第五話 聖夜の美少女清掃員④
時間が経ち、気分が落ち着いたトワに肩をかしてやり、僕らは大宮医院まで歩いた。トワの足の状態を診てもらう為だ。片足を引きずって歩くトワは無言だった。泣き腫らした目は真っ赤だったけど、顔を上げた時にはもう涙はその顔になかった。
僕も何一つ言葉が出てこなかった。今は何も言わなくとも、痛いほどトワ――彼女と感情が繋がっているのを感じた。
追いかけていったあさひのことが心配だったけれど、おそらくあさひも深追いはしないだろう、と楽観的に考えるしかない。
大宮医院に着いた。もう深夜なので照明は落ち、施錠されている。裏側、自宅の方へとまわっていく。
付着した雪の粒が溶けて、髪の毛が濡れそぼってしまっていた。かるく頭を振って払ってから、玄関扉を開ける。開いた音に気付いたのか、すぐに沙良さんが玄関に顔を出した。
「煌、また怪我したのかい」
トワを見て、呆れ顔で肩をすくめて言い放つ沙良さんに、僕は妙に安心感を覚えた。日常へと帰ってきたような。けど、そう感じたのは僕だけだったと直後に知る。
「おばあちゃん、元に戻して」
トワは開口一番、そう言った。
「トワ……?」
僕は呆然とトワを見遣る。
「あるんでしょう? 元に戻る方法。今すぐ、ボクを大宮煌の身体に戻して」
トワの切実な表情に、向き合う沙良さんの表情が苦しげに歪む。
「あるよ」
「はああああ!?」
僕は思わず絶叫していた。まさかそんなあっさりと肯定する言葉が出てくるとは思っていなかった。今まで何度も沙良さんに詰め寄っていた。探りを入れたりもした。それでも、沙良さんはのらりくらりとかわすばかりだったのに。
「ちょ、ちょ、ちょっと本気ですか沙良さん! じゃあなんで今まで教えてくれなかったんですか!」
「深夜にこんなとこで騒いでたら苦情が来る。まずは家に入りな」
沙良さんは眉をひそめて顔の皺を深め、僕に苦言を漏らしてくる。確かにもう日付も変わった深夜だけれど、それどころじゃない。元に戻れる方法があるなら、今すぐに知りたい。
「居間の方に行こう。煌の足も診てやらなくちゃいけないし。ちゃんと話すから、ね」
沙良さんは落ち着いた声音のまま、僕らを見遣る。
やはり人生経験豊富な人物には敵わない。感情的になっている二人を前にしても、堂々としている。
僕はトワと顔を見合わせ、嘆息してから靴を脱いだ。
「まずはじめに。永久君には本当に悪いことをしたと思ってる。元に戻る方法があるのに話さなかったことも含めて」
沙良さんはトワの足を診ながら、僕に向けて言ってきた。目線は下ろしたまま、声のトーンも穏やかなままだ。
僕はタオルで濡れた髪の毛を拭きながら、居間に腰をおろしてそれを聞く。
暖房が効いている室内と静かな雰囲気に、少し気分も落ち着いていく。しかし頭の片隅にはずっとあさひのことが気に懸かっていた。
「美少女清掃員は一度きりしか入れ替わりの力を使えない。これは何度も話したと思う」
沙良さんの言葉に、僕は頷く。
「大宮煌が僕に行使した入れ替わりのチカラで、僕たちは入れ替わったわけですよね」
「うん、そうだよ」
僕の言葉に、トワがぽつりと応える。
「じゃあやっぱり無理じゃないですか」
そのチカラが一度きりしか使えないのならば、もう使うことはできない。僕はがくりとうな垂れた。
「なんで美少女清掃員が入れ替わりの力を使えなくなるか。それは、元の身体は死に、入れ替わった身体がリフューズに堕ちていくからだ。でも、君は生きているだろう、永久君」
「あ」
沙良さんの言葉にぽん、と手を打った。なるほど。
「じゃあ戻ろう。今すぐ戻ろう」
僕はトワへとずんずん歩み寄っていく。方法がわかった今、この姿で甘んじていることもない。
「今すぐには無理だ」
沙良さんが迫り行く僕に向かって、水を差してきた。
「永久君……つまりは現在の大宮煌の身体が命の危機になった時じゃなければ、そのチカラは使えない。命の危機さえ訪れれば後の方法は簡単なんだけどね」
「僕が命の危機に……」
自分の身体を見下ろす。怪我一つない健康体だ。胸大きい。
命の危機と言われても現実味が沸かない。でも言われてみれば、大宮煌と入れ替わった時、彼女は死に掛けていた。その状況じゃなければ入れ替わりのチカラは使えなかった、というわけだ。僕は偶然にもその現場に居合わせてしまった、ということだ。
「話さなかった理由はまだある」
沙良さんがトワの足に包帯を巻きながら言ってくる。
「もしそれで入れ替わりが成功したとしても、元に戻った大宮煌は死ぬ」
「……!」
僕は表情を強張らせ、固まった。
「美少女清掃員の入れ替わりのチカラは元々そういうものなんだ。自分の身体が使い物にならなくなった時に、誰かと入れ替わってでも生き延びる為の手段だからね。だから、使い物にならなくなった身体は死ぬのが当然だ」
「そんな……じゃあ結局戻る方法なんてないじゃないですか」
僕がぽつりと吐き出した。やりきれない感情。もし僕が元の身体に戻れたとしても、それが煌の犠牲の上にしか成り立たないのなら、そんなことは絶対にできない。できるはずがない。
「死なないかもしれない。永久くんが助かったように、助かるかもしれない」
トワはなおも食い下がる。必死になっていた。そうまでして、元に戻りたいと言い放つトワの姿を見たのは初めてだ。
僕には理解できてしまった。刹那を止めるのは、美少女清掃員の力が必要だ。たとえ相手が恋心を抱いている相手だとしても。いや恋心を抱いている相手だから、こそか。
「おばあちゃん、ボクらを元に戻してほしい」
「トワ……」
きっと、トワは元に身体に戻って、刹那を清掃しようとしている。
そんな決意は悲しすぎる。受け入れられない。僕の中ではもう、煌と入れ替わることは有り得なくなっていた。たとえ一生女の子のままだったとしても。清掃業を続けなければいけないとしても。刹那と対決することになっても。
僕は何があっても大宮煌を守る。そう決めたんだ。
「死なないかもしれないなんて不確かな賭けに出させるわけにはいかないよ。例外は何度も起こらない。永久君が助かったのは本当に有り得ないことだったんだ。偶然入れ替わった永久くんの魂が、煌の身体を完璧な清掃員にさせる程の輝きを持っていて起こった、いわば奇跡だ。そして残念だが煌、お前さんは完璧な清掃員ではない」
「完璧な清掃員……」
刹那も言っていた。僕は呟き、再び自分の身体を見る。自分の魂に、そんな輝きが宿っていたなんて、驚きだ。そして入れ替わったことでソレが誕生したという偶然にも。
「……って、あれ? 沙良さんはなんでそのことを……?」
先ほどの変身で完璧な清掃員として覚醒したのに、沙良さんがその事実を知っている筈はない。僕は首を傾げ、問う。
「沙良さんにわからないことはないのさ」
ニヤリと口の端を吊り上げる沙良さんに、脱力した。確かにこの人物は底知れない。事情を全て把握していたとしてもおかしくない。
「どう思われてもいい。ヒトガタに対抗できる美少女清掃員を失うわけにはいかないんだよ、煌」
沙良さんが言った言葉に、トワは俯き、唇をただ噛み締めていた。
僕にかける言葉は見つからなかった。トワ同様に俯き、その事実を浸透させていく。再び入れ替わる為にはこの身体が命の危機になることが必要。そして元に戻ったとしても、大宮煌はおそらく死んでしまう。同時に、ヒトガタを清掃できる完璧な清掃員も失われる。
「……トワ、僕は、このままでいます」
先ほど決意したことを言葉に出す。沙良さんとトワが僕の顔を見た。安心させる為に笑顔を浮かべ、二人と視線を交叉させた。
「僕が全部片付けるから、だから何も心配しないでください」
最初は巻き込まれただけだった。流されるまま、美少女清掃員として戦ってきた。でも今は違う。自分が、自分の意思が望んでいる。
守るべきものを見つけたから。だから、戦える。
ガタリ、と玄関から物音が聞こえた。沙良さんとトワがはっと緊張して身体を強張らせた。僕も同様に。ピリピリとした緊張感に空間が張り詰める。
居間の扉が開く。顔を出したのはあさひだった。
「あさひ! 大丈夫ですか!?」
僕が駆け寄ると、あさひが気まずそうに微笑みを浮かべた。
「ごめんね、追いかけたんだけど見失っちゃったの。とりあえず報告だけはしておかなくちゃって思って」
あさひが現れたことにより、緊迫していた空気は緩んだ。懸念していたことが少しでも取り払われたことに、ほっと安堵のため息が漏れた。
沙良さんが今度は肩を怪我しているあさひの治療をはじめた。
しばらく誰も言葉を発さず、黙々と治療だけが続いていた。
「三人とも疲れただろう。今日はもう休みな」
沙良さんが全員に向けて言ってくる。確かに心身ともに疲れ果てている。頭を空っぽにして身体を休息させることが必要に思えた。
「うん。じゃあ、今日のところは寝ます。おやすみなさい」
僕はいち早く宣言し、居間から立ち去ろうと腰を上げた。先ほどまでしていた話を少しでも拭い去りたい気持ちが強かったのかもしれない。
「ね、煌ちゃん。今日わたし泊まっていってもいいかな」
あさひが去ろうとした僕の背を追いかけてきて、言った。振り向き、自分よりも小さい女の子を見下ろす。
「もちろんです」
頷くとあさひが微笑みを浮かべた。やはりこの笑顔に癒されるなぁ、と僕もつられて微笑む。
「今日は一緒に寝よう」
「!? ……えっ、っとぉ……」
笑顔のまま言い放ったあさひに、僕は動揺が隠せずに視線が泳ぐ。一緒に寝るのはさすがに理性が保てる自信がない。助けを求める為に沙良さんを見遣った。沙良さんはニヤニヤしているだけだった。意地悪。
「いいんじゃないかな」
「……トワ?」
突然に、トワが言い放った。驚いてトワの顔を見る。いつもの飄々とした表情で、僕の方を見ている。先ほどまであった出来事など全部なかったかのように。やはりトワは精神力が強いのだ、と思う。
「ボクは今日沙良さんと一緒に寝るから。だから、二人も一緒に寝るといいよ」
「でもだってそれは」
「行こう煌ちゃん」
あさひが僕の手を取り、告げる。僕は頬が熱くなっていくのを感じながら、それでもこれ以上の抵抗は無駄に感じた。
「うん」
頷くとあさひが笑顔を見せた。すごく安心した。
今僕が、誰よりもあさひと一緒に過ごしたいと思っていたことを、トワに見透かされてしまっていたのかもしれない。
あさひと二人でさっさとパジャマに着替え、照明を消してベッドへと潜り込んだ。時間は夜更け。本来ならベッドに入った瞬間バタンキューなんだけど。
まさかこんな状況になるなんて。安心感もあったけれど、隣にいるあさひを意識しすぎて、眩暈の方が強い。
無理矢理にでも眠ってしまおうと目を瞑った。心臓の音、うるさい。あさひに聞こえてしまうのではないかと心配になった。
それでも。
雪が降っている外の寒さが信じられないくらい、この場所は暖かで、安らかだ。
あさひは何も言葉を発さない。規則的な息遣いだけが耳に届いてくるので、もう眠ってしまったのかもしれない。
目を瞑ってじっとしていた僕を同様に眠っていると思ったのか、あさひが少しだけ身を寄せてきた。
「……!」
息が止まりそうになる。こんな状況で眠るなんて、無理だ。
人肌のぬくもりが近く、熱が伝わってくる。ぎゅっと瞼を下げ続け、自分の中の何かを追い払う為に必死に葛藤する。ほぼ抱きかかえられている格好で、あさひは、僕の髪の毛を撫でた。
「……」
頭を、何度も何度も。
あさひだって疲れているはずなのに。怪我してるのに。
それでも、あさひはずっと撫で続けてくれた。時折梳くように、時折触れるように。
時間の経過と共に……自然に、涙が溢れてきていた。
彼女は大宮煌が深く傷ついたのを知っている。だから、こうして慰めてくれている。僕は大宮煌じゃない。内倉永久なのに。それでも、それでも自分の心が解けていくのを感じた。漏れそうになる嗚咽を必死に堪える。とめどなく、閉じた瞳からするすると涙が流れ落ちていく。
必死に普通に振舞っていた。僕が弱さを見せたら、みんな崩れてしまいそうだったから。
でも、今だけは泣いていいのだろうか。
あさひの優しさに甘えていいのだろうか。
僕は煌を救う為に、あさひへの恋心を抱く内倉永久を捨てようと思った。
僕は煌を救う為に、心から大好きな友人を討たなければいけないと思った。
でも、でも。
身が切られるような、切なさに襲われた。
全てを捨てるということは、どうしようもなく辛いんだ。