赤の薬師(5)
犬が目を閉じた後、小柄な女性が乗っていた馬が足を進め、倒れた術士の横に膝を折った。まるで、意志を持って動いているようであった。小柄な女性は突然の馬の行動に戸惑っているようであった。しかし、赤菊は違う。これまでの怯えた表情を一変し、速足で女性に歩み寄った。
「手伝ってくれてありがとうございます。この人たちを、休ませることが出来る場所があると良いのだけれど」
赤菊は術士の男の脇の下に両腕を入れた。馬はじっとしている。
「悠真、手を貸しなさい。馬に乗せるわよ」
赤菊が凛と響く声で悠真に言った。
悠真と赤菊と、小柄な女性の三人がかりで意識を失った術士の男を馬の背に乗せた。なぜ、馬が大人しく膝を折ったのか、悠真には理解できない。それは、小柄な女性も同じようだった。
「賢い馬ね」
すべての真実を知っているだろう赤菊は、何事も無かったかのように言った。馬は馬の意志で立ち上がった。
小柄な女性は慌しく馬の手綱を取り、赤菊は落ち着いて犬を抱きかかえた。しかし、子牛ほどの大きさのある犬だ。簡単にはいかない。犬の毛が血で汚れ、ぬるぬると滑るから尚のこと抱き上げにくい。だから、悠真は赤菊に背中を向けた。
「俺が背負うよ」
悠真は言い、犬の尻に手を回して背負った。子供ほどの重さはあるだろう犬の重みが、ぐっと悠真の背に圧し掛かった。
「ありがとう、悠真。お願いね」
赤菊はそっと、悠真の肩を叩いた。その足で赤菊は小柄な女性に近づき、頭を下げた。
「菊です。あなたは?」
赤菊は小柄な女性に言った。すると、小柄な女性は花開いたように笑った。
「私は可那よ。たまたま、家に帰ろうとしたら、黒い化け物を見てね。慌てて馬を飛ばしてきたわけ」
悠真は不思議でたまらなかった。普通の女性が馬を持てるだろうか。普通の女性が、こんな森の奥深くに家を持つのだろうか。すると、同じように赤菊も疑問を抱いたらしく、彼女は尋ねた。
「こんな山奥に家が?」
赤菊が尋ねると、可那は笑った。
「そう、ちょっとした事情があってね。なかなか帰って来れないんだけど。――でも、同じ疑問は私も抱くの。なんで、あなたたちはこんな森の奥深くに?」
可那の疑問は最もだ。赤菊は答えに戸惑ったようだったが、すぐに答えた。
「私と、そこの弟は露化草を探しに来たのよ。幻の薬草。この森の奥地にあると、伝説があるから、迷わないように川沿いに探していたの。そしたら、空からこの男と犬が降ってきたの。私の弟、悠真が川から引き上げたのだけれども、途方にくれていたの。そこに、可那さんが来てくれて助かったわ」
赤菊は流暢に嘘をついていた。悠真は、犬を背負って馬を引く可那と、並んで歩く赤菊の後ろを歩きながら、二人の後ろ姿を見ていた。確かなことは、赤菊の手が小さく震え続けているということだ。怯えた赤菊は勇気を振り絞っている。
「露化草を探しているっていうことは、ご家族の誰かがご病気?」
可那が尋ね、赤菊は嘘に嘘を重ねた。
「父が、胸の病なの」
赤菊の嘘に可那は答えた。
「それは、間違いね。露化草は万病に効くとされているけれど、一歩間違えれば毒の草。適切な量と、成分の抽出、配合する他の薬草によって効果が変わる。使いこなすのは難しい薬草よ。安易な期待は持たないことね」
確かなこと。それは、可那が薬草に対する知識を持っているということだ。