藤色の潜入(11)
官府の建物は、他者を拒絶するように大きくそびえていた。官府の前では、物を売る行商人が歩いていた。義藤の奇天烈な服装に、行商人も戸惑っているというところだ。その中で一人、籠を背負った女が興味本位で近づいてきた。
「あらまあ、最近は変な人が多いもんだねえ」
女は大仰に独り言を言っていた。
「昨日は、葬式みたいに黒い服を着た男がいたと思ったら、今度は歌舞伎者ねえ」
その言葉が義藤の耳に残った。
「黒の色神かもしれないな」
義藤の耳元で、紅の低い声が響いた。ここまで黒の色神は手を伸ばしているかもしれない。そう思うと、火の国に一刻の猶予さえないことが分かった。義藤は紅の背を叩くと、守衛のいる門の前に足を進めた。
これから名女優「紅」の前で、義藤は歌舞伎者「藤丸」を演じてみせる。
「おーい!」
義藤は口元に手を当てて、大きな声で叫んだ。歌舞伎者藤丸らしい行動だ。
守衛が慌てて飛び出して、義藤を取り押さえようとした。そんなこと分かっている。本来ならば、官府の守衛ぐらい大したこと無いのだが、ここは歌舞伎者藤丸。義藤は簡単に腕を取らせた。
「あいててて……おーい、秋幸」
義藤が言うと、秋幸が真っ先に飛び出し、瞬く間に二人の守衛の腕を掴み上げ、手を離したかと思うと一人の守衛の喉下に刀を当てていた。さすが、秋幸と言ったところだろう。都南に剣術を習って、日が浅いというのに、基礎的な身体の使い方は出来ている。
「何なんだ!お前たちは!」
刀を喉元に突きつけられた守衛は怯えていた。喉元に刀を突きつけられていない守衛は後ろに下がりながら、震える声で虚勢をはった。
「こちらにいらっしゃる方をどなたと思う?」
紅がどんな設定なのか分かりにくい口調で言った。紅なら上手く出来るはずだと義藤は思っていたが、どこか不安を覚えるのは当然の流れだ。そんな義藤の不安を知ってか、知らずか、紅は続けた。
「こちらにいらっしゃるのは、かの有名なちりめん問屋の御曹司。藤丸様だぞ。どれだけ税金を納めていると思うんだ?怪しむなら、確かめてみろ!」
確かめられたら、困るのだが紅はそんなこと気にしない。義藤は思わず小さな溜め息をつき、懐から金子を取り出した。渡すつもりは無いが、見せるだけで十分な効果がある。ついでに、わざわざ赤い財布から取り出してみせた。紅は色神だ。赤の専売特許は紅であり、紅の石だけでなく、赤を許可するだけで多額の金が発生するのだ。火の国では赤は高貴な色であり、赤を持つには紅に多額の金を支払い、どれけの大きさの何を使うのか、いちいち許可が必要だ。赤を持つということは、些細な布であっても莫大な経済力を持つという証拠。だから、豪商らは権力の象徴として僅かな赤を求めるのだ。
「赤だと……」
守衛らは一歩後ろに下がった。常に赤い羽織を纏っている義藤にとっては、信じられない光景だった。紅城の中で、この無鉄砲な紅に仕えていると、赤の価値を忘れてしまいそうになる。このように、術士以外に接して、赤の価値を再確認することが、時には必要かもしれない。義藤は、小さく苦笑した。