赤の消えた屋敷(1)
皆が生き残る道を信じて、悠真は義藤を残して牢から外へ出た。
悠真は秋幸と一緒に、外へと出る階段を上った。久しぶりに吸い込んだ外の空気は、地下牢の中のように淀んだ空気でなく、風が頬を撫でた。
「悠真、こっちだ」
秋幸が悠真を手招き、どこに何があるのか分からない悠真は、秋幸の後を追った。
隠れながら廊下を歩いた。廊下を歩くだけで、とても広い屋敷だと分かる。権威を誇示するかのように庭は手入れされ、不必要な飾りがされていた。庭が手入れされているのは、紅城と同じだった。都南と義藤が手合わせをした中庭も、美しく手入れがされていた。しかし、紅城とこの屋敷は違う。悠真は二つの違いを感覚で感じていた。
時が流れるのは早く、外は赤い夕日に包まれていた。赤の色神紅に守られる火の国で生きる悠真にとって、赤は特別な色だ。赤は時として残酷な色に豹変するが、火の国で生きる悠真にとって赤はそれ以上の存在なのだ。赤があるから命は息吹を持ち、愛を象徴する色は赤だ。赤が熱を持ち、赤が光を灯す。闇夜に輝く赤い炎は、人々から闇への恐怖を消し去る。凍える冬には赤く燃える炎は欠かせない。
「もう、こんな時間だったんだ……」
悠真は一日近く地下牢にいたのだ。眠っていたこともあるだろうが、時間の感覚がおかしくなったように感じた。
「もし、冬彦がすぐに紅の下へたどり着き、紅がすぐに朱軍を動かしたのなら、とっくに人質たちは救われているはずだ」
秋幸が赤い夕日を見上げて言った。それは秋幸の願いなのかもしれない。
失敗すれば、人質を失う。
けれども、悠真たちが動かなくては紅が動けない。
時間的に、今動くのが一番なのだ。悠真たちの失敗は、人質の命に直結しない。悠真は自分に言い聞かせて、己を奮い立たせた。
――大丈夫。
――俺なら出来る。
時に、根拠の無い自信は必要なのだ。踏み出せない自分が情けないと後悔しないように、悠真は先に進むのだ。
悠真は屋敷を見て、空気が濁っているように感じた。何か穢れたものが辺りを覆い、色を濁している。
「嫌な屋敷だ」
悠真はとても小さな声で思わず呟いた。紅城とは異なる。豪華さは似ているのに、紅城とは違う。
――赤が消えた。
火の国では赤が満ちているのに、この屋敷からは赤が消えている。高貴な色の赤が飾られているとか、いないとか、そんなことは関係ない。この屋敷の空気から赤が消えているのだ。
ここは嫌な雰囲気。嫌な色。寒気のような物も感じる。なぜ、この屋敷からは赤が消えたのか、その理由は分からないが、この屋敷から赤が消えていることは事実だ。悠真の目が赤を見出せないのだから。赤だけでない。色が薄いのだ。人の心を支える色が希薄で、命があるように思えないのだ。植物が放つ緑は弱く、池に満ちる水の青は消えそうだ。
――色が消えた。
色が消えるということはありえない。世界は色で満ちているのだから。しかし、色が消えようとしているように思えるのだ。
「代々続く権力者という証拠だ。醜い屋敷だ。この屋敷の下には多くの屍があるんだ。赤から見放された屋敷だよ」
秋幸が小さく呟いた。おそらく、秋幸が指した「赤」は、紅たちの事だ。赤の仲間たちから見捨てられた、色神紅が手を出すことが出来ない屋敷。そう指したはずだ。しかし悠真には違うように見えるのだ。
――赤は美しい色じゃ。
赤い唇が放つ赤い声を悠真は思い出した。赤の色神。高圧的で、美しい赤はこの屋敷を見捨てた。義藤を助けるために叫んだ赤は、この屋敷を見捨てたのだ。
赤を知っている悠真だから分かるのだ。この屋敷の空気は、赤が嫌う空気だ。だからかもしれないが、悠真は、赤い夜の戦い以来、赤の姿を一度も見ていないのだ。
赤が消えた屋敷は冷たく、孤独だ。火の国から切り離されているように感じるのだ。
「血統官吏なんて、こんなもんだよ。真面目に火の国を思っている官吏もいるのに、一方で紅を裏切る官吏もいる。平和に見える火の国も、実際は戦いの火種を多く抱えているんだ」
秋幸が赤の消えた屋敷を見渡していた。悠真よりずっと深いところで物事を考えている秋幸らしい。悠真は赤の消えた屋敷を見渡すたびに、赤と紅の姿を思い出すのだ。
「大丈夫だよ。紅が助けてくれる。紅がこの屋敷に来る。そうすれば、必然的にこの屋敷にも赤が満たされるんだ。鮮烈な赤色がね」
悠真たちにとって、赤は希望なのだ。悠真は赤の消えた屋敷で、紅が放つ鮮烈な赤に焦がれた。