藤色の忠義(7)
紅が演技をするには理由がある。それを知っているのは、義藤だけでない。野江も都南も知っている。紅の身分を隠し、紅が自由に動けるように、色神紅の安全が少しでも守られるように、願っているのは義藤だけでない。
「こいつは、駆け出し術士だ。才能はあるんだが、現場が苦手でな。一人立ちさせるために、連れまわっているんだ。このままじゃ、佐久の後任になってしまうだろ。それが、そちらに何の関係があるんだ?」
口を開いたのは都南だった。紅は義藤の影に隠れた。
「とはいえ、優れた術士の御三方と一緒とは。この先が楽しみな方ということで」
嫌味に食いつく寿和を、野江が静かな言葉でとめた。
「いい加減になさいな。今、あたくしたちがしなければならないのは、この状況の処理をすることよ。それには一刻の猶予もなくてよ。あなたも自らの仕事をなさいな。もし、犯人が術士ならば、あたくしたちの力も必要でしょう。下村登一のような、隠れ術士もいるのですから。官吏でありつつ、愚かな生き方をする者も多いのですからね」
野江の口の悪さは昔から何も変わらない。見た目との印象が違うからこそ、慣れない人は驚いて動きを止めてしまうのだ。
今、下村登一の話題は、官吏の中でも腫れ物に触るようなものだ。下村登一が行っていた悪事は、紅の手によって明らかにされ、官府の中にも「今の紅は府抜けでない」と知らしめた。紅に反発する官吏には、面白くない状況だ。野江はそんな腫れ物にどんどん触れていく。
「そもそも、下村登一の乱であたくしたちは大きな痛手を負いました。それこそ、官府内部の規制の至らなさではないのですか?」
野江は遠慮がない。
「あたくしたちに苦言を呈するのは、あなた方の自由です。それでも、先に己の身の振る舞いを振り返ってはいかがですか?あたくしたちに調べられたくないこと、あなた方にもあるのでは?」
さらに野江は続けようとしていた。義藤が辺りを見ると、官吏の表情がみるみる険しくなっていく。このままでは、自己評価の高い官吏が怒りを露にするのも時間の問題だ。
「その辺りにしませんか?」
義藤は野江の肩を叩いた。野江は振り返り、そして困惑したように微笑んだ。美しい野江は、知的で冷静なように見えるが、近くにいると野江の本質が分かる。野江という人は、内に熱いものを秘めている人なのだ。だから、紅を責められ熱くなる。それが、野江の素晴らしいところであるのだが……。
「お前は言いすぎなんだよ。少し黙ってろ」
都南が野江を止めて、足を進めた。
「この件は、俺たちも調査する。そちらも、そちらの好きにすれば良い。攫われた者は、こちらで探しておく」
都南の言葉は高圧的だ。まるで、弱い生き物を喰らう獣のようだ。術士と官府の間には、大きな亀裂がある。権力を二分しているのも理由の一つだが、術士が強すぎるのも理由の一つだ。大事が生じたとき、文官が主の官府では鎮めることが出来ないことがある。術士の力が必要なことがある。今回も同じだ。色神黒が異形の者を使ったとき、戦えるのは術士だけなのだから。
――危うい。
義藤は思った。もしかしたら、術士がいない国の方が平和なのかもしれない。術士がすべての権利を握ることを良く思わない者も多い。火の国でいう官吏が良い例だ。異国はどのようにして国を治めているのか。いずれ、佐久に習う必要があるだろう、と義藤は思った。
とりあえず、官吏はこの場から手を引くようで、義藤は胸をなでおろした。異国が火の国に足を伸ばしているのなら、こんな場所で争っている場合でないのだ。
「義藤」
凍えるような声で、名を呼ばれ義藤は首を回して振り返った。紅のそのような声はあまり聞いたことが無かったからだ。
「気をつけろ」
震えるような紅の声で、義藤は只ならぬことが起こっていることを知った。紅の呼吸は震えている。紅は色神だ。だから気づく。
「野江、都南」
義藤は小さな声で二人を呼んだ。呼ぶと同時に、都南が刀に手を伸ばしていた。何が来るのか。
――黒。
考えずとも、容易く想像できた。