赤の犠牲(3)
出口の無い迷宮に春市と千夏は迷い込んでいた。互いを思いやるからこそ、逃げだせない。抜け出せない。刀を下ろした千夏がゆっくりと春市に言った。
「春市、昔、ずっと昔、あれは、女術士に助け出される前のこと。私たちは、大人に利用されるだけの存在だった。そうしなければ、生きていけないから。今も同じ。利用されなければ生きていけないから。あの時、私たちは何も持っていなかった。持っていないと思っていた。でもね、今は違うと思うの。私たちは、この命を持っている。そして、この命は、私たちだけのものじゃなくて、大切な仲間のものでもあるのよ。春市の命が消えて困るのは春市だけじゃない。私は悲しくて辛い。秋幸や冬彦だって同じ。春市、簡単に犠牲にならないで」
春市は頭を抱えていた。
「じゃあ、じゃあ誰が犠牲になるって言うんだ?誰が犠牲になっても、失うものは同じなんだ」
春市の声も震えていた。
「戦いましょ」
千夏が小さく言い、悠真は息を呑んだ。辺りの空気が水を打ったように静まりかえる。その中で、千夏が静寂を破った。
「誰が犠牲になるなんて決められない。なら、本気で戦いましょ。本気で戦って、決めましょ」
千夏が刀を構えた。
「千夏らしい」
言って春市も刀を構えた。
そして、二人は刀を抜き合い、牙を向け合った。
「止めろ、止めろよ!」
悠真は二人を止めようと叫んだ。二人が冗談で刀を抜き会っていないことは明らかだ。
――誰かが犠牲にならなくてはならない。
そのようなこと、悠真は嫌だった。なぜ、二人が戦わなくてはならないのか。悠真は叫んだ。非力な悠真の言葉は何も意味を持たない。悠真の隣で、秋幸が体を固めていた。
「悠真」
秋幸が小さな声で悠真を止めた。何をしても無駄なのだと、秋幸は知っているのだ。
「殺し合え!春市、千夏。殺しあえ!」
下村登一が玩具を得た子供のように嬉しそうに叫んでいた。
春市が駆け出し、千夏も駆け出した。二人が振り上げた刀が擦れ、火花が散った。それは、都南と義藤の手合わせのようだったが、手合わせとは違う。手合わせの時は、野江が止めるために戦いを見守っていた。しかし、今、戦いを止める存在がいない。二人は技術向上のために戦っているのではなく、犠牲となる者を決めるために殺しあっているのだ。
それはまるで遊ぶように、踊るように、二人は刀を向け合っていた。ぶつかり合った刀の衝撃で小さな赤い火花が散る。辺りは暗くなり、ともされた灯だけが辺りを照らしている。暗がりが深い。悠真は何も出来ない。嬉しそうに笑っているのは登一だけだ。
「殺せ!」
登一の声が高らかに響いた。
「殺しあえ!」
悠真は腹立たしさを覚えたが、何も出来ない。手に握る惣次の石さえ使えれば、解決することなのに、悠真が出来ないがゆえに二人は殺しあっている。時間だけが過ぎていく。
永遠に続くかのような時間。二人は互角で、どちらも決定打を打てずにいた。それが悠真を安心させた。戦いが続く限り、春市と千夏が死ぬことはない。
素人悠真とは違う角度で、秋幸は春市と千夏の戦いを見ているようであった。秋幸は身を固め、じっと見守っていた。
「時間を稼いでいる」
秋幸が二人を見て言った。小さな声で言った。
「二人は時間を稼いでいる。二人で争うように見せかけている。互いに殺しあっているのなら、とっくに決着がついているはずだ。ほら、千夏が決定打を出せるところで一歩引いた。もしかしたら、春市と千夏は俺たちに賭けているのかもしれない。俺が、何か策を持っていると考えて、時間を稼いでいるんだ」
秋幸のその言葉が、悠真を更に追い込んだ。この状況は悠真が作り出したものだ。悠真が惣次の石を使うことが出来ると言ったから。悠真が惣次の石さえ使うことが出来れば、紅たちがここへ進撃する理由をもつことが出来る。
――力を……
悠真は願った。それでも、紅の石は反応しない。色の声がしない。悠真は紅の石の使い方を知らない。感情だけでは動けない。
悠真は目を細めて未来を願った。悠真が石を使えない。このことが、大きな犠牲につながる可能性がるのだ。