赤い希望(2)
赤い色は時として残酷な色へと豹変するが、今の悠真には希望の色に見えた。空挺丸に乗り紅が現れた。この、閉ざされた場所に鮮烈な赤が満たされていく。
「紅」
悠真は思わず彼女の名を呼んだ。様々な顔を持つ色神。火の国を支えている紅の石を生み出す色神紅。逆光だから、悠真から紅の顔は見えない。けれども、誰が紅なのかすぐに分かった。紅はなんとも言えない雰囲気を纏っているのだ。香の匂いが漂った。辺りを浄化するように、その場を紅の空間へと変えていく。涙が出そうなほど、悠真は嬉しかった。
「ここにおったか。わらわに牙を向ける反逆者は……」
紅はしどけなく、それでも優雅に空挺丸から足を下ろした。紅が足を下ろしやすいように、そっと都南が手を貸していた。赤の茶会のような気安い雰囲気は紅から漂っていない。そこにいるのは、高貴で威圧的な紅の姿だった。
紅が踏みしめた場所から赤が広がり始める。一歩、一歩と紅が足を進めるたび、足跡を起点にして赤が広がっていく。
赤い色は悠真に安心感を与えた。赤は残酷だが美しく温かい色。紅が足を進め、悠真は紅の顔を見ることが出来た。紅の言葉を借りるなら、それは理想の紅像その一だ。高圧的で、高貴な雰囲気。深紅の紅を唇に差し、まぶたの上には赤い線を引く。幾重にも重ねられた赤い着物が美しい。赤い着物を引きずるように、紅は土の上を歩いていた。黒い長髪にはいくつもの簪が挿され、彼女の高貴さを引き立たせていた。そんな彼女の傍らには、野江と都南、そして佐久がいた。遠次がひっそりと歩き、空挺丸から鶴蔵が僅かに顔を覗かせていた。
「醜い屋敷じゃ。赤が嫌うほど、空気がよどんでおる。汚らわしい」
紅は口元を着物で押えながら辺りを一瞥すると、佐久に言った。
「佐久、こっちへ寄れ」
佐久は紅の前に控えると、地に片膝を着いて頭を下げた。
「あの者が死に近い。救え」
紅は煙管で秋幸を指し、白い石を佐久の手に落とした。佐久は再び深く頭を下げた。
「今、わらわが自由に使える白の石は一つだけじゃ。そこの男を救うことに、異論はあるまいな」
その言葉は、春市に向けられていた。
――白の石はいかなる傷や病さえも癒す力を持つ。
春市も倒れている。もちろん、義藤もだ。悠真は紅が真っ先に義藤を救うと思っていたから、不思議な気分がした。
「もとより、覚悟の上の傷。命に差し障りはございません。義藤にも助かる道が残されているのなら、どうか弟を……弟を救ってくださることに、深く……深く感謝いたします」
春市が起き上がり、地に頭をなすりつけるように膝を折った。秋幸の命と同時に義藤を案ずる。それが春市の優しさなのだ。春市が千夏に斬られたのも二人の策に違いない。紅が姿を表す、紅が言葉を発する。色神紅の行動、言葉が、行き止まりだった場所に道を作り出していく。出口を作り出していく。もちろん、千夏も冬彦も膝を折った。その光景に、紅は鼻で笑い、佐久に命じた。
「義藤は問題ない。佐久、石を使え。代償を知りながら、他人の石を使った男じゃ。死なせるでない」
佐久は頭を下げて、秋幸に歩み寄った。佐久の手には、白い石が握られている。途中で佐久が足を地に取られなかったのは、奇跡的なことだ。
「大丈夫だよ、悠真君。紅はこういう状況を想定して、口八丁を使って白の石を一つ持って来たんだ。他の色の石の中でも、高価な石をね」
佐久は悠真を安心させるように言うと、秋幸を仰向けにした。よく頑張ったね。君は、よく頑張った。君でしょ。僕のとびきりの技を真似したのはね。あの、赤い夜の戦いで、水人形を見たときは驚いたよ。君でしょ。あれをしたのはね。恐ろしいほどの才能だよ。僕だって、天童と呼ばれていた時代はあったのにね。一つの時代に多くの優れた術士が揃う。それは奇跡的なこと。君は、紅に力を貸してくれるでしょ」
佐久の言葉は秋幸に向けられていた。佐久は他人である秋幸を、まるで本当の弟のように声をかけていた。それが佐久の優しさなのだ。思えば、佐久は悠真に対しても優しかった。
紅はこのような状況を想定して、白の石を持ってきたのだ。
希望があった。
秋幸が助かるという希望。
紅が来たから、誰も死なない。
赤い希望があった。