官府と白い昼(1)
早朝、ソルトは目を覚ました。今日は体調が良い。それだけで嬉しく思う。隣にいるはずのアグノが不在で、ソルトの隣には冬彦と吉枝がいる。吉枝はソルトよりもずっと早くに起きて、朝食の用意をしていた。
朝食を準備していただろう吉枝は、着物を持ってソルトの部屋へ来ると着替えを手伝ってくれた。夏が近づく時分の着物は、単袷の着物だ。白のベースに、水色の花が描かれている。吉枝が嬉しそうに着物を選んでいた。慣れた手つきで、長襦袢に刺繍の半襟を縫い付けていく。
吉枝は一つ一つ、着物の名前をソルトに教えながら着付けていった。不思議だった。吉枝の組み合わせる色の一つ一つが美しく重なり合う。色の組み合わせが美しい。
帯の色、帯揚げの色、帯締めの色、一つ一つが重なり合う。互いの色を尊重しあい、互いの色を支えあう。少なくとも、この着物の上には色たちの覇権の奪い合いはない。色が支える国どうしの争いもない。
ただ、赤が高貴とされる火の国の着物の上には、当然のように赤色はなかった。
不思議だ。
不思議だ。
ソルトは着物に触れた。
雪の国の城の中で、ソルトは美しいドレスを纏っていた。なのに、今の他国の着物を着ている方が美しくなれた気がする。それは、この着物の中にさまざまな色が満ちて、それが互いを尊重し合っているからかもしれない。
ソルトは白の色神。
なのに、ソルトは他の色を嫌うことが出来ない。
蹴落とすことが出来ない。
白だけを考えることが出来ない。
火の国に足を運び、火の国で生きる人々と出会った。火の国で生きる民の温かさを知った。白の一色を持つ冬彦と出会い、彼の強さを知った。そして――吉枝と出会った。
「昨日はよく眠れたかえ?」
吉枝がふと口にした。
「とても、眠れました」
ソルトは答えた。その言葉に嘘はない。落ちるように、泥のように、ソルトは眠っていたのだ。
アグノの温もりが無いのに、ソルトは寒くなかった。
アグノの温もりが無いのに、ソルトは寂しくなかった。
アグノの温もりが無いのに、ソルトは苦しくなかった。
ソルトは、火の国で心から信頼できる人たちと出会えたのだ。彼らが無事だと言うから、アグノの無事を素直に信じてしまうのだ。彼らが共にいてくれるから、ソルトは雪の国の民に「否」と言われた己の命を惜しむことが出来るのだ。生きるために戦うことが出来るのだ。
ソルトが己の命を諦めれば、冬彦が戦う必要はない。
ソルトが己の命を諦めれば、アグノが傷つく必要もなかった。
ソルトが己の命を諦めれば、火の国で無用な戦いが起こらない。
それでもソルトは諦めることが出来ない。生きることを、諦めることが出来ない。実験体として生まれた、望まれずして生まれたこの命を、惜しんでいるのだ。
「それは、それは、とてもよかったね」
吉枝が皺のある手で、ソルトの手を包んだ。
「朝食を用意したから、食べにいらっしゃいな」
吉枝の言葉の一つ一つが温かい。