赤の色神紅(3)
紅の部屋は元の形を保っておらず、部屋の端で義藤が倒れていた。野江が慌てて義藤に駆け寄り、体を起こしていた。紅の石の暴走の最も近くにいた義藤が無事だとは思えなかった。
「遠爺、大丈夫か?」
紅は振り返り、控えていた惣次似の男に言った。男は先ほどの騒ぎが嘘のように、整然と座り、赤い羽織にかかった埃を払っていた。
「問題ない。まだまだ現役だ。それで紅、お前はどう思う?惣次の石を使った子供は、義藤の石まで使った。これは加工が悪いという言い訳は出来ないぞ。義藤の石は、柴が加工したんだろ。柴が加工を誤るはずが無い。紅、お前だけのはずだ。他人の紅の石を使えるのも、他人が使った紅の石を収束させることが出来るのも……。それは色神の特別な力のはずだ」
紅は頷き、苦笑しながら悠真に言った。
「紅の石は、持ち主に合わせて作られている。誰の物でもない石ならば未だしも、義藤のために加工された石を使うとは、どういう体の仕組みをしているんだ?実力者義藤のために、我が国最高の加工師の柴が加工した石だ。小猿、お前は私と体等の力を持つつもりか?」
第一印象のような、他者を見下す高圧的な仕草は無く、そこにいたのは普通の人。親しみやすく、人の中心にいるような存在。それが今の紅。悠真の不信感を察知したかのように紅は言った。
「ああ、あれは理想の紅像、その一だな。他にもその二、その三と続くから、いつか見る機会があるかもしれないな。――それで、野江、義藤は?」
紅は振り返り、野江に言った。
「問題ありません。今は気を失っていますが……」
紅は一つ息を吐いた。義藤の無事を知り、心底安心したらしい。
「義藤には、いつも悪いことをしているな、私は。本当に良かった」
紅が安堵したように微笑み、野江が苦笑していた。
「それなら、義藤に迷惑や心配をかけるのをお止めなさいな」
すると、紅は困ったように俯き、話題を変えようとしているように悠真に言った。
「それで、義藤の石を返してもらおうか」
悠真は逆らいがたいものを感じて、義藤の紅の石を紅に手渡した。
騒ぎの音を聞きつけてか、人が走ってくる音が聞こえ、紅は廊下の先を見て言った。
「野江、悪いが対処してくれないか?佐久と都南以外は入れるな」
「分かりました」
野江は紅に一度、頭を下げて廊下へと駆け出した。
状況が整理できず、身動き一つ取れない悠真を横目に紅は義藤に歩み寄り、容易く膝を折ると、義藤の肩を揺すった。その姿が、色神紅の印象とかけ離れていた。彼女は紅のはずだ。赤い色に愛されている。彼女が放つ赤い色は、誰よりも美しく、力強い。そんな紅が使用人の義藤のために容易く膝を折のは、とても意外な光景だった。
「義藤、義藤。大丈夫か?」
義藤は小さくうめき声を上げて、慌しく体を起こした。義藤は抜き身の刀のような顔立ちをしている。目も、声も、仕草も品が良い。義藤は良家の息子かもしれない。荒々しいのに品が良いのは、彼の育ちでなく生まれが良いからだろう。
「紅!」
そして義藤は素早い動作で刀をつかんだ。
「義藤、問題ない。悪かったな、危険な目にあわせて。協力してくれてありがとう。ほら、義藤の石。騒ぎは野江が対処している」
言って紅は、義藤の石を彼に返した。義藤が心底安堵したように、深く息を吐いた。
「信じられない、俺の石を使うなんて」
警戒の色を隠しきれない義藤を紅が止めた。
「信じられないから、ここまで連れてきた。そして、試したんだ。柴が加工した義藤の石を目の前に出して。義藤も目の当たりにしただろ、自分の石を使う様子を」
紅が言い、義藤はそれ以上何も言わず、彼女は立ち尽くす悠真に言った。
「私だって、好き好んで村が滅びるのを受け入れたわけじゃない。最善の策を練り、全力を尽くした。それが、この悲惨な結果だ。名前は悠真だったな。私は野江から報告を受けた。惣次の石を使い、村人を守った者がいると。だから、私は野江に命じたんだ。その奇妙な力を眠らせておくか、自らの意志でここへ来るか決めさせろと。そして悠真はここに来た。その力も証明した。安心しろ。野江が情報を持ってきた。必ず犯人は見つけ出す」
義藤は不審そうに悠真を見たが、何も言わなかった。彼にとって、紅が全てであるようだった。
「紅、それよりもどうやって誤魔化すつもりだ?騒ぎ立てられるぞ」
悠真に対する警戒を解いていない義藤は散らかった辺りを見渡した。
「そうだな、義藤。後は任せた」
紅は優雅に微笑み、呆れているのは義藤だ。
「まったく、あなたはいつも無茶をする。小猿の力を試すとか言って、わざと苛立たせるようなことを言って……」
不満を口にする義藤を紅が一喝した。
「義藤、黙っていろ」
二人の間に、色神と護衛以上の親密さを悠真は感じた。
義藤は慌しく部屋を片付け始めた。畳を元の場所に戻し、壊れた物を小部屋のさらに奥へと押し込めていく。同時に、新しい物と次ぎ次と出していく。誤魔化しきれない場所は、物を動かし器用に隠していく。慣れた動きが印象的だった。
「紅、すぐに片付けられないところは、後で佐久と都南と一緒に片付ける」
紅は部屋の中央に座り、慌しく動く義藤を見ており、悠真は相変わらず、部屋の片隅で立ち尽くしていた。
しばらくして野江が戻ってきた頃には、部屋はすっかり片付けられ、野江は片付けられた部屋を見て苦笑した。
「義藤、あなた片付けるのが上手になっているのね」
義藤はむっと押し黙っていた。もしかしたら、義藤は片付けに慣れているのかもしれない。
「野江、悠真を連れて行ってくれ。村を滅ぼした犯人は、必ず再び動き出す。今度は、私を狙ってな」
紅は不敵に笑った。
「それよりも、遠爺。惣爺が死んだ。休んでも構わないが?」
紅は黙って控えていた惣次に良く似た男に言い、男はゆっくりと口を開いた。
「惣次は二年前に死んだ。今更、何も変わらない。ただ、惣次の便りに書かれていた美しい村が滅び、気の良い海の民が死に、気の合う子供が無茶をする小猿になってしまったことがとても虚しいだけだ」
男は惣次と良く似た顔で、惣次と良く似た声で、惣次と良く似た口調で言った。悠真は男と惣次の関係が気になった。男は惣次と便りを交わす仲だ。悠真の知らない惣次を知っている。なのに、惣次が死んだことに涙一つ見せず、平然としている。それがとても機械的で、無感情のように思えた。
「野江、最初に小猿を連れて来ることを決めたのは、野江だ。相手をしていろ」
惣次と良く似た男は、悠真のことを「小猿」と呼んだ。惣次と似ているからこそ、無性に悲しくなった。