白の家族(7)
そっと吉枝はソルトから離れた。この年老いた女が、どのような人生を送ってきたのかソルトは知らない。
「温かい」
ソルトは思わず呟いた。こんなにも温かい。
「さあ、ゆっくりとおやすみ」
吉枝はまるで、母のようだった。母に比べては年老いているが、包み込むような優しさが母のようであった。
「吉枝さんの家族に何があったの?」
ソルトは無粋な質問をした。こんなにも温かい人が、なぜ孤独の中に生きているのか分からないのだ。ソルトのように我が儘でなく、人を思う人が。
「二十年前になるかね」
吉枝はゆっくりと口を開いた。
「どうか、この話、覚えておいておくれね。この、名商家と呼ばれた御薗家の最後の歴史だから」
ソルトは頷いた。
御薗家は、火の国の中で有数の名家だった。商家として、都の民に慕われていた。吉枝が御薗家に嫁いだのは四十年前の話になる。御薗家の三男へ嫁いだのだ。
御薗家の三男は、風変りな男であった。家に嫁いだものの、彼は家業と無関係に都を散策し、官吏と触れ合っていた。御薗家の長男は若くして命落とし、次男が家業を継いでいた。しかし、次男夫婦には、一人息子がいたが人攫いにあい、息子を失っていた。だから、御薗家には跡取りがいない。跡取りがいない。御薗家としては、跡取りが必要な状況だった。
火の国には、もう一つの商家がある。それは、鳳上院家だ。鳳上院家と御園家は敵対していた。圧倒的に鳳上院家の方が大きな家であったが、鳳上院家の利益優先の商売方式は、御園家にとって許しがたい物であった。
御薗家に暗雲が立ち込めたのは、三十二年前のことだ。ようやく生まれた吉枝の子供が命を落とした。それと時を同じくして、次男夫婦に末娘が生まれた。次男夫婦に娘が生まれた。しかし、その娘は生まれながらに呪われた子だった。本来なら、殺され、捨てられる。その子がいるだけで、御薗家は迫害される。吉枝の息子が命を落としたのも、呪われた子の誕生の責任かもしれない。世間では、そのようにささやかれていた。呪われた子を捨てるしかない。家族が決断をした時、吉枝の夫はその子を連れ去ってしまった。
――俺は家を捨てる。この子を守ることが出来るし、この子の存在が知られても、家に迷惑は掛からない。
彼ら家族の吉枝に対する優しさは変らなかった。後継者も生めず、それでも大切にされていたのだ。だから吉枝は、心からこの家のために生きようと思ったのだ。
それから十年後、今から二十年前、唯一の子供、次男の娘が命を落とした。まだ十七歳だった。相次ぐ死に胸を痛めた先代当主は病の床に臥し、そのまま帰らぬ人となった。
家業に暗雲が立ち込めはじめたのは、その頃からだった。鳳上院家の悪質な商法に、当主であった吉枝の義兄がだまされたのだ。それをきっかけに、御薗家は没落の道をたどり始めたのだ。わずか一年で、御薗家は滅びたのだ。
事業は次々と鳳上院家に奪われ、雇っていた者は皆解雇することとなった。胸を痛めた義母が死んだ。残されたのは吉枝と当主である義兄夫婦となった。生真面目な義兄は、家を没落させた責任を感じて、首を吊った、義姉は、後を追うように首を吊った。
吉枝も御薗家と心中するつもりだったのだ。残された家の諸所たる事務処理をして、いざ自らも命を絶とうとしたその時。
今から二十年前の話だ。
没落した御薗家の前に、一人の男が姿を見せた。
名を「浅間五郎」という。
没落した家と命を捨てた家族を前にして、吉枝は自暴自棄になっていた。そこに、現れたのが浅間五郎だった。浅間五郎は、御薗家の惨状を見て、肩を落としてくれていた。落胆してくれていた。吉枝はそれが嬉しかったのだ。
浅間五郎は穏やかな男だった。その男が口にしたのは、紅様の暗殺計画があるということだ。しかし、ただの民である五郎に紅に近づく術はない。そこで御薗家に頼ってきたのだと。
(御薗家の権威があれば、紅様に近づくことが出来る)
浅間五郎は賢い男だった。紅様に暗殺計画を伝え、その計画を浅間五郎の手で潰すことで紅様に交換条件を求めるつもりだと言った。その条件を知り、吉枝は浅間五郎に協力することを決めた。御薗家は没落した家に過ぎない。それでも、その名は市中に知れ渡っている。吉枝は浅間五郎を死んだ義兄の残した息子として誤魔化し、残された義兄の遺品ともいえる立派な着物を着せ、紅城の前に出した。
それでも紅様に会うことは叶わない、と吉枝は思っていたが、思いのほかうまく行き、浅間五郎は先代紅との謁見を手にすることが出来たのだ。正しくは、身分を隠した紅様が真の姿で浅間五郎に近づき、浅間五郎と話をし、浅間五郎の交換条件を呑んだそうだ。
吉枝は浅間五郎の帰りを待った。死んだ息子が生き返ったような、そんな気がしたのだ。浅間五郎は紅との謁見がうまく行った後に吉枝を訪ねて言った。
――必ず、帰ってくる
しかし、浅間五郎は帰ってこなかった。
吉枝は御薗家が没落した今も、この建物を守り、一人で生きてきたのだ。