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第二話 恋する☆美少女清掃員①

「永久君は、恋しているかい?」


 視界が遮断された暗闇世界の中で、ハスキーボイスが耳に届いて僕の鼓膜を震わせた。

 低いけれど、濁りを感じさせない透き通った声。その声の持ち主である沙良さんからの問いかけに、自然に身体がギシ、と固くなってしまった。

 ……は? 恋?

 沙良さんの言葉は、唐突だった。昨夜から何度も沙良さんに翻弄されている。それは朝がやってきても変わらない状況、らしい。


「こ、恋ですか……?」


 僕はどもりながら聞き返す。

 布地を腰まで引き上げられた感覚。ホックをパチンと留められた音。腿にスカートのプリーツが触れ、揺れる。


「うん、恋」


 なんで、恋なんだろう。

 そんな会話よりも重要なことはいくらでもあるはず。沙良さんは僕が何度問いただしても、大宮煌と内倉永久が入れ替わった方法や、元に戻る方法を教えてくれない。沙良さんならば長年美少女清掃員と関わってきたのだから、元に戻る方法を知っていると思う。けれど僕の詰問は全てのらりくらりとかわされてしまうのだ。そして僕を動揺させることばかり言ってくる。

 釈然としないながらも、聞かれてしまうと思考は自然に恋愛の方向へとうつっていってしまっていた。

 妄想がホワホワと脳内を駆け巡っていた。

 胸が熱くなり、頬が赤くなっていってしまうのを自分でも感じた。


「ニヤニヤしすぎて気持ち悪い。美少女が台無しだ」


 妄想終了。


「ああどうもすいませんでしたっどうせ僕は!」


 すっぽりと服を頭から被せられて、言葉は遮られてしまった。

 沙良さんに導かれるままに袖に通していく。脇のジッパーを上げる音がし、ぽん、と肩襟を叩かれた。


「はい、できたよ」


「……ありがとうございます」


 僕は拗ねて唇を尖らせたまま、後頭部で固く結んだ縛り目を解く。

 白い布がはらり、と床に落ち、視界が開けた。

 目の前の姿見に映ったのは、とてつもない美少女だ。

 セーラー服を着て、腰まである黒髪の一部をリボンで縛っている。背後に美少女の祖母、沙良さんがにやりと笑みを浮かべて立っていた。


「恋する気持ちは人を強くする。美少女清掃員の心得だよ。手帳にも書いてあるから後で確認しときな」


「心得?」


「ま、永久君は恋してるみたいだから、いずれわかるさ。頑張りな、思春期」


「……女の子になって、何を頑張れと?」



 大宮煌の身体と入れ替わって、三日目に突入した。

 ついに本日、学校に行かなければならない日となってしまった。登校拒否児の気持ちになった。

 私生活の上では沙良さんという心強い味方が手に入った。風呂や着替えは沙良さんが手伝ってくれている。しかし学校には沙良さんのような味方はいない。トワは到底味方に思えないし。彼女の腹黒さはスペシャル級だ。

 学校でどんな困難が待っているのか……想像もしたくない。


「いってらっしゃい。頑張りな、永久君」


 沙良さんが玄関まで送ってくれて、僕の肩を軽く叩いてきた。

 玄関から外に出ると、風が冷たく突き刺さる。僕はセーラー服の上にコートをしっかりと着込み、カバンを片手に沙良さんを振り返る。

 沙良さんは個人経営とはいえ、一人で病院を切り盛りしている。事情は聞きづらいので聞いていないけど、大宮煌には両親がいない。沙良さんが一人で煌のことを育ててくれているらしい。

 年齢を感じさせないパワフルな人だ。素直に感心はできるけど、油断ならない人物でもある。何せあの超腹黒女、大宮煌の祖母なのだ。何を腹に抱えているのかわからない。


「行ってきます」


 沙良さんに向けて頭をさげ、重い足取りを前へと進めていく。目指すは、学校だ。

 快晴の月曜日、僕らの通う星霜高校はここから余裕で徒歩圏内だ。

 僕は道すがら、吐き出した息が白くなって出ていくのを見つめた。


「行きたくない、なぁ」


 ぽつり、と呟きが漏れてしまう。憂いの眼のまま、前を見て、

 ――どくん、と鼓動が跳ねた。


「……?」


 思わず自分の胸を見下ろしてしまう。大きい。いや、そんなことはどうでもいい。なんで今、脈が乱れたのだろう。知っている人物だったから?

 前を歩く人物に目が留まって。僕は先ほどの脈の乱れを忘れて、自然に頬が緩んでいくのを感じた。

 軽くなった足取りのまま、駆けていく。

 前を歩く人物の背中に向けて、鞄をぶつけていった。


「よっ! 刹那! 朝会うなんて珍しいね」


「……は?」


 振り返った人物は怪訝そうに表情を歪めて、僕を見つめた。

 三日前には会った筈なのに、遠い昔のことに思えた。ここ二日間が濃密すぎた所為だ。

 彼、(つじ)刹那(せつな)は僕のクラスメイトで、親しい友人だ。もっとも僕が自然体でいられる相手で、気を使いあうこともない。タイプ的には僕と刹那は真逆なんだけど、何故か気が合う。こんな風に軽口を叩ける相手が少ない僕にとっては、刹那は心のオアシスと言ってもいい。


「相変わらずだるそうな奴だね! 月曜日くらいもっと気合入れなって」


 僕は刹那の横に並び、笑いかけた。鋭いけれど気だるそうな眼、僕よりも長身でスマートな体型、陽に透けると茶色く、柔らかそうな猫毛。そして端整な顔立ち。正直、悔しいくらいに刹那は美形だ。友人ながら横顔を見上げると羨ましい。……というか、あれ?

 何故か動悸が激しい。病気か?


「俺と大宮さんって、そんなに親しかったか?」


 刹那は冷たい声を投げかけてきた。


「は? 何を大宮さんなんて余所余所しいな。……大宮さん? 大宮さああああん!?」


 ずざざざざーっと後ずさった。

 それはもう、光速で。


「い、今のナシで! 失礼しましたー!」


 しまった。友人の顔を見て、完全に自分に戻ってしまった!

 今の僕は大宮煌なんだった。誰が見ても。何度目か知れない打ちひしがれに、アスファルトの地面を見おろし、大きく息を吐き出す。

 刹那は僕のその様子を少しだけ立ち止まって見ていたが、特に何も言わずに去っていった。

 深く突っ込まれなくてよかった。刹那は他人に興味がないから、あまり気にしていないだろうけど。それでも、今の僕の挙動は怪しすぎた。


「僕バカすぎる……」


「うん、大バカだね」


 背後から浴びせられた鋭い声。僕の独り言に反応が返ってきて、再び鼓動が跳ねた。

 振り向くと、憮然とした表情のトワが立っていた。


「あれ、トワ。ここはトワの通学路じゃないですよね」


「キミがちゃんと学校に行くかどうか心配で回り道してきたんだ。そしたら、あのバカすぎる現場を見ちゃったわけだよ」


 どうやら一部始終見られていたらしい。僕は頬が熱くなってしまう。


「そ、そりゃ、バカだったとは思いますけど」


「バカだよ。大バカ」


 トワは冷淡な物言いで、凍りつきそうな瞳を僕に向けた。

 実際凍りついた僕の横を、トワが大股に通り過ぎていく。

 ……少し首を傾げた。

 トワはなんであんなにも怒ったんだろうか。トワが感情を露にしたのを、初めて見たかもしれない。

 何にせよ、油断は禁物だ。先ほどのような気の緩みは許されない。僕は完璧美少女、大宮煌として振舞わねばいけないのだから。今から行く学業の場は、戦場と思うくらいの気概で立ち向かわねばなるまい。

 僕は手に持つ鞄をぎゅっと握り締め、気合を入れなおした。

 戦いは、これからだ。



 そしてここは、戦場だ。


「おはよおおおおぉ煌いぃ!」


「やっほ煌! 今日の日本史のノートうつさせてー」


「大宮さん、おおおお、おはようございます!」


「きらりちゃん! もー! なんでそんなに可愛いのー!」


「おはよ! 今日煌なんか元気なくない? なんかあったの? 吐け吐けー」


 学校に辿り着き、校門を潜った途端にだ。

 生徒たちが目まぐるしく声をかけてくる。何人に声をかけられたか分からない。思い知る。彼女、目茶苦茶に顔が広い。

 僕はただ、愛想笑いを浮かべるしか出来ない。

 トワは僕の少し前を歩いている。わかっていたけど全く助けてくれそうな気配はない。最終的にたくさんの女子生徒に囲まれて、集団となってしまった。僕は集団の中心に立たされて、俯きがちに歩いていく。

 クラスメイトの女子ですら、まともに会話した経験がないのに。

 確かにいつも大宮煌は女の子たちの中心にいたけども。僕がその役割を担えるとはとてもじゃないが、思えない。

 唐突に、背後に立つ女子が僕の脇に腕を差し入れ「ひぎゃぁあああああっ!?」

 ――む、胸揉まれた。

 布を切り裂いたような悲鳴を上げてしまった。

 な、ななな何で突然胸を揉まれたんだろうか。ドキドキしながら振り返る。


「お、何その可愛らしい反応! 萌え研究?」


 同じクラスの女子だった。なんかエロイ目してた。彼女のこんな顔見たことない。

 クラスメイトの女子はわきわきと身体の前で手を蠢かしている。

 女子同士ってそんな激しいことしてるの? 普通なの?

 目が潤むが、ぐっと堪える。ここで泣いてしまっては負けだ。ここは戦場なんだ!


「相変わらず巨乳なんだもん。柔らかくてついつい触っちゃうんだよねー煌の胸」


「で、出来れば触らないでほしいです」


「そんなに赤面しちゃって別キャラでも開拓中なの? 何気にすっごい可愛いんだけど。ねね、煌、一組の二ノ宮君の話聞いたー?」


 ころころと表情を変える女の子たち。忙しい。

 ……正直、ついていけない。僕はこっそりとため息を漏らした。

 ようやく校門から正面玄関にたどり着き、下駄箱で室内履きに履き替えた。その間も絶え間なく話しかけてくる女子たちに、空返事を繰り返していた。

 女の子って大変だ。改めて、大宮煌の身体でいることが苦痛に思えてくる。

 それでも、僕は今大宮煌なのだから。仕方ない。仕方ない、と思ってしまう自分の意思の弱さが悔しい。

 僕は重い足取りで階段を上がり、廊下を歩いていく。

 自分のクラスへと視線を遣ると――

 女子生徒が教室入り口から出てきた。


「――あ」


「あ、おはよう煌ちゃん」


 ほんわり、と柔らかく笑いかけてきた女の子。

 僕は思わず立ち止まってしまっていた。

 保田(やすだ)あさひ。彼女もクラスメイトだ。

 雰囲気そのままの、ふわふわとした肩上で揺れる髪。身長は煌よりも低く、華奢だ。

 彼女は煌と一緒にいるのをよく見かける。多分、大宮煌の一番親しい友達だ。 

 僕自身は一度も会話を交わしたことがない。僕も保田さんも積極的なタイプではないから。

 保田さんがパタパタと室内履きの音を立て、小走りに近寄ってくる。

 僕の前に来ると、満面の笑顔を浮かべた。まるで花が開いたような。


「お、おおおおはよ」


「ふふ、どうしたの? 今日の煌ちゃん、なんだか可愛いね」


「かっかわっかかかぁあ!」


 ――駄目だ。

 大宮煌として、普通に会話するべきなんだろうけど。うまく言葉が出てこない。息が詰まる。

 まさか、こんな風に話す日がくるなんて想像してなかったんだ。

 あさひは目立つ女の子じゃない。みんなの中心として輝く煌の横で、ひっそりと柔らかな笑顔を咲かせていたような女の子だ。僕の反応に軽く小首を傾げ、その大きな瞳で見上げてくる。実は彼女もすごく可愛らしいということは、あまり周囲に気付かれていないのだ、と思う。


「おはよう、大宮さん、保田さん」


 硬直している僕とその前でニコニコしているあさひの元に、教室から出てきたトワが声をかけてきた。


「内倉君、おはよう」


 あさひがトワへと向き直り、ぺこりと頭を下げた。


「早く教室に入らないと、ホームルーム始まっちゃうよ」


 トワの言葉の通り、廊下にはもう殆ど生徒たちは残っていない。僕を囲んでいた女子たちも、いつの間にか教室の中に入って行ってしまっていた。


「あ、そうだね。ありがとう。行こう、煌ちゃん」


 あさひの手が、僕へと伸びてきて。

 ――ぎゅっと手を握られた。


「……っ」


 僕はあまりの衝撃に目を瞑る。心臓がその右手に移動したのではないか、というほどに右手がばくばくと脈打っていた。

 耐え切れずに、ばっと強く手を引いてしまった。

 きょとん、としたあさひの顔。直視できず、俯く。

 右手を胸のところで強く握り締める。――熱い。顔が、手が、胸が。


「煌ちゃん?」


「ご、ごめん先に行ってて。ちょっと、トイレ」


「……うん」


 あさひが怪訝そうな表情を浮かべた後に頷き、ぱたぱたと教室へ入っていくのが視界の端に映った。


「キミ、そんな状態で大宮煌としてやっていけるの?」


 まだ残っていたトワが呆れたように声をかけてくる。


「僕は大宮煌じゃありません!」


 僕はトワをきっと睨み、言い放ってしまった。

 昂ぶった感情のまま、トワへと歩み寄る。こんな風に他人に怒りをぶつけてしまったのは、初めてかもしれない。それでも、止まらなかった。

 なんで、なんでなんで僕のフリして話しかけてきたんだ。

 それは僕の声なのに。僕の身体なのに。

 僕は大宮煌じゃなくて、内倉永久なのに。


「僕は大宮煌として生活することを認めたわけじゃないです! そりゃ、確かに現状はそうするしかないけど、でも……」


 勢いがあったはずの言葉尻が窄んでいく。こういう場面で強気に出れない自分を呪う。

 トワは表情一つ変えないで、肩をすくめた。


「でも、何?」


 廊下に予鈴が鳴り響く。

 そろそろ教師がやってくる。僕は教室の方を見て、息を深く吐き出した。


「……もういいです。教室入ろう」


 どうにもならないのは解っている。結局トワに中途半端にぶつけた感情を自分でもどうすることもできず、拗ねたような言葉だけが出た。

 僕はトワを直視できないまま、教室へと足を進める。


「あさひのことが好きなんだね」


 僕の背中にかけられた、トワの言葉。特に感情がこもっていたわけじゃない。でも、無性に腹立ちを覚えた。


『永久君は、恋しているかい?』


 ああ、そうだよ。

 僕はクラスメイトの保田あさひにどうしようもなく恋している。

 一度も会話を交わしたことなんかない、一方的な片想いだ。

 さっきの会話が、内倉永久と保田あさひの初めての会話だったんだ。

 僕はトワを振り返ることもせずに、教室へと入って行った。





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