赤と異色(3)
悠真が赤を思うと、暗い廊下が赤色で満たされた。それは赤が姿を見せる前兆だった。
――色は覇権を争うのじゃ。
気づけば赤が悠真の前に座っていた。義藤は赤のことに気づいておらず、赤は楽しそうに手を義藤の前でひらひらと振った。その仕草はどこか紅と似ていた。もしくは紅が赤と似ているのかもしれない。
――義藤には見えぬ。わらわは色神じゃ。誰しも見える存在ではあらぬ。
赤は妖艶な口元に指を当て、悠真に黙るように言った。
――小猿が声を出せば、義藤に疑われるぞ。義藤は聡い若者じゃ。黙っておれ。
赤は妖艶に座りなおすと、赤く塗られた唇を動かし笑った。
――色は覇権を争うのじゃ。それはわらわも同じじゃ。わらわも色の覇権をとるために、色神紅を選び、紅の石を作らせ、紅の石を使わせる。
赤が赤く塗られた瞼を細めた。強いのに、どこか儚いと感じるのは、赤と紅が似ているからだ。
――わらわは、わらわの色のために存在する。この世から赤という色が消えぬためにな。色の世界とは、小猿ら人間が思う以上に複雑じゃ。あまたの色が存在する世界。主力を握っておる色は数十の色。わらわの赤色も、主力の色の一つじゃ。されど、いつその座を失うのか分からぬ。いけ好かぬ黒や白の奴が、赤を狙い、火の国を狙っておる。それは他の色も同じ。
赤は小さく溜息をついた。
――少しずつ、少しずつ、わらわは朽ちてゆく。
悠真はその言葉の意味が分からず、思わず声を上げそうになった。その悠真に、赤は再び唇に指を当てた。
――そう、思うだけじゃ。悠久の年月を、色の世界の覇権を争うことだけに使い、主張を続けるとは何とも愚かなことのように思うのじゃ。人間は容易く命を失い、わらわを裏切る紅と、わらわが守ろうとしても人間ごときに殺される紅。異色は、色の世界だけでなく人間を使って己の色の主張を始めおった。愚かなことよ。そして、人間ごときに心掻き乱される、わらわも愚かなことよ。
悠真は赤の美しさに目を奪われていた。赤は優雅に笑った。
――小猿、義藤を死なせるでないぞ。義藤は紅のためにも、わらわのためにも必要な存在じゃ。小猿が我が色を受けれれば、今日、いかなる敵が迫ろうとも義藤が命を失うことはあらぬ。
赤は身を乗り出した。
――小猿、わらわの話、忘れるでないぞ。
赤は悠真の頬に触れると、そっと立ち上がった。
――敵は来る。それは間違いない事実じゃ。それも、強い術士じゃ。命を捨てる覚悟も持っておる。小猿、忘れるな。敵は必ず来るぞ。
赤が断言した直後、赤い色は廊下から引いた。赤が引くと同時に赤の姿は掻き消え、そこには静寂な廊下があるだけだ。
「どうした、ぼんやりして?」
義藤が悠真に尋ねた。
「なんでもない。大丈夫」
悠真は答えた。赤がいた。そんなこと誰が信じるというのだろうか。本当にあれが色神「赤」なのかも分からない。紅を色神に選んだのか彼女なのかも分からない。結局は、悠真の妄想だと笑われるだけだ。現に、悠真自身も自分の目を信じていなかった。ただ、赤が悠真の知らないことを教えてくれることを教えてくれることは事実だ。
色神とは、不思議な存在だ。もしかしたら、紅には赤の姿が見えているのかもしれない。悠真は赤と紅を並べて考えた。紅の理想の紅像の一つは、どこか赤と似ているのだ。強く美しい赤を紅は作り出していた。そのようなことを思うと、微笑ましい。
「それで、小猿の故郷はどんなところだったんだ?」
「え?」
思考の海に心を浸していた悠真は、義藤の問いで現実に引き戻された。悠真の故郷は自然の美しい所。海で泳ぎ、魚が跳ね、裏山を駆け回った。悠真はそんな故郷で十六年間育ってきた。義藤が悠真に尋ねるから、悠真は故郷のことを話した。次第に悠真の言葉は熱をおびていく。美しい思い出。その思い出は土砂に呑まれていく。
「俺の故郷は、他にどこにもない。自慢の故郷なんだ」
悠真はそこまで言うと、言葉を詰まらせた。故郷はもう無い。悠真の熱弁を黙って聞いていた義藤が低く言った。
「悪かった」
なぜ、義藤が謝るのか分からないが、義藤が謝るから悠真の目に涙が浮かんだ。故郷が滅びた事実を、惣次の身体から噴出した赤い血を、悠真は思い出したのだ。故郷が滅びたのも、紅城へ足を運んだのも、すべて夢であって欲しいと願った。目が覚めれば祖父が隣で眠っていて、に火を入れて食事の準備をする。そうあって欲しいと願った。願いが虚しいものだと分かると、言いようの無い気持ちが悠真を襲った。十六になって、情けないことだ。男は泣くな、強くあれ。祖父が生きていたら、悠真を怒鳴っただろう。怒鳴られても良い。祖父の声を聞きたかった。
「俺たちが何をしたんだ?義藤、教えてよ。どうして、どうしてこんなことになるんだ」
義藤を責めても意味は無い。分かっていても、止められない。紅たちに何の罪も無い。
「なあ、義藤!」
悠真は思わず義藤の赤い羽織をつかんでいた。義藤は目を伏せた。そして、ゆっくりと悠真の手を覆った。義藤の手はとても温かい。
「俺には、言葉をかける資格はない。それでも、一つだけ願いがある。紅を信じて欲しい。紅は強く優しい人だ。それだけは信じて欲しいんだ」
悠真は何も言い返せず、義藤の赤い羽織から手を離した。
――赤はともかく、今の紅は優れた人よ。
無色な声も悠真に言った。彼らは紅を信じている。悠真はどうなのだろうか……。