赤の涙(2)
紅は重圧の中生きている。自分を守るために誰かが命を失うかもしれない。それが大切な人だとしたら、なんとも辛いことだ。義藤がそっと手を伸ばし、紅の肩に手を乗せた。
「大丈夫、ずっと一緒にいる」
義藤の言葉は温かい。義藤は何も言わず、懐から布を取り出し紅の頬に流れる涙を拭いた。その様子は、優しい兄のようであった。義藤と紅の間には、悠真が割って入ることが出来ない空気が流れている。それは、赤の仲間たちも同様であった。紅が色神となる前から、二人は一緒にいる。紅が色神になったから、義藤は紅城へ足を運んだ。義藤は色神を守っているのではなく、悠真の目の前にいる女性を守っているのだ。その間には誰も入ることは出来ない。悠真の横で小さく笑う野江の声が聞こえた。
「さあ、あたくしたしは少し休みましょう」
野江が都南の背中を叩き、草履を脱いだ。野江の行動は紅と義藤に気を使っているようであった。
「お、おう」
都南も野江の後を追い、草履を脱ぎ、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てた赤い羽織を手に取ると佐久の部屋に足を踏み入れた。
「わしも休むとするか」
遠次が言い、部屋に足を向けた。
「ほら、佐久、鶴蔵。行くぞ」
遠次が立ち尽くす佐久と鶴蔵の肩を叩き、佐久と鶴蔵も部屋へと下がった。当然のように佐久は足を滑らせ、今度は鶴蔵が佐久を支えた。
「佐久はん、気いつけてください」
佐久を支えることに赤の仲間たちは慣れているようだった。赤の仲間たちが佐久の部屋の中に入るから、悠真は居心地が悪くなり赤の仲間たちの後を追った。義藤が紅を守ろうとしているから、悠真が義藤に行っている品定めが終わってしまいそうだった。一人の女性のために強くなり、一人の女性を守るために命を賭して、一人の女性を支えるために笑い続ける。義藤を良い奴と決めたくなかったが、悪い奴とも決めたくなかった。悠真は一度、紅と義藤を振り返り佐久を追った。泣く紅の背を義藤がさすっていた。その光景は悠真の心にしこりを残すには十分であった。
佐久の部屋の中に座った時、都南が室内で遠慮なく服をはたき始めた。部屋の中に埃が舞うが、佐久も大雑把な性格なのか、あまり気にする様子は見せなかった。野江が不快感を露にし、一つ咳払いをした。
「都南、外ではたいていただけないかしら?」
都南はわざと野江の前で着物を叩き言った。
「今、外に出るほど俺も野暮じゃないさ。いいじゃにか。部屋の主が気にしていないんだ」
野江に都南も負けていない。都南の口調は強く、悠真に紅の石を渡すことに反対し朱塗りの刀に手を伸ばしたときと同じような一色の乱れがあった。
「お茶に入るでしょ。都南はあたくしに喧嘩でも売るつもりなのかしら?早く、羽織を着なさいな」
野江がお茶を指しながら不満を言い、押し負けた都南はくしゃくしゃに丸めた赤い羽織を羽織った。野江の口調も荒い。どうやら野江も苛立っているようであった。二人の苛立ちは辺りに静寂を与え、悠真が周囲に目を向けるには十分の時間があった。悠真は都南が赤い羽織をまとうのをじっと見ていた。そして思うことは、赤い羽織の布は良い布なのかもしれないということだ。都南が乱暴に丸めた羽織には皺の一つも残されていなかった。もしかすると、赤い羽織は絹なのかもしれない。悠真は、隙があれば誰かの赤い羽織に触れてみようと決めた。田舎者の悠真にとって、絹はとても珍しいもので、どのように絹を赤に染色するのか興味があった。赤が高貴な色とされる火の国では、絹を赤に染色することはあまり無い。赤の源は何なのだろうか。悠真には分からないことばかりであった。
赤い羽織をまとい、皺がついていないか確認するような素振りをした都南は口を開いた。一時の感情の乱れなのか、都南の口調からは先ほどのような苛立ちは感じられず、一色も平静を取り戻していた。
「どうも気が立つのは、義藤の奴が気が立っているからだろうな。あいつの感情の乱れは分かりやすいから、俺たちにも伝染する。別に野江に喧嘩を売るつもりは無いさ」
都南が平然と言った。誰も否定しないということは、赤の仲間たちは同感だということだろう。しかし悠真はそのように見えなかった。悠真には、義藤は平然と落ち着き払っているように見えたのだ。都南と同じように平静を取り戻した野江がお茶を入れながら続けた。
「そうね、二年前のことを思い出しているのかもしれないわね」
悠真は二年前に何が起こったのか知らない。知っていることは、二年前に惣次が紅城から出て行くきっかけとなった戦いがあったということだ。これまで優れた力を持っていた術士が、術を満足に使えなくなるほどの戦い。紅たちが思い出す二年前の戦いに悠真は興味があったが、それを聞き出す勇気は無かった。先ほどの話では、二年前の戦いの後、都南や佐久までもが紅城を去ることを考えたと話していた。
――二年前。
悠真は二年前に思いを馳せた。二年前、悠真は何をしていただろうか。少なくとも、火の国を支える色神紅や、紅を守る優れた術士たちが傷ついたとは夢にも思っていなかった。佐久が笑った。
「僕は今日、義藤が都南と手合わせをして良かったと思うよ。義藤は頑張り過ぎなんだよ。真面目で、礼儀正しくて……義藤は紅城に来た十年前からまっすぐに走り続けてきた。僕はね、さっき義藤の素が出てきたみたいで嬉しかったよ。大丈夫、二年前のような事態には決してしない。僕たちは、二年前より強くなったんだからね」
遠次がゆっくりと口を開いた。
「紅は細い糸の上に立っておる。今にも切れそうな糸の上に。お前たちが、紅が足を踏み外さぬように支えるのだ」
赤の仲間たちは遠次に深く頭を下げた。悠真は赤の仲間たちを見つめ続けた。彼らは何を思い、どんな未来を描いているのか。悠真はそれが知りたかった。