得があると思うんだよ。他にも選ぶべき言葉やら態度があったんじゃないだろうかと思うんだ。
何をちょっと輝いた笑顔で言ってやがらっしゃるのか俺には理解出来ないんだが」
「あら、別に責められるなんて思っていないもの。
それに言ったはずよ、悠木クン。これは私達『読書部』全員の戦いなのよ。悠木クンが沈黙を貫こうと黙っていたとしても、私達がそれを許すつもりがないもの。
悠木クンの心情なんて知ったことじゃないわ」
「え、何その俺の葛藤とかそういうの全部無視してる感じ」
酷い言われようだ。
俺はてっきり、雪那に言った通り「責めるならみんなを煽った私にして」とか言われるのかと思ってたんだが、斜め上をいく感想が飛んできた。
「悠木クンの葛藤なんて、どうせ誰かを貶されてカッとなったっていう経緯を話して、三神クンに何かを言われた誰かが「自分のせいで悠木クンが」って思ってしまうとか、そういう葛藤でしょう?」
「う……、ま、まぁ……」
「そんなの、アナタが背負う問題じゃないわ。
だいたい、陰でゴチャゴチャ言われたとしても、言われた人間の品位が落ちるなんて事はない。言わせておけば良い。陰口を言って人を貶めて悦に浸るなんて、ただ自分より他人を下に見せたいだけのただの自己満足よ。得られるものなんてない。口にした本人が他でもなく自分自身を貶めるだけで、何も生まれはしないわ。そんなものを相手にする必要なんてない。
だけど、アナタはそれが出来なかった。だから言わせてもらうわ、悠木クン――」
雪那が直球の言葉をまくし立てるように次々に吐き出しながらまた数歩ずつ歩み寄り、そして俺の目の前で足を止めた。
「――……ありがとう」
「……へ?」
てっきり馬鹿だのなんだのと言われるのかと思っていただけに、雪那のその言葉に唖然とさせられる。
「私達の中の、誰の為か。そんなことどうでも良いよ。悠木クンは誰の事を言われても多分怒ってくれたと思うしね」
「まぁ、悠木は案外熱いタイプだからな」
篠ノ井と巧の二人が、どこか呆れの混じった笑みを浮かべて言い合う。
「まぁ、悠木クンにはみんな何だかんだ甘えてるからねぇ。そういう意味でも、「ありがとう」はみんなからの言葉だねー」
「……水琴先輩は甘えるっていうよりも迷惑をかけそうな気がするです」
「るーちゃんが辛辣っ!?」
瑠衣と水琴も、巧と篠ノ井と同じような顔をして口を開く。
話してる内容はアレだが。
「……永野クン、今までありがとう。心配してくれなくても、私ならもう大丈夫だから」
「鈴が何か言われるような事は、私達がさせないから。元はといえば私が元凶だった部分もあるし、その、ありがとね」
長嶺さんと青宮が、わざわざ俺にそんな言葉を口にする。
「そう言われてまで「まだ隠せ」なんて言うつもりはねぇけど、……本当に良いのか?
あの時の話が表に出たら、それだけで噂の相手が誰なのか、分かるヤツには分かるぞ」
「うん。でもね、それでも良いの。永野クンはずっと自分一人で耐えてくれたんだし、今回の事で永野クンの汚名が晴れて助かるなら、今度は私の番、だよ。
なんて、今まで守ってくれてたのに、ちょっとカッコつけすぎちゃってる、かな……?」
「いや、そんな事ねぇよ。あの時は俺がそうするって勝手に決めちまったし、それが今回の事で公になるとは思ってなかったけど、な。
……なんか、こんな形で知られるハメになっちまってごめんな、長嶺さん。それに青宮も」
「鈴が良いって言うんだから、それで良いよ。それに謝らなくちゃいけないのはやっぱり私なんだから、それはナシ。こういう時はありがとうって言いなさいよね」
「そうだよ。ごめんより、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいよ」
長嶺さんが恥ずかしそうに笑う。
なんだろう、この子。
ちょっと俺の中で好感度が急上昇してるんですけど。
「……え、あ、永野――」
「――安心して良いよー。長嶺さんの名前とかは一切表に出すつもりはないからさ」
流れ的に何かを言わなきゃいけない流れだと感じたのか、外野クンが何かを言おうとした瞬間、水琴が外野クンのセリフを遮った。
それを狙ってやってるならお前は大した悪女だよ、水琴。
「まぁ、なんだ。確かに青宮の言う通りだわ。
……ありがとな、みんな」
俺の為にわざわざみんなが動こうとするなんて、思ってもみなかったってのが本音だ。
正直、気恥ずかしさすら感じる気分だ。
結局俺は、自己満足で動いていただけなんだろう。
ここにいるみんなに相談もしないで、勝手に全部俺が背負おうとして。
俺はそれで良いと思っていたけど。
裏を返せば、俺はみんなに相談しようともしないで、勝手に突っ走っただけだ。
もしこれが、俺じゃなくて他のメンバーだったら。
俺はきっと、こうしてみんなと一緒に何とかしようとか思ったのかもしれない。
一人で背負って終わらせようとしたら、責めたりしたかもしれない。
だから俺は、改めて感謝を――――
「――悠木クンがデレた! デレたよ!」
「なかなか見ないわね、悠木クンが素直にお礼を言うなんて」
「悠木先輩が素直になるのも珍しいですね……」
「巧! レアだよ、レア!」
「悠木が素直にお礼言うなんてあるんだな」
――――返せと言いたくなった。
その後。
水琴はあの特設ステージの司会運営を手伝いにすぐに部室を後にした。
それに乗じて長嶺さんと青宮も部室を後にして、外野クンもさりげなく出て行ったらしい。気付かなかったが。
巧と篠ノ井の二人もまだやる事があるとかで出て行き、部室には俺と瑠衣、それに雪那の三人が残っていた。
「それじゃあ、私も行くわね」
「おう」
「雪那先輩、今日はずっと実行委員会のお仕事なのです?」
「えぇ、今日は自分の時間が取れないの。その代わり、明日は空いてるわ」
いつもの澄ましたような雰囲気とは少し違う、どこか疲れた表情で雪那が瑠衣に向かって答えた。
「大丈夫か? ずいぶん疲れてるみたいだけど」
「どこかの誰かさんが何でも背負い込もうとしてたせいで、色々とやる事が多かっただけよ」
「……悪いな」
「……ふふっ、冗談に決まってるでしょ」
くすくすと笑いながら雪那が答える。
俺にとってはあまり笑える話って訳でもなかったりするんだが。
「瑠衣ちゃん、悠木クンの事をからかえる機会なんて滅多に訪れないわ。これを機に日頃の鬱憤を悠木クンにぶつけるチャンスよ」
「た、確かに言われてみればチャンスなのかもしれな……っ!? 冗談です。冗談ですから……っ!」
「おい瑠衣、早くその手をどけろ。頭の頭頂部を上から押して背が伸びない呪いを施してやる……っ!」
俺が瑠衣の頭に向かって手を伸ばそうとした瞬間、瑠衣がそれを察して後方へと下がっていく。
おのれ、読まれたか。
「……ホントに、アナタ達ってまるで兄妹よね」
「瑠衣、一度で良いからお兄ちゃんって呼んでみてくれないか」
「え……、って、キリッとした顔で何を言ってるんですか……」
呆れられた。
おかしい、いつもの瑠衣にしてはツッコミにキレがない。
「あ、悠木クン。気をつけてね」
「ん?」
「三神クンの事よ。あのコンテストの中間結果発表で彼、ずいぶんと苛立っていたみたいだから。もしかしたら、また悠木クンにちょっかいを出しに来るかもしれないわ」
「まぁ、確かに貶めようとした俺が一位にいるなんて知ったら、アイツなら何かやらかしかねないか……って、それを言うなら雪那こそ気を付けろよ」
「私なら大丈夫よ。他のクラスの女子達と一緒に仕事するもの。それに、三神クンの立場から考えても私にどうのこうのなんて真似は出来ないはず。
それより悠木クンの方が何かされかねないわ。ちゃんと自分の事と瑠衣ちゃんの事をしっかり守ってあげるようにね」
「大丈夫です! 悠木先輩は私が守ってあげなくもないですよ!」
「え、お前に守られるとかないわ……」
「っ!? 失礼です!」
俺と瑠衣が相変わらずのやり取りをしていると、雪那は笑いながら「それじゃ」とだけ告げて部室を後にした。
「……はぁ。まさかこんな事になってるとはな」
「えっへっへー、悠木先輩だけに守られる『読書部』ではないのです」
「まぁ、曲者揃いっちゃ曲者揃いだからな、ここは……」
俺の知らないところで色々と動いて、その上まさか裏から情報を操るなんて考えてもいなかった。
思わず疲れて椅子に腰掛け、溜息を吐き出した。
「悠木先輩は、もうちょっとみんなを頼らなくちゃダメですよ。……じゃないと、私達が一緒に立てないじゃないですか……」
「どういう意味だ?」
「……何でもないです。とにかく、これで一件落着なのです。一休みしたらまた続きに戻りましょ」
瑠衣は誤魔化すかのように笑って、俺にそう告げた。




