赤の茶会(2)
たどり着いたのは、官邸の一つ。部屋の主に断りを入れることなく、都南と野江は足を踏み入れ、部屋の主であるはずの佐久は時々足を敷居に取られてつまづきながらたどり着いていた。そこは、難解そうな書物と埃で溢れ、三部屋あるうちの一つは書物で溢れ、一つは仕事部屋と寝室のような場所になっていた。最後の一つに食卓や来客用の茶具が置かれて、日に焼けた畳が紅城の内部にある官邸にそぐわず、この部屋の主は、栄華や人目を気にしない存在と示していた。佐久の人と柄が、部屋の様子から伝わってきて、悠真は思わず佐久を見つめた。佐久はとても優しい。狭く散らかった部屋は、失った悠真の実家を思い出させた。紅城は高貴な赤で満たされ、田舎者の悠真は肩が凝るのだ。紅城の中では異質なほど散らかり、生活感が溢れるこの部屋は、悠真にとって温かく感じ、同時に自分が紅城に似つかわしい田舎者なのだと感じた。そして、悠真とは別の意味でこの部屋にふさわしくない存在が悠真の目の前にいた。彼女から溢れ出るのは眩い赤色だ。鮮烈で、温かくて、鮮やかで、強くて、儚い赤色。野江に攻められ、彼女は小さく笑った。
「ご自分の立場を分かっていらっしゃるのですか?」
官邸の扉を後ろ手で閉めた野江が彼女に言った。
「分かっているよ。私は強い。そうだろ」
自信溢れる口調は、第一印象の紅そのもので、紅は不敵な笑みを浮かべた。
「この火の国に、私以上の紅の石の使い手はいない。そうそう恐れるような事態にはならないさ」
紅はひらひらと手を振った。まるで、紅は自らに護衛がついていることを無駄なことのように態度で示していた。そんな紅に対して不快感をあらわにし、眉間に深くしわを刻んだのは都南だった。
「義藤はどうした?」
都南が彼女に言った。
「ああ、義藤は出来る奴だから、私の人形を護衛しているさ。私が出ているのを知っているのか、知らないのか……。まあ、どっちでも良いけどな。義藤は私が抜け出したことを知っていても追ってこない。あいつは知っているのさ。敵の大半は義藤がいるところに私がいると考えている。だから義藤は追ってこないのさ。この姿の私に義藤がついていると、私が紅だと知られるからな。それに、私は一人で行動しているようで、一人じゃない。私を守ろうとしているのは表のお前たちだけじゃない」
紅の言葉に、佐久が溜め息をついた。
「確かに、紅は火の国で一番の石の使い手だよ。そんな紅に護衛がつく時点で間違っているのかもしれない。でも、忘れないで。紅は護衛が必要な存在なんだ。体外的にも、本当の意味でもね。二年前のような事態に陥ったときに、微力な僕らの護衛はきっと役に立つはずだよ」
紅は小さく笑った。不敵で強い笑み。己の目下の存在だと、相手に知らしめるような笑みだ。悠真は今まで、紅以上に強い存在に出会ったことがなかった。それは、紅の石を使う力などではなく、紅は心が強いのだ。自らに対し大きな自信を持ち、自らを肯定している。迷う必要はない。自分を信じろ。紅は自らに言い聞かせているようだった。
「その、羽織を渡すときに言っただろ。私は籠の中の鳥じゃない。私を閉じ込めておこうなんて、官府のようなことを言うな。私は赤を司る色神。赤は強く美しい色。私は、赤のように強くなければならない。私は赤のように、何者にも汚されない美しさを持たなくてはならない。誇り高く、強く、美しい赤を持たなくてはならないんだ」
その言葉があまりに強くて、悠真は一歩後ろに下がった。正直なところ、紅が恐ろしかったのだ。紅は赤い着物を身に付けていないのに、全身に赤色を纏っているのだ。赤色がこれほど恐ろしいとは思わなかった。
「義藤を呼びましょう。紅が仲間はずれにして怒るのなら、義藤だってかわいそうよ」
野江が言った時、声が響いた。
「私も入れてもらおうかな。若い者たち」
声が響き、扉が開いた。そこには赤い羽織を羽織った男がいた。見た目は惣次と同じだが、惣次ではない。惣次のような親しみやすさが無く、厳格で、他者より少し上に立っている。それは、彼の年齢のせいであり、優れた術士たちを育ててきたせいであり、師としての威圧感のせいであった。
「げ、遠爺」
あからさまに紅が身を引いた。紅は火の国で最も高貴な存在。赤が選んだ存在。紅の隣に立つ者は誰もいない、とても孤独な存在。紅の背負うものを、誰も分かち合うことは出来ない。強いけれど、少し華奢な紅がとても弱い存在に思えた。高貴なのに、内実は親しみやすい存在だ。歴代の紅を悠真は知らない。けれど、今、悠真の目の前にいる紅はそういう存在だ。高貴な存在であるはずの紅は、さまざまな表情を見せる。威厳高く強い存在。親しみやすく表情豊かな存在。
「どうした、紅。何か後ろめたさでもあるのか?」
紅に対して物怖じすることなく、遠次は足を進め、迷うことなく腰を下ろした。その横顔は惣次と同じだったが、堂々とした仕草は惣次とは異なった。
「そんなのあるわけないだろ、遠爺。私に後ろめたいことなんて何もないさ」
紅は笑って誤魔化し、手をひらひらと振り、足を投げさして座っていた。その姿は高貴さとかけ離れ、田舎者と同じ仕草だった。