始まりの赤(1)
世界は色で満ちている。
八百万の色。
全ての生き物は己の色「一色」を持つ。
同じ色の無い一色。
それは人も然り。
色は力。
色は時に心さえ操る。
悲しみの色。
強さの色。
慈しみの色。
世界は色で守られている。
最も美しいのは何色か。
色たちは覇権を奪い合う。
決して終わることの無い色の戦い。
色は人を選び色を与え色神に変えた。
色神は石を生み出せる神に等しき存在。
色神が守る国は豊かとなる。
ここは海に浮かぶ島国。
火の国。
火の国には色神様がいる。
色神様は、司る色の石を生み出す。
火の国は、赤い国。
色神様の名は紅。
紅様は紅の石を生み出す。
紅の石は不思議な力を持つ。
火の国で最も偉大で、最も尊い紅。
この国で最も尊き色は赤。
潮の匂いが心地いい。波は砂浜に打ち寄せ、下がる。浜辺に木の船が上がり、甲板には魚が跳ねる。小さな漁村には何も無い。海岸に沿った家と、船乗りたちに道を示す灯台。山の子供が海に遊びに来て、手習いを教える塾は賑った。住まう人は温かい。捕れた魚を市街へ売りに行き、米や野菜を手に入れる。海岸沿いは山が連なり、畑を作るのには適さないが、豊かな里山は木の実や山菜の恵みを漁村にもたらす。時には、罠に猪がかかった。飼っている鶏は卵を産む。ここは、何も無いが恵まれた漁村。漁村には下緋がいる。下緋は、紅の石を使うことが出来る術士のこと。小さな漁村に、普通はいない術士。術士がいるのは、この漁村に灯台があるから。灯台が船に道を知らせるから。
紅の石は、強大な力を生む。光を生み、熱を生み、動力を生む。紅が生み出す色の石。その石があるから、色神が国にいるから、火の国は豊かだ。外国も侵略することが出来ない。小さな島国が豊かさを続けることが出来るのは、一重に紅様のおかげなのだ。
悠真は漁村で生まれ育った。漁師の息子らしく、海で泳ぎ、山野を駆けた。ふんどし一枚で海に飛び込み、草履を脱ぎ捨てて砂浜を駆けた。洗いざらしの紺の着物に、結わえるのが面倒だからと髪は短く切っていた。悠真の祖父は漁師だ。父も漁師だったらしいが、悠真は父のことを覚えていない。悠真が三歳の時に海に呑まれて死んだのだ。祖父は悠真に言った。海の神の元へと帰ったのだと。だから海を恐れるなと。悠真の母は、悠真が五歳の時に死んだ。母が死んだ時のことは覚えている。母は風邪で寝込み、そのまま死んだ。こうして悠真は祖父と二人きりになった。
父と母がおらずとも、悠真は平気だった。祖父と一緒に海に出て魚を捕る日々。読み書きも出来た。元来器用な悠真は、字が美しいと褒められた。年の近い女の子から声をかけられれば嬉しい。子供たちの相手をするのも楽しい。何より、酒を飲み上機嫌になった祖父の話を聞くのが楽しかった。上機嫌になった祖父は禿げた自分の頭を撫でながら、悠真の知らない父や母の話をした。悠真の中の父や母の記憶はそのようにして作られていった。そして、祖父と一緒に酒を酌み交わすのは、灯台を守る術士だった。
灯台を守る術士の名は「惣次」という。五十歳ほどの男だ。二年前に、この村に配属されてから、悠真は時間があれば遊びに行った。十六歳になる悠真にとって、紅の石を使うことができ、紅に近しい存在に興味があったのだ。そして、色神紅が生み出す紅の石にも興味があった。紅の石を使うことが出来る術士になるには、生まれながらの才覚を要す。火の国に生まれた子供は、数え年が十になると否応なしに適性検査――選別を受ける。紅の石に見定められるのだ。残念なことに、悠真に術士の才覚は無かった。
惣次が悠真に話すことはとても興味深いことだった。紅を守る軍を朱軍、朱軍をまとめる将軍を朱将と言う。紅の護衛を朱護と言う。術士は緋の字を与えられ、術士の頂点に立つただ一人の存在「陽緋」。陽緋についで、灯緋、大緋、中緋、小緋、下緋と続く。惣次は、術士の中でも最も下の下緋だ。しかし、悠真に下緋を侮ることは出来ない。術士の大部分が下緋であり、火の国全土に散らばるのも下緋なのだ。
「いいなあ、惣次は、術士になれて」
悠真は口癖のように惣次に言った。
「ここに配属前は、紅の石を憎んだもんじゃ。普通の生活をしてえ、術士の大半はそう思っておる。もしかしたら、紅様もそげえ思っとるかもしれんの」
口癖のように術士にあこがれる悠真に、惣次は諭し続けた。
「この村は平和じゃから、この村にずっとおるのがええ」
悠真は惣次の言葉の本意が分からなかった。惣次が首に紅の石をかけていることを、しっかりと見ていた。紅の石は、赤く輝き、灯台の明かりをつける。それは、摩訶不思議な光景だった。
世界は色で満ちている。赤、青、黄、燈、黒、白、紫……それぞれの色にも濃度があり、透明度があり、二つとして同じ色は存在しない。八百万の色。悠真は赤い太陽が好きだ。青い海が好きだ。薄青の空が好きだ。木々の緑が好きだ。黄土色の砂浜が好きだ。白い雲が好きだ。黒い夜空が好きだ。
幼い頃から、悠真は色が自分を見ているように感じていた。それは、色が力を持っているからかもしれない。赤い色は力を持つ。この火の国で最も高貴で、最も強い色。誰もが赤を讃え、赤を身に付けることは許されない。人の命は赤で動き、赤は熱を持つ。下緋の惣次は紅の石を持っている。力を持つ赤を身に付けている。悠真は、術士に憧れた。色の力を引き出し、色の力を制御できるから。