赤の消えた屋敷(4)
色をかき消す呪いの声。
憎しみの声。
髑髏が悠真を見つめ、髑髏が悠真に語りかけた。
永遠に続く、苦しみの声を。
永遠に続く、憎しみの声を。
逃がすな。
捕らえろ。
さあ、地獄へ。
悠真は耳を塞いで蹲った。固く目を閉じると、世界は黒で塗りつぶされる。目を閉じて、黒い世界に故郷の様子を描く。黒い世界に紅城の様子を描く。笑っている祖父。笑っている惣次。笑っている紅。笑っている赤の仲間。
「何も見ない」
悠真は呪文のように呟いた。
「何も聞こえない。大丈夫、大丈夫」
悠真は自分の世界に閉じこもった。色を思い描いた。色があれば、世界は輝くのだ。
「大丈夫、大丈夫」
心を閉ざせば大丈夫。何も感じなければ大丈夫。
蹲る悠真の肩に温かな手が乗せられた。
障子が開き、閉ざされた部屋に光が差した。
「大丈夫か?」
秋幸が声を発すると、色の消えた世界に色が指した。
秋幸の声はとても落ち着いている。どうして、落ち着いていられるのか、悠真には分からなかった。この異常な状況下で落ち着いていられるはずが無いのだ。
「どうして、どうして……」
悠真は座り込み、人骨を指差した。秋幸は悠真の肩を叩いた。そしてゆっくりと膝を折り、床に座り込む悠真の横に座った。
「見せしめだ」
秋幸は言った。人骨を見て、そして低く続けた。
「使用人たちが裏切らないように、今まで殺した人たちを、こうやって置いているんだ。使用人同士に見張りをさせ、それぞれから人質をとる。妻を、子供を、夫を、兄弟を、親を……。誰も逃げられない。誰かが逃げることを見逃せば、自分の人質を殺される。そして、自分自身も、殺されるんだ。この見せしめの骨が、俺たちの自由をさらに奪う」
悠真は底知れぬ不安を覚えた。深い、深い闇の中にいるようだった。そこは冷たい場所で寒さと孤独が悠真を襲う。誰も脱出できない牢の中で、互いに互いを監視しあっている。そんな中で、悠真と行動を共にする秋幸も、わずかな隙間から秋幸たちを逃がそうとした春市と千夏も、一人脱出に成功した冬彦も、悠真より遥かに強い。悠真では出来ない決断と行動。今まで感じたことがない不安と恐怖に教われ。悠真の身体は震えた。
「大丈夫、大丈夫だ」
秋幸は障子を閉め、不安に襲われる悠真の隣に秋幸がいる。それだけで悠真は安心できた。
「異常な世界なんだ」
秋幸の横顔が悠真の隣にあった。
「でも、恐れちゃいけない。彼らは皆、生きていたんだ。生きて、未来を願っていたのに、不条理に奪われたんだ」
秋幸は悠真と二つしか年齢が変わらないのに、悠真よりずっと大人だ。秋幸は座ったまま手を伸ばし、一つの髑髏を手に取った。少し小さな髑髏。前歯が二本欠けている。
「これは、伊汰の骨だ。伊汰は八歳だった。乳歯が抜けてね、歯抜けだった時に殺されたんだ。伊汰の母が逃げようとした仲間を見逃してね、それで巻き添えだ。死ぬときまで、歯抜けの顔で笑っていたよ。俺は、何とかして伊汰を助けたかったけれど、その力が無かったんだ」
秋幸は愛しそうに髑髏を撫でた。
「最期の言葉はね、饅頭が食べたい。そんな言葉だったよ。伊汰は可愛い子だった。俺は、助けることが出来なかったんだ。どんなに悔やんでも、伊汰は生き返らない。自然に帰ることもなく、永遠にこの屋敷に捕らわれるんだ。大丈夫だよ、伊汰。解放してあげるから。伊汰が好きだった青空を見せてあげるからね」
髑髏を手に持つ秋幸は、神秘めいて、人間離れしているようであった。平凡なのに、悠真とは生きる世界が違う。そう教えられる姿だ。
悠真の故郷では、死した者は荼毘された後、海に流される。墓として骨壷に入れる風習が火の国では一般的だが、他にも様々な埋葬方法がある。山に戻し、その上から木を植えることもある。悠真の故郷が海に骨を流すのは、命は海から生まれるという考えに基づくものだ。
悠真の父は海で死んだから、死した後は海に帰った。母も死した後は海に帰った。そして、祖父は故郷と共に海に流された。海は命を生み出し、命は海に帰る。
この屋敷で殺された者は、海に帰ることが出来ない。自然に帰ることが出来ない。墓で眠ることも出来ない。この屋敷の主は、生きている間だけでなく、死した後も捕らえているのだ。
全てが恐ろしかった。