最終話 永久に煌け☆美少女清掃員①
美少女清掃員の心得の巻(ラストです!)
『完璧な強さを得る為には、全てを捨ててください』
三十一日。今日まで予想外に平和な日々を過ごして、気付けば一年の終わりの日だった。
刹那はクリスマスイブの夜に消えたきり、どこにも姿を見せない。携帯電話も通話不能になっていた。本当に刹那がリフューズと関係していたのだろうか。ヒトガタを統治する者? 完璧な清掃員となった僕を片付ける? まるで現実味がなくて、悪夢でも見ていたのかとそんな気持ちにもなってくる。
だって刹那は、僕の大切な友達なんだ――
窓からのぞける切り取られた空は高く、それこそ磨き上げたみたいにきれいな青色だった。
「何ぼーっとしてるの! キリキリ働きなさい!」
姉の鋭い言葉が飛んできて、僕は反射的に身を引き締めた。持っている雑巾を素早く窓にこすりつけ、スライドさせていく。長く垂らしたおさげ髪が合わせて揺れた。
「まったく! こんな調子で今日中に終わるのかわかったもんじゃないわ!」
三角巾にエプロンを装着してずっと掃除させられている僕は、シンデレラにでもなった気分だ。
シンデレラの意地悪な姉はというと、やはりエプロンに三角巾装備で、リビングのローテーブルやサイドボードを拭いている。表情は険しい。
内倉家にて現在、昼下がり。
大掃除の手伝いに駆り出された僕は、姉とともに家中を隈なく掃除させられている。雑巾が標準装備。
トワはというと、自室の方を掃除中だ。トワは姉からの攻撃をいつだってうまく避けている。
「何もそんなに隅々まで全部キレイにしなくたっていいんじゃないですか?」
「へぇ、あんた私に口答えするつもりなの?」
姉の言葉に、心臓がヒヤリとした。
「口答えする暇があるなら、さっさと窓をキレイにしちゃいなさい! そこに窓ガラスがあるのが分からないくらいにピカピカに磨き上げるのよ!」
なんで僕が。正直、清掃はこりごりだ。
と、文句を言いたいところだが、姉が僕の意見を聞き入れてくれる筈もない。
こんなにも姉が年末大掃除に気合を入れている理由も、理解できる。
お正月に合わせて、僕らの両親が海外から帰省してくるのだ。姉としては大好きな両親を綺麗な家で迎え入れたい気持ちでいっぱいなのだろう。僕だって普段会えない父さんや母さんとキレイな家でお正月を過ごしたい気持ちは一緒だ。
……そこまで考えて、窓ガラスを擦る手が止まってしまった。
そういえば今度のお正月に、僕はいない。何せ僕は大宮煌として生きていく決心をしたのだ。お正月は当然沙良さんと過ごすことになる。
僕は全てを捨てる決意をしたのだ。僕の両親だって、これからは僕の両親と思っちゃいけなくて――
「さぼるな」
姉がいつのまにか至近距離、横に立っていた。姉の冷たい瞳に晒された身がゾクゾクと震えるのを感じた。
「窓拭きが終わったら、床よ。休む暇なんてないから」
「は、はい!」
僕は姉の言葉に従い、キリキリと窓拭きに精を出す。こうやって身体を動かしている方が余計なことは考えずにすむし。
「お正月、アンタも来ていいから」
「……え?」
呟きが聞こえて、姉の方を振り向く。姉は僕の方を見ずに、作業を続けている。
「いつも永久がお世話になっている女の子として、両親に紹介してあげるわよ。こんな時ぐらいしか親には会えないし」
「あ、ありがとうおねえちゃ」
「黙れ喋るなさっさと働け!」
僕は窓に向き直り、ゴシゴシと雑巾を動かす。俯かせた顔は、自然に笑みが浮かんでしまっていた。
あらかた窓拭きを終え、一度水を替えてこようとバケツを持ち上げた。普段からキレイにしているつもりでも、一年の最後にこうして大掃除をしていると汚れはたまっているものだ。細腕にはバケツいっぱいに溜まった水は重い。よろめきながら、両腕でそれを運んでいく。
廊下に出ると、階段から降りてきたトワとタイミングよく鉢合わせた。
「あ、トワ」
「頑張ってるね大宮さん」
トワは笑顔を向けてきた。あの日のことなどなかったかのような、いつも通りのトワだ。足の怪我もひどくなかったらしく、足取りも軽やかだ。
「トワの方はもう終わったんですか?」
僕が聞くと、トワは笑顔のままで頷いた。トワが何故か背中に両手を隠していることに、その時になって気付いた。なんだその可愛らしい仕草は。
「ねぇ、これって何?」
トワが隠していた両手を前に差し出してきた。楽しげに言いながら僕の前に差し出してきたものは。
「はわっはわわわわぁあああ!」
光速でトワの手から奪い取った。
なんてことだ! 最近内倉永久が自分の中で全く消えていてきたせいですっかり忘れていた!
手を離したせいでバケツが廊下に落ち、水をぶちまけてしまった。ぐわっしゃん。しまった、と思うよりも羞恥の方が勝っている。顔面から火、噴出。
「み、見てないですよねええ!?」
僕はその手帳を背中に隠しながら、言う。毎度のことながら、なんでトワは平然としているんだ!
「パラパラと見たけど理解ができなかったんだ。で、何なの?」
「いえいえなんでもないですよアハハ」
とんでもない棒読みで僕は告げる。トワが内倉永久の自室で見つけた手帳は、僕の学習机のひきだしの奥底に入れていたものだ。鍵もかけてあったはずだ。でもよく考えてみれば、鍵も自室に置いてあるんだから、ひきだしを突破されてしまう事態も起こって当たり前じゃないか。僕の馬鹿馬鹿馬鹿。
その分厚い手帳は、僕の妄想力が程よく暴走した結果の、あさひとの将来計画を綴ったものだった。その長さ、十七歳から百歳まで。気持ち悪いくらいこと細かく綿密に書いた。自分でも気持ち悪い。
トワがにこっと笑った。
「大切なものなんだね。しまっておくからちょうだい」
「……えっ?」
手を差し出してきたトワに、僕は驚愕。
「だってそれ、ボクのものなんでしょう?」
なんてことだ。コイツ、絶対読み直す気だ。それをネタに脅す気だ。……どうする? トワの顔は貴様に拒否権はない、と語っている。僕は今猛烈にシリアスな表情をしているに違いない。
「……はい」
差し出した。咄嗟に閃き、いつも持ち歩いている大宮煌の手帳と背中でさりげなく入れ替えて。ラッキーなことに、装丁や厚さまで似通っていた。
トワはあまり確認もせずにそれを受け取って、シャツの胸ポケットに仕舞った。イエス!
この妄想手帳は今度さりげなく焼却しよう、と心に誓う。全てを捨てることを誓ったのだ、僕は。
「とっくん」
一つの山場を越えた安堵の間もなく。おどろおどろしいトーンの姉の声が、背後から耳に届いた。
振り返ると、怒りに肩を震わせている姉が立っていた。
「なぁんてことを、してくれたのよぉぉ!」
廊下はびしょびしょ。先ほど掃除したばかりだったに、汚い水でその美しさは跡形もない。僕は今更その事実に気付いて青ざめる。
「うわあごめんなさいごめんなさい!」
「殺す! 殺すわ!」
姉の般若ばりに恐ろしい形相に、僕は命の危機を感じ取った。その場から逃げ出す。猛然と追ってくる姉。これほどの恐怖が、かつてあっただろうか。
――姉との追いかけっこで、ドタバタと家内を駆け巡り中だった。
リフューズの産声が、耳に届いた。
耳に慣れてしまったその雄叫びに、自然に気持ちが切り替わる。
「トワ!」
トワの方へと戻る。廊下を拭いてくれていたらしいトワも身体を起こし、厳しい表情で頷いた。
「行こう。本当の、清掃の時間だ」
僕もしっかりと頷き、二人で揃って玄関へと走る。
「あ、ちょっと永久に煌! 二人とも逃げるなんて卑怯よ!」
玄関から姉の声が聞こえたが、構っている余裕はない。僕らは振り返らずに全速力でその場から離れていく。
……後で姉の逆襲が待っていることは、今は考えないようにしよう。
変身を終えてから、家に程近い空き地で遭遇したリフューズをあっさりと清掃した。相手はトラガタだったけど、ヒトガタでも簡単に片付けられる今の僕には敵じゃない。……ちょっと強がってるけど。
消え去ったトラガタを見届け、僕は胸を撫で下ろす。後ろに立つトワも、ほっと息を吐いたのが聞こえた。これで一段落だ。
「清掃――完」
僕がその言葉を紡ぎかけた時。
ぐわあああああ
うおおおおおおお
がああああアアアッ
「え!?」
空を仰ぐ。澄み切った青空に轟く咆哮が耳に届いて。しかも一つだけじゃない。幾つも重なって、大音量が鼓膜をうわんうわんと震わせた。
「な、なんで……?」
僕は、周囲に視線を巡らせながら、街の大通りへと出た。年の瀬には街を往来している人の数がいつもより多い。道路を走る車も混み合っている。僕の派手なオレンジ作業着(スカート仕様)と金色の髪に奇異な眼を向けてくる人々。その痛々しい視線には慣れたけれど。それどころではない。何が起こっている?
トワを振り返った。トワは厳しい表情を浮かべながらも、ただ首を振る。
「ボクにも何が起こっているのかわからない。リフューズがこんなに同時に現れたことなんて今まで一度もなかった」
「とりあえず、行くしかない、ですよね」
僕は呆然としながらも、なんとかトワに向けて告げる。リフューズがまた現れたということは、美少女清掃員である僕の仕事は終わっていないということだ。
「そうだね、うん。行こう」
トワが言い、率先して駆け出す。僕もその背中を追った。
その間にも。次から次に増えていく、リフューズの声。幾数にも重なった産声に、街全体が揺れているようだった。途切れてはまた生まれ、途切れてはまた生まれる。肌があわ立つ。なんでこんなにも。一体、どこから――
その答えは、僕たちの行き着く先で見た。
「星霜学園……」
横に長く建ち並ぶ校舎が、僕らの前にある。年末で誰もいないはずの僕らの学園から、溢れ出てきているたくさんのリフューズの姿が目に飛び込んできた。おぞましい光景が、ひろがっていた。
周囲に人気はない。本来なら、冷たい風だけが吹いている静かな空間。
僕とトワの耳には、悲鳴のような怒号のようなリフューズの声が聞こえている。
動物の容を影だけ映したような、黒い何かが校舎の窓から、玄関から、見える。
僕は呆然と浅く呼吸を繰り返し、不意に感じ取った何かに、校舎の上を仰ぎ見た。
屋上にぽつんと人が立っているのが見えた。
どくん、と鼓動が一際激しく脈打つ。
人間じゃない――あれは、ヒトガタ。
「刹那くん……」
横にいるトワも気付いたのか、頭上を仰いで呟きを漏らした。その横顔を見ると、苦しげに眉を顰めていて、嫌でもトワの気持ちが伝わってくる。
胸が痛くて、僕はトワから視線を外してもう一度刹那を見上げる。
無表情に僕らを見下ろす刹那の唇が、動いた。
『コ、イ、ヨ。オ、オ、ミ、ヤ、キ、ラ、リ』
――とうとう、この時が来てしまった。
僕はモップを持つ右手を、強く、握り締め直した。