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一色  作者: 相原ミヤ
火の国と紅の石
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赤の囚人(1)

 暗い地下牢の中で、悠真は故郷の海を思い出した。青く広がる海面を、煌く水面を、青い空を、白い雲を、赤い太陽を、悠真は思い出した。潮の匂い、さざめく波の音、海鳥の泣き声、悠真の五感を刺激していく。海は広大で美しい。美しい海。ここが悠真の生きるべき場所だ。

(おい、悠真。海に潜るときは気をつけろ)

祖父の声が悠真の耳に響く。

(じっちゃん、心配するなよ)

悠真は軽快に答え、頬を撫でる潮風に目を細めた。

 祖父が船を操り、網を手繰り寄せる。網には生きた魚が絡まり尾びれを動かしていた。

(今日は大漁、大漁)

祖父が上機嫌に禿げた頭を撫でていた。

 悠真は祖父を見て笑うと、銛を片手に海へ飛び込み、深く、深く潜っていく。太陽の光は徐々に遠のき、暗くなっていく。


 冷たく透き通った海の中は無音の世界だ。何の音もせず、自分の心音だけが高く響いていく。魚の群れが目の前を横切り、海底の岩には海草が生え、貝が岩につく。地上の生き物である悠真の身体は空気を求めてもがき始める。一秒を争う時間。思考を無駄に回転させれば、さらに空気を欲してしまう。心を平静にして、落ち着いて、悠真は海の中で目を見開く。海中で気配を消せば、目の前の岩の陰に大物の魚を見つけた。魚は自分の命が狙われていることも知らずに、岩陰の王者を気取っている。悠真は高鳴る心臓と空気を欲する身体。獲物を目の前にする興奮。悠真は銛をかまえた。

 魚の目は悠真と違うところを見ている。よくよく見れば、魚は己の獲物を探している。小魚を狙う大魚。そして大魚を狙う悠真。これが自然の連鎖だ。


 時として海は残酷だが、多くの恵みを与えてくれる。術士の才覚に見放された悠真も、祖父の後を継いで漁師として生きるはずだった。嵐に呑まれて死ぬのも、鮫に食われて死ぬのも、それも漁師の運命だ。


 これが悠真の生きる世界。悠真は海に抱かれ、海に守られていた。海の恵みで育ち、海を遊び場として育ち、海で多くのことを学んだ。命のやり取りも、自然の残酷さも、全て海が教えてくれた。

 今日一日で悠真が目の当たりにしたことは、海が教えてくれたこととは異なる。悠真は過酷だが恵まれた自然の中で、紅の石に支えられて生活してきたのだ。紅の石を生み出す色神がどのような人なのかも知らず、紅の石をめぐって多くの攻防が行われていることも知らず、紅を守るために、戦う人がいることも知らず生きてきた。


――自分を信じろ


自分が、どうしようもなく無力で情けない存在だと感じた時、悠真の脳裏に義藤の言葉が響いた。義藤は一言たりとも悠真を責めなかった。悠真がわがままを言ったからこのようなことになったのに、義藤は一言たりとも悠真を責めなかった。ただ一言、悠真に「自分を信じろ」と言ったのだ。悠真は手を伸ばし、そっと義藤の頬に触れた。義藤の頬は少し熱を持っていた。悠真は義藤の額に乗せた布を取り、再び桶に浸した。


――自分を信じろ


何を信じれば良いのだろうか。無力な小猿は、山と海を求めて泣いている。


――なあ、義藤。一体俺は何を信じればいいんだ?


 気づけば悠真は眠っていた。現実から逃げるように、恐ろしいことから目を背けるように、悠真は眠りへ落ちていった。

 

 朝日の光も差し込まず、時計もなく、悠真は今が朝なのか、昼なのか、夜明け前なのかさえ分からなかった。硬い床の上で眠っていた悠真は体中が痛んだ。

「起きろ、朝だぞ」

入ってきた男がそう言うから、悠真は今が朝なのだと思った。義藤に目を向けると、義藤は小さな息を立てながら動く様子はなかった。

「義藤の様子はどうだ?」

悠真より少し年上だろう男がそう言った。声が若い。気の良さそうな男。それは昨夜の優男の声だった。つまり、秋幸。秋幸の顔を見た第一印象は「平凡」に尽きる。悠真は、どうして秋幸が義藤の様子を気にするのか分からなかった。春市と千夏と同じように、秋幸も義藤を気にかけているのだから。

「あんたは?」

悠真は男に尋ねた。すると、秋幸は笑った。

「あんたが紅だと思ったんだけどな。朝飯だ、食べていろよ。千夏呼んでくるから。義藤、しっかりしろよ」

秋幸はそう言うと、牢の前に握り飯と水を置いていった。平凡そうな優男の秋幸が、昨日恐ろしいほどの力を見せ付けたのだ。佐久と同じ、様々な色との相性が良い存在。秋幸は間違いなく佐久と同様の天才だ。

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