赤と友(1)
固い床の上で骨がきしんだ。身体が驚くほど冷たくなって、灯りは燃え尽き、地下牢の中は暗闇が深く、天井の木枠の窓からこぼれるか僅かな光では、かろうじて義藤の顔が見える程度だった。
「俺、寝てたのか……」
悠真は夢と現実の狭間で見た幻覚を思い出していた。
義藤の幻。
夢の中の声。
全てが幻覚の中へと消えて行き、少しも現実と思えなかった。悠真は思わず自分の頭に手を伸ばした。義藤の手のぬくもりが、今もそこにあるように思えたのだ。義藤の声が今でも胸の中で響いている。義藤の笑顔が目に焼きついている。
悠真は身体を起こした。そして、このような状況でも眠れる自分に、思わず苦笑した。田舎者の自分は、鈍感なのかもしれない。疲れているとはいえ、急激な眠気に負けて眠ってしまうなど、ありえないことだ。秋幸たちが敵で無いと分かっても、ここは官吏の屋敷だ。官吏は紅に敵対し、紅の命を狙っている。素性の定かでない義藤を見下し、紅を無能な色神だとしている。ここは紅の敵の屋敷。気を抜いてよい場所ではない。現実、状況は何も好転していないのだから。
この場に、野江や都南、佐久がいたら、何と言うだろうか。都南は悠真のことを小猿と笑うだろう。野江は庇ってくれるだろうか。佐久は共感してくれるだろうか。悠真は赤の仲間を思い出し、義藤に目を向けた。
「義藤」
悠真は四つ這いで義藤に近づいた。
幻覚の中で義藤は笑っていた。悠真の頭を義藤は撫でた。
――案ずるな。
幻覚の中の義藤は笑い、悠真を気にかけていた。まるで、義藤が最期の別れを告げたように思えたのだ。
「義藤!」
悠真は不安に襲われ、義藤にすがった。
義藤は悠真が寝入ったときと同じ姿勢で横たわっていた。汚れて切れた赤い羽織を上からかけて、ござの上で眠っていた。
何も変わっていない。
はだけた着物の間から見える包帯は、血で汚れていた。顔も血で汚れている。静かに動く胸は、彼が生きていることを示していた。
何も変わっていない。
悠真は義藤の額に乗せた布に手を伸ばした。布を桶の中の水に浸して、絞った。
「良かった、俺、義藤が……」
死んでしまったかと思った。という言葉を悠真は飲み込んだ。義藤は死んでいないが、辛うじて生きているという状況から何も変わっていない。
(義藤が死ぬ)
その言葉は、口にしてしまっただけで現実になってしまうように思えたのだ。
「大丈夫だよな。義藤。俺は何も出来ないけど、これで大丈夫なんだよな」
悠真は眠り続ける義藤に尋ねた。返事は無いのは分かっている。ただ、悠真は自分自身に言い聞かせるように言ったのだ。
「大丈夫だよな」
悠真は念を込めて、もう一度言い聞かせた。
布を再び義藤の額に乗せたとき、悠真は義藤の頬の熱が引いていることに気がついた。悠真が眠るまで、燃えるように熱かった義藤の身体の熱が下がっている。
「義藤?」
思わず悠真は義藤の手首をつかんだ。何が生じたのか、悠真は理解できないのだ。手首をつかんだ指の先から、義藤の心臓の鼓動を感じた。
「良かった……」
最悪の事態でないことに、悠真は安堵した。依然として義藤は目覚めていないのに、最悪の事態でないことに安堵した。紅たちが助けに来てくれるまで、それまで耐え抜かなければならない。
義藤はまだ生きている。危険な状態であっても、まだ生きている。それだけが救いだった。
「義藤、俺、頑張るから。頑張るからさ」
悠真は義藤に言った。それは自分への戒めの言葉。逃げないように、立ち向かうように、義藤に誓うのだ。
「俺、何も出来ない小猿だけど、全力を尽くして頑張るよ。だから、だからさ、一緒にいてくれよ。紅が助けに来てくれて、ここから脱出したら、俺に教えてくれよ。いろんなことを。俺が、一人前の大人になれるように、教えてくれよ」
悠真は義藤の手を握った。眠り続ける義藤が消えてしまわないように、悠真は祈っていた。もうすぐなのだ。もうすぐ、紅が助けに来てくれる。悠真は信じていた。
大切な友、義藤が命を失うことが無いように、悠真は祈っていた。