赤い免罪符(1)
悠真は柴の背中をじっと見つめていた。明らかな隠し事があるであろう柴は、舞風を歩かせながら都の中を進んでいた。どこへ進むのか悠真には分からない。それでも、悠真は柴のことを信じていた。
襲撃された冬彦は姿を消した。そのまま、どこかへ隠れてしまったのか、影の国の術士に囚われたのか分からない。確かなことは、優れた力を持つ冬彦が苦戦を強いられる相手ということだ。野江が敗れたのも納得がいく。
気づけば日は傾きつつある。赤い夕陽が都の西側へと沈んでいく。それだけ長い時間が流れたということだろうか。
柴が何を考えているのか、悠真には皆目見当がつかない。どうやらそれは、秋幸も同じようで、押し黙ったまま絹姫を歩かせている。
「柴、これからどこへ?」
悠真が尋ねると、柴は不機嫌そうに答えた。
「考えている」
その一言には、様々な重みが混じっていた。
「考えているって、これからどこへいくかってこと?」
「都の中をむやみやたらに探したって、無意味だろ。冬彦はどこへ行く?どこに身を潜める?」
柴が苛立っているのは明らかで、何に苛立っているのかも明らかだ。どこへ行けば良いのかなど、分かるはずがない。
ゆっくりと口を開いたのは秋幸だった。
「俺もそうだけれども、俺たちは山で生活しながらも都の中を散策していました。都の術士の動向を調べたり、買い出しをしたり、俺は冬彦の行動の全てを把握していないし、春市や千夏も同じはずです。俺が官府に忍び込んでいたように、冬彦にも冬彦なりの逃げ場があったに違いありません」
秋幸が苦笑した。いつも近くにいるようでも、実際は何も知らない。そんなこと、珍しくもない。悠真でさえ、いつも近くにいた惣次のことを何も知らなかったのだから。もしかしたら、悠真は祖父のことでさえ何も知らなかったのかもしれない。祖父が何が好きで、漁の時は何を考えていたのか、悠真の父や母が命を落としたとき、祖父は何を思ったのか、悠真は知らないのだ。思うと、悠真と祖父の間に大きな距離があるように感じるのだ。
「当然だろ」
苛立っていたはずの柴がげらげらと品なく笑った。柴の大きな笑いは不思議な色を放ち、悠真たちの不安な心を落ち着かせる。一番苛立っていたはずの柴が、いつの間にか落ち着いているのだから不思議だ。これが悠真の倍以上生きているだろう柴の力なのかもしれない。
「秋幸、それは当然のことさ。お前と冬彦は別人だ。他人だ。そんな相手のことを全て知っているなど、それは驕りでしかない。何もかも知っていたら、退屈でしかないさ」
柴の言葉は深い。大きいだけでない。
「俺は、お前たちより長く生きている。仲間に救われ、仲間を見捨てることもある。いかなる苦難さえ、乗り越える力が必要なんだよ」
柴が仲間を見捨てる。そんなこと、悠真は信じられなかった。なぜなら、柴は見ず知らずの悠真を色を見ただけで命がけで助けてくれたのだから。赤の術士は、野江、都南、佐久、義藤らだ。彼らは過去を隠すが、誰かが欠けたような雰囲気は感じない。柴は一つ息を吐いて続けた。
「冬彦が白の色神を連れて、当てもなく逃げまどうのは難しいはずだ。誰かに助けを求める。それが誰なのかさえ分かれば、冬彦は見つかるはずだ」
悠真たちは当てもなく冬彦を探す。そもそも、最初から当てなどなかったのだ。悠真たちは、後手に回っているのだ。唯一、先手を打っていることがある。
「庵原太作と浅間五郎」
秋幸が口にした。少し離れた絹姫の背の上からでも聞こえる声だ。
庵原太作という名は、紅の暗殺に関わる官府の力の一つだ。そして、浅間五郎。浅間五郎は二十年前に庵原太作の名が現れたときに先代紅の心を痛めさせた人物。この二人の存在だけが、悠真たちが先手を打てる鍵なのだ。
「確かに、その二人について調べるのも一理ありだな。村瀬のところへ戻って、調べた結果を聞いてみるか。浅間五郎という名が偽名なのか、真の名なのか、生きているのか、死んでいるのか、それさえ分からない。庵原太作とつながっているのなら、調べる価値がある。ならば、役所へ戻るか。村瀬が仕事を終えて帰る前にな」
柴がゆっくりと舞風の首を巡らせた。辺りは夕焼けに包まれている。仕事を終えた役人が帰路についてもおかしくない。役所は紅城の近くにある。役所に近づくと、紅城の赤い壁が夕日に映えて、とても美しく見えるのだ。ゆっくりと歩く舞風の体の揺れを感じながら、悠真は辺りを渡していた。