藤色の潜入(10)
義藤は、自らが歌舞伎者になれることを知っていた。毎日、自分の顔を見ているのだ。どこを、どう変えれば別人になれるのか知っている。だれも、生真面目で有名な朱護頭義藤と、内掛けを羽織った歌舞伎者を同一人物だとは思うまい。
「化ければ変わるもんだな。私は感心した」
紅は、けらけらと笑っていた。秋幸にいたっては、あんぐりと口を開いている。
「言っただろ。俺が一番適しているって」
義藤は身を翻した。
「それで、名は何とする?」
義藤が言うと、紅は笑った。
「秋幸は秋幸のままでいいだろう。そうだな、義藤は藤丸。私は義太郎とでもしておこうか。藤丸は地方のちりめん問屋の道楽息子。金を用いて、官府へ乗り込む。そんな筋書きだな」
秋幸がうなづいた。
「術士との友好を願っているのは、源三という一般登用の官吏。彼を筆頭に、数名の官吏が動いています」
秋幸が言うと、紅が秋幸の背を叩いた。
「動いている。そうだろ。あまり、気を使うな。只でさえ少ない、私の信頼出来る者たち。距離を作りたくない。第一、秋幸は義藤の古い仲間だろ。何も気にするな」
紅は目を細めて笑った。その笑いは、赤い色を周囲に放つ。赤が零れ落ち、高貴な空気を漂わせる。間違いなく、紅は赤の色神だと再認識させられるのだ。困惑した秋幸は、困惑したまま俯いた。その秋幸を紅は更に攻め立てる。
「第一、悠真は私に気遣いなんてしないぞ。あいつは、とんだ根性持ちだな。秋幸も根性を持て」
困惑しきった秋幸が哀れで、義藤は紅の肩に手を乗せた。
「あまり攻め立てるな。秋幸が困っているだろ。こういうのは、時間が掛かるんだ。野江や都南、佐久だって時間がかかっただろ。鶴蔵に至っては、今でも変わらない。お前という存在は、お前が思っている以上に、俺たち只の人間からしたら高貴で遠い存在なんだ。そうだろ、義太郎」
義藤が言うと、紅は頬を膨らませた。義太郎と藤丸なんて、どこで何の名前を組み合わせたのか簡単に分かるものだが、それも紅らしい。こんな状況でさえ、紅はかつての名の一部でさえ使おうとしないのだから。
「さあ、行くとしますか。秋幸、しっかり案内しろよ。俺は少し、無茶をするからな」
義藤は紅城と対立するように建つ官府に目を向けた。まだ、距離があるというのに、官府は威圧的に義藤らを見下ろしていた。
なぜ、このような状況になったのか。義藤は振り返ることを止めた。結局のところ、義藤は紅の近くいるのが役目なのだ。永遠と紅を演じ続ける彼女が、ほんの一時でも自分の姿を出せるように、いつまでも変わらず近くにいることなのだ。
歌舞伎者に変じた義藤と、男装した紅、そして巻き込まれた秋幸は、並んで官府へ足を進めた。