赤の敵(6)
憎むべき存在だった紅は、多くの重圧の中で耐えて、最善の選択を模索していた。彼らの擁護をするつもりはなかったが、今、彼らを憎むことが出来なかった。千夏は腹の傷を縫い合わせ終えると、肩口の傷を縫い始めた。腹の傷には布が当てられ、その上からきつく縛られた。肩口の傷は貫通しているから、前と背部と縫い合わせていった。
「春市、私はね誰も死なせたくないの。それは、義藤も春市も秋幸も冬彦も、そして紅も……。私は紅のことを知らないけれど、あの義藤がこれほどまでに尽くす存在よ。紅の人となりは容易く想像できるでしょ」
彼らが義藤のことを信頼しているのだと分かった。
「義藤は、大丈夫なのか?」
春市は千夏に尋ねていた。義藤の傷は深く、医師が診療しても助かる保証は無いだろう。こんな地下牢で、こんな素人の治療で、義藤が助かるとは思えなかった。それに、義藤の生還が彼らの敗北と死にかかっているとすれば、彼らの心情はかなり複雑なはずだ。
「言ったでしょ。少しの間、永らえば」
千夏が反論したとき、都南は強く床を叩いた。
「違う、そんなことじゃない。千夏、言っていただろ。石の力の応用について。試せるんじゃないのか?」
悠真は春市と千夏が何を考えているのか分からない。確かなことは、彼らが力を持っているということだ。
「馬鹿言わないで。そんな、何の確証もないこと出来るわけないでしょ」
春市は一つ息を吐いた。
「だが、千夏。理論上は可能なんだろ。何があっても義藤を死なせてはならない。……紅がなかなか助けに来なければ、頼んで良いか?」
「最悪の場合はね」
千夏は春市の肩を叩いた。
丁寧に布が巻かれた後、春市は階段から上に出て行き、戻って来たとき小さな桶と布を持っていた。千夏が悠真を縛っている縄を切ると、言った。
「きっと熱が出てくるから、冷やすのよ」
桶が悠真の前に置かれ、悠真は頷いた。そんな悠真を春市が一瞥した。
「明日また来る。おとなしくしていろ」
春市はそう言い捨てると、千夏と一緒に出て行った。
残された悠真は、恐る恐る義藤に近づいた。顔色の悪い義藤は、昏々と眠り、義藤の手に触れると驚くほど冷たかった。悠真は赤い羽織を義藤の上にかけた。悠真に出来ることは、祈ることだけ。義藤が助かるように祈り、紅が狙われないように祈る。佐久が石の痕跡からこの場を突き止めてくれることを祈り、都南と野江が助けに来てくれることを祈る。水に浸した布を、義藤の額に乗せた。義藤の身体は冷たい。悠真はあまりに無力だった。
――どうか、義藤が助かりますように……
無力な悠真は地下牢の天井を見上げた。天井は低く、地下牢は狭い。身動き一つとれず、気持ちの悪いほどの閉塞感があった。今まで感じたことのない閉塞感。まるで、自分の限界を突きつけられたようだった。故郷で過ごしていたころは、悠真は自分には無限の可能性があると思っていた。術士になること以外は、何にでもなれると思っていた。何でも出来ると思っていた。努力すれば何でも手に入ると、何でもすることが出来ると、信じていた。けれども、今の悠真は無力だ。紅城に足を踏み入れても、悠真の先に道は現れない。悠真の先に道はなく、悠真の頭の上には大きな天井が覆いかぶさっている。これ以上は手を伸ばせない。もっと上に、もっと上に、と手を伸ばすけれども手が届かない。
無限の可能性があるのなら。悠真は願った。一人孤独になると、悠真は寂しくなった。辛くなった。
「赤」
悠真は赤を呼んだ。悠真に色を貸してくれた赤は、悠真の前から姿を消してしまった。何にでも染まれると思った悠真は、何にもなれないのだ。
「赤」
呼んでも赤はここに姿を見せない。悠真に無限の可能性などなく、悠真に染まることが出来ないのだ。
――悠真、あなたは無力などではないのよ。
無色な声が悠真に言ったが、悠真はその声を無視した。
敵である春市、千夏、秋幸、冬彦は、本当に赤の敵なのだろうか。
彼らは敵なのだろうか。
何が敵で、何が味方なのだろうか。
彼らは悪なのだろうか。
何が正義なのだろうか。
悠真は分からなかった。