藤色の潜入(6)
義藤は佐久たちを呼びに行く足を止め、自室に戻ると書卓に向かった。紅は義藤の後ろで畳みに寝転がっている。今すぐに飛び出しそうな紅を引きとめ、自室に引っ張ったのは野江たちに何も言わずに行く勇気が、義藤には無かったからだ。畳の上に寝転がり、仰向けになったり、うつぶせになったり、気ままに寝転がっている紅を見ると、義藤は安堵した。それは、昔と何も変わらない紅の姿だからだ。
「お前の部屋は、いつきても片付いているな。佐久の部屋も片付けてやれよ」
紅は畳みに頬をつけて笑っていた。
義藤は紅を見ると、すぐに書卓に戻った。手早く墨をすり、野江たちに手紙を書いた。紅と秋幸とともに官府へ潜入すること、心配は必要ないこと。何かあればすぐに救援を求めること、それらを書くと筆をおいた。
「腹が立つくらい字が美しい奴だな」
紅は義藤の肩越しに紙を見ると、頬を膨らませていた。
「少し、大人しく待っていたらどうだ?字なら、赤丸の方が達者だろ」
義藤は紙を乾かすために、引き出しから扇子を取り出し、扇いだ。本当は、乾くまで待ちたいのだが、その時間もなさそうだ。義藤の兄、忠藤は達筆だった。
「赤丸は、あまり字を書かないからな。お前たちの両親を知っている人が言っていたぞ。お前の父は、とにかく達筆だったらしいな」
紅は微笑んでいた。
義藤の母は、先代の赤丸だ。だから、母のことを知るものはあまりいない。紅が思い出したように話す。先代の赤丸を知る赤影から聞いているのだろう。義藤の父は赤丸以上に子を持つことが許されない存在だった。もし、父が赤影の誰かならば、義藤らは山に隠されることなく、赤影として育てられていただろう。
「どうかな。俺は父に会ったことがないからな」
義藤は扇子で扇ぎながら言った。父のことは知らない。誰だか想像はつくが、その人だと想像でさえ口にすることも出来ない。
「探してみようか?お前の父が残した字を」
義藤はふと、背中にぬくもりを感じた。紅の手が、義藤の背に触れているのだ。赤い羽織を通して、紅の手のむくもりが伝わってくる。赤の力を持つ、紅のぬくもりだ。義藤は振り返らなかった。振り返れなかったのだ。紅の手のぬくもりが、背を通じて義藤の全身に広がっていくのだ。
「どこかにあるだろうな。この広い紅城を散策すれば」
義藤は、硯を文箱に片付けた。筆についた余分な墨をふき取ると、それも文箱に入れた。筆は大きいものから小さい順へ。墨が文箱につかないように、手早く、丁寧にふき取って。
この紅城は、歴代の紅の香りが残る。今、義藤の背に手を当てている紅の香りも、先代の紅の香りも、何代も前の紅の香りも色濃く残っている。この紅城は、歴代の紅の歴史なのだから。
「さて、紅。官府へ潜入する。その旨は、野江に手紙で残した。これを、野江の机の上に残していく。それに文句はないだろ」
義藤はそっと振り返り、猫のように畳の上に転がる紅の頭を軽く叩いた。