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私の彼氏は普通に見てかっこいいと思う。眉がキリリとカーブを描く顔は甘くないけどやんちゃな感じに整っている。ニッと唇の端を上げた笑顔がかわいくてキュンとなる。
ガタイもよくて、身長は180センチある。でも部活には入っていない。運動部の勧誘も退けていた。身体を動かすのは体育の運動や休み時間のバスケだけで充分なんだと。
成績は苦手科目と得意科目で両極端。ま、文系の彼氏と理系の私でかぶってないから補い合えて丁度いいんだけどね。
スペックも高いし、何より当の私がベタ惚れしちゃってるんだから文句の付けようもない彼氏なんだけど、ただ一つ、問題が。
「ね、今日帰り買い物付き合ってよ」
「わりぃ。麻里が風邪引いて学校休んでんだ。心配だからまっすぐ帰る」
放課後、ホームルームの後にそう言い置いて、晃希はダッシュで去っていった。
麻里ちゃんとは晃希の妹のことだ。
――そう、私の彼氏はシスコンだった。
「相変わらず妹ちゃん第一だねー、赤坂は」
「まあ、確かに麻里ちゃんかわいいんだけどね……」
呆れと感心が同居したような顔で近付いてきた友達の由奈に、諦めの溜息を吐きながら答えた。
「明日実ちゃん、いらっしゃい!」
日曜日の朝、晃希の家へ行くと弾けんばかりの眩しい顔で麻里ちゃんが出迎えてくれた。
「おはよー麻里ちゃん。風邪引いたって聞いたけど大丈夫?」
「ええ?」と睫毛ばさばさの大きな目が丸くなる。
茶色みがかったフワフワのボブがさらさら揺れた。麻里ちゃんが口に手を当てていたずらっぽく笑う。
「あんなの37度しかなかったし全然大したことなかったんだよー。お兄ちゃんが大袈裟に騒いでただけ。でも学校休めてラッキーだった。お昼には下がってたからサボリみたいなものなんだけどね。――それより明日実ちゃん、ミニタルト作ったの。オレンジとかラズベリーとか沢山種類があるんだよ」
食べて食べて、と麻里ちゃんが私の腕に抱きついて引っ張っていく。
ああもう、美少女でお菓子作りが趣味で小動物のように懐いてくるって一体どういう采配なんですかちくしょうめ。晃希じゃなくても愛でてウリウリしたくなるってもんですよ。
リビングに入ると、テーブルに座った晃希がコーヒーを片手にミニタルトを頬張っていた。色とりどりの、宝石のようなフルーツを載せたミニタルトがお皿に形良く飾られている。レースペーパーが敷かれているところなんか芸が細かい。女子力高いぞ、さすがは麻里ちゃん。
それにしても晃希、甘い物が苦手で私がクッキー焼いても「食べらんねぇ」とか言って味見もしてくれないくせに。コーヒーがブラックだってところがかろうじて晃希の努力を表しているか。ちなみにバレンタインはカツサンドを贈っておいた。腹が膨れると喜んでいた。
「お兄ちゃんにも食べてもらってるんだよ」
隣の私ににっこり語りかけてから、麻里ちゃんは晃希の方を向いた。
「お兄ちゃん、美味しい?」
「まあまあだなー」
ツンデレってやつかお前は! 麻里ちゃんのお手製なら炭の塊みたいなトーストでも嬉しがって食べるくせに、わざとそっけない返事をしている。緩んでる口元隠せてねーぞ晃希。
「もう、お兄ちゃんったらいっつもそうやってイジワル言う。いーんだもーん、明日実ちゃんに誉めてもらうんだから」
子リスめいた仕草で頬を膨らませる麻里ちゃんは私の方を向くとほころんだように笑い、座って座ってと促した。晃希をチラリと窺うと、それはそれはもう優しい眼差しを麻里ちゃんに注いでいる。一遍でもいいから私に向けてみろってんだ。
恐ろしいことにこの兄妹、血の繋がりがない。二人がそれぞれ十歳と六歳の時に、晃希のお父さんと麻里ちゃんのお母さんが再婚した。連れ子同士、義理の兄妹という関係だ。
今、晃希は十七歳で麻里ちゃんは十三歳だ。もしかしたら、晃希は麻里ちゃんがもっと大きくなるのを待っていて、私はその繋ぎなんじゃないかと薄ら寒い想像のよぎる時がある。私たち、一応彼氏彼女のやることやってるしね。
晃希の麻里ちゃんに対する溺愛ぶりを目の当たりにしていると、もう勝手にしてください、と自棄気味におもってしまうのだ。
じっと見ていると、シスコン彼氏さまがこちらを向く。目が合った。
「おはよう明日実」
ふと、私の存在を思い出したように言う。
いいんだけどさぁ……
私が晃希と初めて出会ったのは去年、高1の十一月だった。
雪がちらつきそうに寒い日で、生理中の私はあまりにもお腹が痛くて保健室に向かっていた。友達の付き添いも断って一人で廊下を歩いていたんだけれど、途中で貧血になってしまった。後にも先にも生理中の貧血なんてこの時だけだった。
やっぱり由奈についてきてもらえばよかったかなー、と若干後悔しながらしゃがんでいると、声をかけてくれたのが晃希だった。
弱っている時に優しくしてくれて、しかもその相手がかっこいいなんて惚れるしかないっしょ。
私は頼りになる肩にしおらしく掴まりながら保健室へ連れていってもらい、お礼を言うついでに名前とクラスを聞き出した。その後晃希のことを調べた。彼女はいないという幸運な情報をゲットして、告白を経て今に至っている。
まあ、今なら彼女が途切れていた理由がいやというほどよく分かる。みんな麻里ちゃんの前に敗北していったんだろうなー。
放課後週二回、麻里ちゃんを塾に送っていかなきゃならないとかで、晃希の予定は埋まっている。休みの日、映画行こうよと誘うとその日は麻里ちゃんを新しく出来たショップに連れていく約束で、ついでに昼ごはんのあとに件の映画を観にいくからダメだという。
クリスマスはもちろん麻里ちゃんに捧げられていて、私は友達とカラオケやDVDに明け暮れた。プレゼント交換は学校だったけれどイヴに行うことができた。必死こいて仕上げた手編みのマフラーは、一応受け取ってもらえた。二学期最後の登校日に感謝だ。休みだったら多分会えなかった。マフラーが使用されている場面を見たことがないという事実には触れないでほしい。
晃希が私にくれたのはクマのぬいぐるみで、一方の麻里ちゃんには少し大人っぽいネックレスを贈ったらしい。――普通逆じゃね?
初詣は頼みに頼んで二人の間に割り込ませてもらった。何かが間違っているなんて一般的な考え、私の中からは既に追い出されている。
高2の今、クラスも同じになり、色々諦めながらなんとかカレカノとして続いている。
だって、なんだかんだで晃希のことが好きなんだよね。麻里ちゃんがいないところではちゃんと私を優先してくれるし、一緒にいて楽しいし。あと、麻里ちゃんは真性にかわいい生き物だから妬む気にもなれない。
愛とは寛容の精神だ、とか深いことを感じ入ってしまう今日この頃。
夏休み手前のある日、夏祭りに出かけた。
花火なんかも上がる割と大きなお祭りで、遠くの人も電車に乗ってやってくる。会場の神社はカップルや家族連れ、友達同士で来た人たちでごった返している。私はもちろん晃希と――それから麻里ちゃんと三人で訪れた。
レースのノースリーブになま足のミニスカート、それからミュールという露出大めの格好で晃希の気を惹こうと思っていたら、シスコン兄さんは妹の浴衣姿に釘付けだった。
そうだわな、藍染めの古式ゆかしいスタイルにアップした髪から垣間見えるうなじとか、下駄の鼻緒から覗く白い足の甲とかの方がチラリズムでぐっとくるわな。そこに祭りへの高揚のあまり、上気してピンクになった頬とかあったら目が離せませんわな。
「お兄ちゃん、あれ取って!」
「しょうがねーな」
わざとらしいしぶしぶ感を演出しながら、晃希はおねだりする麻里ちゃんのために金魚すくいや水風船捕獲にハッスルしていた。奮闘の甲斐あって大量収穫し、私にもおこぼれが回ってきた。これで嬉しいと思うあたり、私もそろそろ幸福の価値基準がヤバいところにきてるんじゃないだろうか。
わたあめやかき氷、たこやきなんかを食べて射的をしつつ、夜店を堪能していたら時間はあっという間に過ぎて、気がつけば九時手前になっていた。
「麻里ちゃん、大丈夫?」
「うん、ゆっくりだったら歩ける。迷惑かけてごめんね、明日実ちゃん」
境内の石垣に腰掛けてしょぼんと項垂れる麻里ちゃんに、そんなことないよーと頭を撫でてやりながら否定した。なんて遠慮深い良い子なのかしら、この子ったら。
麻里ちゃんは履き慣れない下駄で指の股を痛めてしまった。正しい女の子像を地でいく彼女は準備よく用意していた絆創膏を貼って凌いでいたものの、痛みが強くなっているらしい。
もっと遊びたいと口を尖らす麻里ちゃんを、彼女の様子を逐一気にかけここまでだと判断した晃希が言い聞かせた。
ついでにあなたの彼女もミュールで結構足が痛くなってるんですけど気付いてくれませんかね、まあ無理だろうけど。こんなの履いてきた私も悪いし。
「じゃあ明日実、一回ウチ来て。それから送ってくから」
ここ、夏祭りの神社は私の家と赤坂兄妹宅のほぼ中間地点にある。百メートルぐらい二人の家が近いか。
晃希はあんまり麻里ちゃんに負担をかけたくなさそうだった。私も、歩くたびに顔を歪める麻里ちゃんの姿には心が痛む。
とはいえミュールに圧力をかけられた私の足も元気溌剌とはいえない。さっさと家に辿り着いてぐでっとのびてしまいたい。
ま、一人で家に帰れと言わず、送ってくれる気があるってだけでも上出来だね、晃希くん。
「いいよー」
私は顔の前で手を振って答えた。
「ここから十分ぐらいの距離だし、ここで解散しよ」
「ダメだよ明日実ちゃん、こんな夜遅くだし危ないよ! それだったら私ここで待ってるから、お兄ちゃん先に明日実ちゃん送ってって」
麻里ちゃんが腕を一杯に広げて言い募る。
「んなことできるわけねーだろ」
健気な提案を、晃希は有無を言わさぬ口調で却下した。
全くだ。こんな浴衣美少女を放置しておくとどんな悪い虫がよってくるか分からない。って私に対してとじゃ面白いくらい必死さが違うじゃねーか晃希。
私ならいいのかよ! とは今さらすぎる虚しいツッコミだ。
「ダーイジョーブだって。夜遅いってまだ九時じゃん。年下は年上の言うことを素直に聞きなさい」
「ほんとにいいのか、明日実?」
おおっ、麻里ちゃんがいるのに私を気遣う晃希、レアだ。私ってば女扱いされてんじゃん。これだけでどんぶり飯三杯はいける。つか足が悲鳴あげてんだよ。一刻も早く帰りたいんだよ。察しろよ。
内心の声はおくびにも出さず、私は余裕の笑顔を披露した。
「うん。また明日、学校で」
「気をつけてね、明日実ちゃん」
帰ったらメールしろよ、と呼びかけてくる晃希の声を背中に受けつつ、よろけてしまわないよう足の動きに気をつけながら二人の前から立ち去った。足が痛いってバレたら麻里ちゃんが気にして面倒なことになりそうだしね。
でまあ五分後、やっぱ夜道に女の一人歩きは危ないんだなと痛感した。なんでこんな時にミニスカートなんだ私。
今、私は草むらで、息の荒い見知らぬ男に押し倒されてるわけだ。
片手で纏めて抑え込まれている手は動かそうとしたってビクともしない。悲鳴を上げようにも口はもう片方の手で塞がれている。
せっかく晃希が(麻里ちゃんのために)取ってくれた水風船は割れてペラペラのゴムくずになっているし、金魚は途中で落としてしまった。もう生きらんないよね。可哀想なことした。
くそっ、ミュールなんて二度と履かねー。これのせいで逃げらんなかった。
晃希、ここでかっこよく助けにきてくんないかな……