白の逃亡者(2)
このような時が続けば良い。ソルトはそんなことを思っていた。ここは火の国だ。極寒の雪の国じゃない。雪の国で、白の色神ソルトに救いを求める民はいない。命の選別をしなくて良い。たった一つの白の石をどのように使うのか、苦悩する必要もない。医学院を廃止したソルトを陰で責める者もいない。ここは穏やかな時が流れ、ソルトの心は平穏だった。
格子窓の外から、鳥の囀りが響く。空は青く澄む。目の弱いソルトであっても、鳥の囀りを耳にすることは出来た。
――この地に来て良かった。
ソルトは思っていた。
――この地に来て良かった。
幼い頃、医学院で実験体として育ったソルトに、子供時代の平穏な記憶はない。ソルトとなってからも、平穏な時間とは無縁だった。今、ソルトの心は穏やかで、この時間がずっと続けば良いと願っていた。この時はソルトにとって幸福な時間。
冬彦が露店で菓子を買ってきてくれた。そして火の国のお茶を淹れてくれた。ソルトは冬彦が一人で外に出ることを禁じるのを止めていた。冬彦はどこにも行かない。そう信じていたのだ。そして、冬彦はどこにも行かなかった。
「火の国の菓子はうまい」
冬彦は言った。白い皮の中に黒いものが入っている。黒く甘い中身は、ソルトの心を和ませた。それに反するように、少し苦い緑のお茶。何とかこれを、雪の国でも作れないか、とソルトは思うほどだ。
「美味しい」
ソルトは、思わず口にした。火の国の食べ物は美味しい。食事はあっさりとしている。魚が美味しいものだとは知らなかった。パンは懐かしいが、ご飯も美味しい。
「私は、ソルトが甘い菓子が好きだとは思っていませんでしたよ」
アグノが微笑んでいた。
椅子のない生活は少し不便だった。足の力が弱いソルトは一度座ってしまうと、立ち上がるのが大層難儀なのだ。その度に、冬彦かアグノが手を貸してくれる。火の国の着物も動きにくい。男物の冬彦やアグノはそうでもないだろうが、ソルトの着物は動きにくい。火の国の赤の色神も女性だと聞いている。彼女も動きにくいだろうな、とソルトは見たこともない赤の色神に思いを馳せた。彼女を憎んでいるのではない。最初は興味があったが、冬彦が近くにいるからだろうか、今は赤の色神に対しても特別な感情は無い。ただ、この火の国に生きる赤の色神に、同じ色神として会ってみたい、人生の先輩として何かしらのアドバイスをもらいたい、そういう気持ちを抱くだけだ。