第一話 変身☆美少女清掃員②
眩しい朝日がカーテンの隙間からこぼれ差し込み、部屋の中を照らしている。ちゅん、ちゅんと小鳥の囀りが耳をくすぐる。
爽やかな日曜日の朝だ。
ぬくもりの残る布団を名残惜しく思いつつ、ベッドから身を起こした。
自分の柔らかな頬に触れる。続いて頭を触ってみると、指からこぼれおちていく、さらりとした長い黒髪。
「戻ってないね」
問題は、僕が女の子になってしまったということだけ。
僕は姉の部屋で一人、空しく呟いた。
姉、久遠の姿はもう部屋にない。時計を確認すると八時だった。眠れないと思いつつもしっかり寝てしまった自分の図太さに呆れる。
セーラー服のままで寝てしまったので、皺が寄ってしまっている衣服を軽く伸ばし、改めて自分の身体を確認した。
大宮煌の身体だ。女の子の身体をこんなに間近で見るのは、初の経験だ。ごくり、と喉が鳴ってしまった。
その時になって、首から提げていたペンダントに気付いた。服の中に隠れてしまっていて今まで気付かなかった。細い鎖を引っ張って、取り出してみようかと見下ろす。そこで胸部の膨らみに注目してしまい。慌てて目を逸らした。
まずい、これは耐え難い誘惑だ……!
きょろきょろと周囲を確認。部屋には僕一人。
男の子だもん。十七歳だもん。興味ないわけ、ないじゃないか。どんな感触なのか想像するだけで鼓動が高鳴る。セーラー服の上から大きく張り出した胸は、夢のような柔らかさに違いない。ふわふわか、ぷにぷにか。涎が垂れかけて、口元を慌てて引き締める。
もう一度胸を見下ろしてみた。セーラー服の胸ポケットには分厚い手帳が入っている。生徒手帳だろうか?
「ちょっと確認を……」
仕方ないんだ、仕方ないんだ。なんの手帳なのかを見るだけだ。
僕は頭の中で言い訳を繰り返し、わなわな震える指を、胸へと、伸ば――
「おはよう大宮さん」
「ひいぃいいいっ」
がちゃりと扉が開け放たれ、僕は瞬時にスライディングで布団の中へと身を隠した。けれど遅れてしまった反応に、一連の動きは全部トワに見られてしまっていた。
扉の前に腕を組んで立っているトワを、布団を被ったままでこそりと隙間からのぞき見てみる。
「何してるのかな? 大宮さん」
トワが顔に笑みをはりつけたまま、問いかけてきた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
とりあえずベッドから降りて、土下座した。
先延ばしにしたかった現実的な問題がある。けれど、生理現象には逆らえないのは当然のことで。
僕は涙目になってしまっているのを感じながら、落ち着きなくトワの後ろから階段を降りて行く。
ダイニングに着くと、姉が毎朝の日課であるトーストと卵を焼いて、食卓に並べていた。
「あ、おはよう煌ちゃん」
姉が笑顔で明るく挨拶をしてきた。弟以外の人物には、基本人当たりのいい人物なのだ。昨夜の出来事ももう記憶の彼方のようだった。
「おは、よう、ございます」
僕は頭を下げて、落ち着かなく食卓の周りをうろうろした。ソワソワ。
「どうしたのソワソワして? 座って。コーヒーでよかった?」
「……はい」
僕は無意識にいつも自分の座る椅子を引き、腰掛けた。ソワソワソワ。足がもじもじと動き続けてしまっている。
「ボクもコーヒーで」
姉に声をかけながら、正面にトワが座ってきた。普段の僕はパジャマで寝癖がぼさぼさのまま、朝食を食べる。日曜日なら尚更だ。一日パジャマのままなんてこともある。けれど目の前のトワは既に着替えを終えていた。
少し癖のある猫毛も櫛できちんと通したのか、セットされている。白いシャツに、コットン素材のパンツ。日曜の朝なのに、トワは清潔感に溢れていた。いつも同じよれよれの服ばかり選んでいたけど、そういえばこんな服も持っていたなぁ、なんてぼんやりと僕はトワを見つめ――
「うわああああぁあ!」
直後、僕は叫びとともに、立ち上がった。
「お、おお大み……じゃなくて! トワ! まさか君自分で着替えたんじゃ――」
「自分で着替えなかったら誰が着替えさせてくれるんだろう。おねえちゃんに?」
「な、何言ってるのよアンタ! 私にき、着替えさせてほしいなんてそんな、い、いいかもしれないわ……ハァハァ」
恍惚とした表情を浮かべつつ、コーヒーポッドを傾ける姉。コーヒーが溢れ出てしまっている。
トワはにっこりと姉に微笑みかけていた。
「じゃあ次の着替えからはおねえちゃんにお願いしようかな」
「それだけは勘弁してください!」
僕は涙目になって訴えた。最悪だ。自分の身体が弄ばれている気分だ……!
姉は妄想に身を悶えさせ「私の×××として、ずっとお部屋で××……」ながら、台所の方へと戻っていった。×の部分は脳内から消去した。
姉が消えて二人きりになると、僕は冷や汗を浮かべながら、トワへと顔を寄せる。
「ぜ、ぜぜんぶ見た?」
僕はもじもじと足をくねらせつつも声をひそめ、問う。ソワソワソワソワ顔が熱い。
「だってこれから内倉永久として生きていかなきゃいけないわけだし。こういうことは早めに慣れておかないと」
「なんでそんなに順応性が高いんですか! 僕はこの身体でいることを認めたわけじゃ」
「ちなみにシャワーも浴びた」
「うわー! ばかー!」
全部見られた。恥ずかしすぎる。死にたい。あの時死んだ方がマシだったかもしれない。僕は食卓に突っ伏し、喚く。
「……仕方ないじゃない」
トワの呟きがぽつり、と僕の頭上から降ってきた。
僕は顔を上げた。今までの平坦な感じじゃなく、少し感情のこもった声に、聞こえた。
だけど僕が確認したトワの顔は、平然としたままだった。
トワはコーヒーを一口すすってから、僕の方を見遣ってくる。
「ところで大宮さん、さっきから何でもぞもぞしてるの?」
「……うう」
トワの言うことは正しい。仕方ないんだ。生理現象には逆らえない。
「君、はもう済ませたんですよ、ね」
かなり限界に近く、僕の瞳は潤む。ソワソワ途切れ途切れに、言葉を吐き出すソワソワ。
「ああ。ずっと我慢してたんだ?」
「だってだって、そりゃぁこれから何度も行かなきゃいけないわけだけど、いいんですか? この身体は君のものだし、僕は、僕はぁっ」
「これ、どうぞ」
トワがポケットからさっと取り出してきたもの。僕の滲んだ視界にはソレが瞬間なんなのか、わからない。
目をこすって涙を拭い、改めて視点を定めた。
それは細長い、白い布だった。……これで目隠しをしろ、と言うことか。
「行ってらっしゃい」
トワの言葉を受け、僕は白い布を奪い取って猛烈にダッシュした。
「これ以上我慢できるかあああ!」
白い布を目にあてて、後頭部できゅっと縛り。
完全に遮断された視界で。
トイレに駆け込んだ。
「キミという人物が少しずつわかってきた気がする」
横を歩くトワが、僕に向けて言葉を発してきた。
「女の子に免疫がない純情少年。加えて優しすぎるね」
僕はトワを少し見上げる形になってしまう。歩幅も違うので、早足にしないとついて行けない。
朝食を終えてから、二人で家を出た。トワが「家に送るよ」と提案してきたからだ。
家の中にいると姉が絡んできて、まともに会話ができない。僕としては色々と聞きたいこともあったので、甘んじてその提案を受け入れた。大宮煌として家に帰ることを承諾したわけじゃない。まだこの身体になった自分を認めたわけじゃないんだ。
というわけで僕は姉に上着を借りて、トワと二人で午前中の街中を歩いている。
空は晴れ渡っているけれど、肌寒さに身体が縮こまる。特に足。空気に晒された腿とスカートが揺れる度に中に入り込んでくるひんやりとした冷気。初めての感覚に、歩き方自体おかしなものになってしまいそうだった。
「僕は君が全然わかりません。なんで平然としていられるのか……」
僕はトワへと恨みがましいジト眼を向けてしまう。
「全部説明、してくれるんですよね」
言うと、トワがニッコリと微笑みかけてきた。自分の顔なのに、別人のように見える。キレイすぎる笑顔に頬が熱くなった。中身が違うだけでイケメンに見えてくる不思議だ。
「キミが知りたいのは、大宮煌が何故内倉永久と入れ替わったか、だよね」
トワが歩きながら、軽くその事実を口にした。
「その理由は昨日聞きました」
大宮煌の死にそうな身体を捨て、偶然現われた内倉永久の身体を手に入れる為だと平然と言ってのけたのだ。僕が死んでも構わなかった、とも。
僕は口を尖らせながら、トワをじっと見上げた。
「君は何者なんですか?」
そもそも、そこから入らなければいけない。
何故大怪我をしていて、金色の髪で、僕の身体と入れ替わることができたのか。普通の少女ではないことだけは確かだ。
「ボクは平凡な普通の女の子だよ。あ、女の子だったよ、か」
「普通の平凡な女の子は魔法少女みたいな入れ替わり能力を持っていないと思うんですけど」
「まあ、その能力は裏のお仕事の関係、かな」
「裏のお仕事……?」
十七歳の女子高生が裏のお仕事と言うと、何かいかがわしい職業を想像してしまう。僕は慌ててそれを振り払い、トワを見つめる。トワは相変わらず超然としていた。
「キミに引き継いでもらわないといけないし、仕事のことはきちんと説明する。ボクの家に行ってからそのことは話すよ」
「引き継いで? ちょっと待って、なんで僕が君の都合に合わせなきゃいけないんですか」
「さっき言ったこと、覚えてる?」
トワに言われ、僕は首を傾げた。
「キミという人物が少しずつわかってきた気がする」
トワは先ほどと同じ言葉を繰り返す。
「優しすぎるんだよ、キミ」
僕は憮然として、立ち止まってしまう。
大宮煌と僕はクラスメイトとしての浅い関係しか築いていない。昨日今日だけで僕のことを理解したと言われても、納得ができない。
「キミはボクの仕事をやってくれる。絶対に」
「だから、なんでそんな勝手なことを……」
「信じてる」
トワが振り返ってきて、僕の両手を握った。
正面からじっと目をのぞきこまれ、僕の鼓動が早鐘を打っていた。ちょっと待て、落ち着け。なんで自分の顔にときめいているんだ。
トワの真摯な眼差し。その瞳には曇りがない。今目の前にいるのは、内倉永久じゃない。
この瞳は――煌のものだ。
「きら」
り。と思わずその名前を紡ぎそうになった、その時。
――突如、僕の言葉を掻き消すように、獣の雄叫びが街中に響き渡った。
地の底から這い出てきたような、現実を引き裂く音。
鼓膜が震えた。
途切れることなく、その大音量の獣声は続いた。