#005 仏の三和
「思った以上の結果ね……」
「うーん、もうちょっと粘ってくれても良かったんだけどねぇ……」
「……三和先生、その発言はどうかと思いますけど」
生徒会室で思わず呟いてしまったレイカに答えたのは、生徒会顧問の三和だ。
口ではしっかりと三和に釘を刺しながらも、レイカもまたそんな三和の言葉を否定は出来なかった。
今しがた、巧とゆずの両名から追加の証言が届けられた。
自分が悠木の場所にいるはずだったと嘆く三神の声は、酷く滑稽な末路だ。
被害者であり、悲劇の主人公をプロデュースしようとしたつもりかもしれないが、なんて事はない。
彼はただ、喜劇のピエロに成り下がっただけだ。
それにしても、三和の言う通りだとレイカも些か肩すかしを食らった気分であった。
これでは、尻尾が出るのが早過ぎる上に、何にしても総じて言えるのは『詰めが甘い』の一言だ。
張り合いがない、とでも言うべきだろう。
「まぁこれで、私も少し楽になるわねぇ」
「ユーキ――いえ、永野クンの擁護について、ですか」
レイカの確認するかのように問いかけに、三和は特に表情を崩す事もなく笑みを浮かべて答えた。
「当たらずも遠からず、かしら。その先に私が解決したい問題がある、と言えば良いかしらね」
「その先、ですか。大人達の都合ですね、私の範疇外です」
「フフフ、そうかもしれないわね。でも、だからと言ってあながち無関係な問題という訳でもないのよ、美堂さん」
「……その意味を伺っても?」
「いいえ、その答えはもうアナタの中にあるわ。どうかしら、何か思い付くことがあるんじゃない?」
楽しげに、授業のように問いかける三和の言葉を聞いて、レイカは短く言葉を切って頭を整理する。
――そもそも今回の騒動のきっかけは、雪那に対する三神の『一方的な理想の押し付け』から始まったものであり、その結果、『悪い印象を持っている悠木』を叩く事で、自分に振り向いてくれるだろうという『ただのお門違いの勘違い』が原因で始まった騒動だ。
それぐらい、雪那の話を聞けば誰もが理解出来るだろう。
正直に言ってしまえば、この騒動について雪那から経緯を聞いたレイカは、そのあまりにも稚拙で独り善がりな原因を知って鼻で笑った程である。
その真相を三和に話した時、三和に至っては何かがツボにはまったのか、肩を震わせ、涙を堪えながら笑い続けるという始末であったが、それについてはレイカも、いちいち咎める気にもならなかったというのが本音だ。
それぐらい、言うなれば『酷くお粗末な理由』なのだ。
ともあれ、今回の騒動の主題とも呼べるのは、あくまでも『三神に対する悠木が振るった暴力沙汰』だ。
騒動に至る経緯についてを考えれば、そしてその背景を知った今となっては悠木の行動にも情状酌量の余地がある。
それでも、悠木が『暴力を振るった』という証言がある以上、これを覆す事は出来ない。
彼を無罪とするには些か『邪魔な問題』があるのだ。
それこそ、『悠木が過去に悪評を受け、その為に教師から目をつけられている』という一年前の初夏に流れ、悠木と三和を引き合わせた一件であった。
これがある限り、『悠木が無害な少年である』とは思えない教師もいるだろう。
そういう意味では、三神の着眼点はある意味正しかった。
あまり良くない噂の人物である悠木を貶める為に、そして雪那から離れさせる為にという名目で、彼は追撃に出たのだ。
それが、三神が圧力をかけた生徒達からの掲示板への書き込みだ。
その姑息な策もまた成功し、悠木が暴力沙汰を起こしたという噂は学園の全生徒に流布され、悠木が悪であるというレッテルを貼り付けてみせた。
――確かに三神はこの時、自分の策が全て思い通りに進み、同時に有頂天となった。
同時に、彼自身が『最初のミス』を冒している事になど気付いてすらいなかったのだろう。
そのミスとは言うまでもなく、レイカにとってみれば自分達の存在――つまりは聖燐学園生徒会だ。
三神が大々的にパフォーマンスしたが為に、レイカ達が動く動機を与えてしまう形となったのである。
レイカから雪那へと話が渡り、そして雪那から『読書部』へと話が渡る。
そしてこれが、三神にとっての負のスパイラルの始まりだったのだろうとレイカは考える。
――まず第一に、三神が『狙った相手』が悪過ぎたのだ。
永野悠木。
レイカにとっては幼い頃を知る友ではあるが、それを除いてみても悠木は『読書部』の中軸とも呼べる立場にいる人間だ。
それは、雪那の態度に加え、部活の様子を見に行ったあの時の空気を見れば、一目瞭然とも言えた。
レイカは知らないが、あの時は巧とゆずの問題なども踏まえ、『読書部』はバラバラにさえ見えた。
それでも彼女達『読書部』の面々は、悠木に対してはその態度を変えようとはせず、また悠木もそんな彼女達の面倒を見ているかのようにも見受けられた。
だからこそ、レイカは三神が『狙った相手が悪い』というその事実に気付いている。
彼は『読書部』の中心にいる人物を叩いてしまった。
それだけで『読書部』の全員も、その中にいる雪那も。
加えて自分――つまりは生徒会長という立場の美堂レイカをも敵に回した。
それだけで三神の冒したミスは終わらなかった。
今回最も大きい彼のミスとも呼べるのは、『自分にとって都合の良い解釈でのみ、『読書部』を評した』ことだ。
三神は、もしも悠木が処罰を受け、その派生から『読書部』が影響を受けるに至らなくても至っても、どっちでも良いと判断したのだろう。
彼の根底にはどうやら、物事を『自分にとって都合良く想像してしまう』悪癖がある。
つまるところ、彼はこの騒動によって、『雪那も現実を知って目を醒ます』と思い込んだのだ。
敵に回した理由も、それだけの事をしておきながら描いたリスクすらも甘く、ただただ甘やかされて育ってきた箱入り息子の図。
今回の三神は、正しくそれであったとレイカは評している。
そんな彼の悪癖が、その甘さが『今』を作り上げている事など思いもしないだろう。
この状況を例えるなら、三神は知らず知らずに藪を突いた。
少しオーバーな言い方をすれば、眠れる獅子を起こしてしまったとでも言うべきかもしれない。
兼末水琴。
彼女が最初に動いた。
一年前の噂の真相を何処からか入手し、悠木の過去の悪評を一瞬で上書き出来るだけの真実を手に入れてきたのだ。
偶然だったと本人は公言しているが、何やらそれらしい裏話を聞きつけて鎌をかけたように見えたのは気のせいではないだろう。
次に動いたのが、櫻雪那だ。
同じクラスで三神と親しくしている男子生徒を把握し、その背景を調べてみせた。
情報の出処を聞いてみたレイカに、雪那は淡々と答えた。
――「持つべきものは、使える姉よ」。
姉を姉として扱っていないかのような発言である。
その発言に言い知れぬ恐怖を感じたのは、あの場にいた『読書部』の面々全員だろうとレイカは振り返る。
そして、雪那の情報を利用し、交友関係を通じて三神の取り巻きを味方に引き込んだのが、風宮巧と篠ノ井ゆずの二人だ。
特に、篠ノ井ゆずの人当たりの良さ――という仮面だろうとレイカは見抜いているが、それが功を奏し、二人はあっさりと情報を手に入れたのである。
最後に、宝泉瑠衣だ。
彼女はさりげなく、一年生の間に一年前の噂を流布させた。
それがどんな方法であったのかはレイカも聞けなかったが、ともあれ『お嬢様学園』に憧れて入ってきた一年生に、『女子が傷つかないように、その汚名を被ってまで沈黙した騎士』というネームバリューはさぞ強力だったのだろう。
――そして最後の協力者こそが、ここにいる三和だ。
生徒会主催の『男女人気コンテスト』。
こんな俗っぽい企画だ。
いくら生徒会主催であっても聖燐学園の歴史を鑑みれば許可が下りるはずもなく、ましてや開催の迫った月曜日に突然そんなものを行うという強硬策が、通るはずもなかった。
それを捩じ込んでみせたのが三和であった。
――さて、とレイカは考える。
この先にある三和の目論見が、一体何であるのか、と。
「ヒントをあげましょう。
私が解決したい問題をアナタはもう知っているわよ」
レイカがその言葉を聞いて、三和との会話を思い返す。
三和とこれだけ長い時間話し込む機会はこれまでレイカにはなかった。
この秋から新生徒会長という立場に入るレイカと、生徒会顧問として長年の経験を持った顧問であり、それ以上の関わりは特に持たなかった。
事務的な会話以外に思い出せる内容と言えば、唯一悠木の一件について聞かされた時が始まりだっただろうか。
そんな事を考えて、レイカは顎に手を当てた。
それは確か、レイカが悠木を生徒会に推薦した数日後だったか。
悠木の一件によって、男子生徒の生徒会枠がなくなったという話を聞かされた頃だ。
「――……あ……。そういう事ですか」
「気が付いたかしら?」
何かに気付いた様子で呟いたレイカに、三和が笑顔のまま、それでも目の奥は鋭い眼光を携えたままに尋ねた。
その表情を思い出し、レイカは改めて記憶を掘り起こし、同時に今となって浮かんだ疑問を口にする。
それは、『男子生徒枠の候補から外す』という言葉ではなく、『男子生徒枠をなくす』という言葉であった。
そこに至った理由を、確かに三和は口にしていた。
「『男子生徒を毛嫌いしている先生』、ですね」
確かに三和が言っていた言葉だ。
ようやく行き着いたその答えに、三和はより一層笑みを深めてみせた。
同時に、レイカは理解した。
恐らく自分と三和は志を同じくしている、と。
それはつまり、女子校から共学校へと変化したにも関わらずに生まれている、男女の垣根を取り払うという目的についてだ。
だからこそ、ただ短い会話の中からレイカは三和の意図を汲み取れたのかもしれない。
そうレイカは考える。
例えば今回の悠木の件だ。
もしもここが聖燐学園ではなく、一般の公立高校などであればここまでの大事にはならなかったはずだ。
男子生徒同士のいざこざ。それもこの程度ならただの注意で済む。
しかし、『伝統ある聖燐学園で、男子が起こした今回の問題を軽視出来ない』という姿勢を貫き、男子生徒に厳しく罰を与えるべきだと謳う教師陣もいる。
同時に、今回を機に『生徒会の男子枠を撤廃する』という案さえも出ているのだ。
今回の悠木の一件が、ある意味ではその燻っていた『男女共学化』に置いて有耶無耶になってしまっていた確執を浮き彫りにさせた。
三和は今回、それを最大限利用するつもりだ。
ただこれだけの騒動を三和は何かに利用するつもりでいる。
その具体性は把握出来ない。
ましてや、『男子生徒を毛嫌いしている先生』とやらがいたとして、何をどうするつもりなのかまでは不透明だ。
それでも悠木を、レイカを、雪那を。
そして、三神でさえも利用するつもりなのだろう。
確実にこの機を利用して、何かを起こすつもりなのだとレイカは直感する。
利害関係の一致で、今回は三和が味方についてくれた。
そんな、雪那がレイカに言い放った言葉を改めてレイカは思い返す。
今回のレイカ達の行動は、ある意味では間違いなく三和に対して『借り』を作る事になる。
レイカがその状況整理に行き着いたと判断したのか、三和は口を開いた。
「ねぇ、美堂さん。永野クンを前に、生徒会に招集したいと言っていたわよね?」
「……えぇ。ですが彼には断られてます」
「そうね。確かに彼は一度断っているみたい。
確かに彼が懸念していた一年前の噂の事もあったし、こんな騒動が起きてしまったのだもの。もしも頷いていても断る必要があった。
けれど、この聖燐祭の後ならどうかしら? 例えば、そうね。男子生徒もアナタを決めた選出投票と同じく、他薦による選出投票を設けてしまったら?」
――そうなってしまえば、間違いなく今回のコンテストの結果がそのまま反映されかねない。
レイカはそれを悟って思わず目を瞠り、三和の顔を見つめた。
そんなレイカに気付きながらも、三和はすっと自分の腕時計に視線を落とした。
「あら、もうこんな時間ね。私ちょっと用事があるからこれで失礼するわね」
温和な笑みを浮かべて去る三和を見送り、レイカは椅子の背もたれに身体を預けて深く嘆息する。
一瞬垣間見た三和の本性とも言うべきか。
その目は、明らかに何かを企み、いっそ悪役ですらあるのではないかと。
思わずそんな印象を抱いてしまう。
もしも、もしもだ。
三和が今回の『借り』の代わりに、悠木の生徒会辞退を許可しないと言ったのなら。
悠木は恐らく、その条件を呑まざるを得ないだろう。
確かにレイカは生徒会に悠木の手が欲しいと考えた。
それはあくまでも彼が、レイカと他の生徒に比べて深い仲にあり、レイカ自身がそれを望んだからではある。
しかしそれも、悠木さえ良ければ、という前提が必要になってくる。
レイカの中に確かに生まれる可能性。
今回の騒動の末路が、三和の描いた道筋であったなら。
悠木を生徒会に入れるというその考えが、三和の描いたシナリオだったとしたら。
きっと彼女はこの先に、悠木を生徒会に入れる。
それはまるで新しい風どころか、劇薬を投与するかのような考えを基に構想を練っているのではないか。
そんな予感に、レイカは顔を僅かに顰めた。
「……仏の三和、ね」
そんなアダ名で呼ばれている教師、三和。
何が仏なものかとレイカは一蹴するかのように呟いたのであった。