赤の消えた屋敷(3)
遠ざかる足音。
遠ざかる危機。
足音が遠ざかるのを確認すると、悠真は深く息を吐いた。無意識のうちに呼吸を止めていたため、心臓は驚くほど速く脈打ち、自然と呼吸は荒くなった。息を吐いて、悠真はようやく部屋の中を見る余裕が出来た。薄暗い部屋の中は、空気がよどんでいた。
背中に流れる汗は、秋幸の裏切りが発覚しないかと、強い緊張を強いられていたからだ。
(良かった)
悠真は心底安堵した。惣次の石を探しに、秋幸と共に行く。そんな悠真の意見が通り、今に至る。ここで悠真がついてきたために失敗してしまった、人質が殺されてしまった、それだけは避けたかったのだ。悠真は今以上に罪を負って生きて行けるほど強くないのだから。
秋幸が咄嗟に悠真を押し込めた部屋は、どうやら物入れらしい。締め切られた部屋には埃が満ちて、長い年月換気が行われていないようだった。締め切られた部屋は障子越しの薄明かりしか届かず、それゆえ湿気がこもりかび臭かった。
異様な部屋だった。
――赤が消えた。
この部屋には、色が無かった。色が見捨てた部屋だった。
(ここは……)
悠真は辺りを見渡した。
部屋を見て、悠真は屋敷の異常さをまざまざと感じさせられた。
「何で、何で……」
先ほどとは異なる意味で心臓が高鳴った。目の前にある光景を否定したかったのだ。
恐ろしい。
恐ろしい。
恐ろしい。
恐ろしい。
悠真は目の前の全てを否定した。これは夢だ。現実ではない。
なぜ。
なぜ。
なぜ。
目の前の光景を否定した。
ここが火の国のはずが無い。色神紅と赤がいる火の国は、小さな島国だが平和な国だ。もちろん、一般市民の手の届かないところで、色神と官府が争っているが、それは術士の世界のこと。火の国は小さな島国だが平和だ。自然が豊かで人々は温かい。
有り得ない。
悠真は現実を否定した。部屋の中の光景を否定して、これが夢だと信じていたいのだ。
有り得ない。
悠真の心臓が強く、速く脈打った。先の緊張以上だ。
有り得ない。
悠真は呼吸をすることが出来なかった。この部屋で、呼吸をして酸素を体に取り込む。それが汚らわしく、一つ息をするたびに、己が内部から腐っていくように思えたのだ。
憎しみの声が、部屋の色を消していく。呪いの声が、色の輝きを消していく。命の息吹を消していく。火の国を憎む声。生きる者を呪う声。
有り得ない。
有り得ない。
悠真の膝が震えた。
悠真の唇が震えた。
人骨。
部屋の中は、無数の人骨が転がっていた。頭蓋骨、肋骨、骨盤、大腿骨、上腕骨、すべてが無造作に転がっていた。一人や二人分でなく、数え切れないほどの骨が転がっているのだ。
部屋の中に転がる骨。
「どうして……」
それは作り物でない。大きさが異なるのだ。子供と思えるほどの大きさのものもあった。あまりに残酷で、悠真は息をすることを忘れた。息をすることを忘れるほどの衝撃だった。悠真は田舎者だから、街のことは分からない。街でこの光景が当然なのなら、悠真は田舎者でありたかった。田舎者で十分だった。
「じっちゃん、帰りたい」
悠真は床に座り込んだ。
「じっちゃん。惣次。俺、帰りたい」
平静を保つため、悠真は故郷を思い出した。故郷を思い出さなければ、悠真の心が砕けてしまいそうだった。
「じっちゃん」
無造作に転がる髑髏のいくつかが、悠真を見ていた。虚ろに空いた穴には、かつて目があったはずだ。黒い穴がじっと悠真を見ているのだ。
――許さない。
かたかた。かたかた。髑髏の口が動いた。
――殺してやる。
かたかた。かたかた。髑髏の口が動き、歯が音を立てた。手がもがくように動き、悠真に近づいてきた。
この場所からは色が消えている。憎しみが、世界の輝きの源である色を打ち消しているのだ。
ここは、普通の人が生きるべき場所ではない。
田舎者の悠真の正直な気持ちだ。