赤と黒の攻防(8)
下村登一を殺すだけならいつでも出来た。ひそかに忍び込み、暗殺することも出来ただろう。今は人質もいない。殺すことは容易い。けれども、彼らはそれをしない。紅はそれを許さない。死して罰するよりも、生きて罪を明らかにするために。
下村登一が生きて、下村登一の罪が明らかになることが、この火の国の未来につながるのだ。だから赤の仲間たちは諦めない。
鶴蔵は地に倒れ、身動き一つとらない。赤い前掛けが砂で汚れて、ぼさぼさの髪に砂がついていた。地に流れる赤い色。悠真は幾度と無く残酷な赤を見てきた。なのに、慣れない。赤は美しい色だ。それを、残酷な色にしたくない。
「鶴巳……」
野江が恐る恐る鶴蔵に手を伸ばした。それを引っ込め、顔を覆い蹲った。
「鶴巳、どうして、どうして」
悠真は野江のことをあまり知らない。それでも歴代最強の陽緋は、とても強い人だと思っていた。野江が崩れ落ちたことが信じられなかった。歴代最強の陽緋野江は、火の国の要だ。火の国を護る城壁だ。野江が倒れることは許されない。何が起ころうとも立ち上がり、戦い続けるのが陽緋なのだ。
「しっかりしろ、野江!」
都南が野江を叱咤した。術を使うことが出来ない都南は、格子から爪を伸ばす異形の者の前足を斬りおとすしか出来ない。
最強の術士野江が倒れることは、紅たちを窮地に追い込む。紅が野江の代わりを担うが、それは極めて困難なこと。強い術を使う野江の負担を、長時間紅一人で負う事は不可能なこと。都南が野江の前に立ち、赤い鎖を断ち切り、格子を超えようとしている異形の者を、刀で幾度と無く切り落としていた。都南の必死な行為も不死の者に対しては意味を成さない。悠真は野江を見た。野江の一色は霞み、揺らぎ、不安定だ。鶴蔵が倒れたことが、野江を動揺させているのだ。とても術を使えるような心理状況でない。野江の目には鶴蔵しか見えていない。異形の者が術士の術によって地に倒された時、都南は野江の腕を掴んだ。都南が野江の腕を引き、立たせようとしているが、野江は立ち上がることが出来ない。
「お前がしっかりしなきゃ、誰が火の国を守るんだ!二年前、力の大半を失った俺と佐久に言っただろ!陽緋として戦い続けると、俺たちの分も戦うと、俺たちの力不足を補うと、お前は言っただろ!」
都南の言葉は強い。野江を再び戦場へと立たせるために、野江を奮い立たせている。都南は叫ぶように言った。
「野江、俺は無力だ。術を使えない俺に何が出来る?俺の分も立ってくれ!」
都南の叫びは祈りに近い。二年前に命に関わる傷を負い、白の石で命を永らえた都南と佐久。二人は大きな劣等感と戦い続け、紅城に残っているのだ。悠真から見れば、都南も佐久も大きな力を持っているのに、彼らは力の多くを失った。失ったものを嘆くのではなく、前に進み続けている。それでも心に風が吹き込むこともあるのだろう。失ったものを悔いることは当然のこと。このような状況に陥れば尚のことだ。
そして、都南と佐久が力を失う中、力を残した野江。野江は歴代最強の陽緋として重圧の中にいたのだ。だから、異形の者が現れたときも最前線で戦い続けた。一番に石を取り、力を使い続けた。陽緋としての重圧の中で生きる野江を支える存在が、いたとしたら……。それは、鶴蔵の他にいないだろう。鶴蔵が倒れたことが、野江を追い込み、野江の心を乱し、野江の力を奪った。この状況で、すぐに立ち上がれる存在はいない。
「このままじゃ……」
悠真は思わず呟いた。己の無力さを改めて突きつけられた。何のために都に来たのだ。何のために、ここまで来たのか。悠真は紅を見つめた。色神として戦い続ける紅。紅の力になりたいと思った。
「力が欲しい」
悠真は願った。