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第四話 サドとテストと清掃員☆④

 トワも、僕も、何も言えないままで棒立ちになってしまっていた。

 入り口に立っていた姉が、一歩一歩ゆっくりと、公園の中に入ってきた。小脇に上着を二着、抱えている。姉は僕らが上着も着ずに外に飛び出していったことで、わざわざ上着を持って追いかけてきたんだと想像がついた。

 よりにもよって、一番聞かれたくない話の内容を、一番聞かれたくない人物に聞かれてしまった。

 姉が無言で歩みを進め、表情を強張らせているトワの前に、立った。姉は横にいる僕には見向きもしない。持っていた上着を、ふわり、とトワに着せてやった。


「あ、ありがとうおねえちゃ」


 トワが笑みを造ろうとして失敗したのか、ただ表情を崩した。

 その頬に。

 ――ピシャリ、と、姉が平手打ちをした音が響く。


「おねえちゃんなんて呼ばないで」


 姉がトワを見上げて、言い放つ。低くドスのきいた声。トワの片頬は赤く腫れ上がっていたけれど、トワは身動き一つ取らなかった。

 殴られたままで、地面を見下ろしていた。


「あなた、大宮煌なんでしょう? 私はあなたのおねえちゃんなんかじゃないわ」


「何言ってるんだよ。ボクはどこからどう見たって、内倉永久――」


 トワは姉へと目を戻し、微笑みを浮かべかけて口元を歪めたが、姉の眼差しに負けて笑みが消える。泣きそうな顔にも見えた。


「あ、あの! 久遠さん! 違うんですよ!?」


 久遠の迫力に押され負けているトワを見ていて、堪らなくなった。僕は無理に明るい表情を造って話に割り込む。


「さっき話してたのは、なんていうか、僕とトワで創作小説でも書こうかーって! その物語の中での話なんです! 全部妄想妄想!」


「黙れ」


 ぴしゃり、と殺気すら感じられる言葉で返された。しかし僕はそんな姉の言葉を常に浴びてきた。全然余裕だ。笑顔すら浮かべられる。


「いやだなぁ。そんな妄想話信じちゃうんですか久遠さん。僕は大宮煌だし、そこに立っている彼は内倉永久くん。久遠さんの聞いた話は全部嘘です!」


 嘘であればいい、と心から思った。

 だから余計に、切実に訴えていた。

 

「なんか僕、勉強が嫌になって家に帰ろうかなって思って。トワがそれを止める為に慌てて追いかけてきたんです」


 僕はアホっぽくへらへらと笑い、言い訳を繰り出してみる。


「リフューズって、ヒトガタって何? そのヒトガタっていうものになっちゃうから、永久の身体を殺す? 奪っておきながら? ねぇ、あなた、自分が何をしているのか分かっているの?」


 完全に無視された。

 姉は僕の方を見ず、一度もトワから視線を外さない。


「遊びなんです! お互いを入れ替わったことにして、ちょっとみんなを騙してみようかって!」


 僕はめげずに姉へと言い訳を繰り返す。ばたばたと手足まで動かして。


「寒いですよね! 帰りましょう、帰りましょう! さあ今は帰って勉強です!!」


「うるさい黙れ永久! おねえちゃんの言うことは聞きなさい!!」


「はいごめんなさいおねえちゃん! ……っああああ!」


 姉がはじめて僕に目を向けて、叱咤の言葉を投げつけてきた。僕は反射的に頷いてしまって。身体から力が抜けて、僕はその場に座り込んでしまう。そのままがくり、とうな垂れる。

 トワが諦めたようにため息を吐いたのが、聞こえた。


「永久と煌が入れ替わったって聞いた瞬間、永久が別人みたいになった理由が納得できたのよ」


 姉の鋭い声。僕は恐ろしくて、顔を上げられない。


「あなた、大宮煌なんでしょう?」


 姉が先ほどと同じ言葉を繰り返し、トワに詰め寄っている。


「……そうだよ。ボクは、大宮煌だ」


 とうとう、トワが認めてしまった。僕は眉を下げ、トワの顔を仰ぐ。


「……して、よ」


 トワの正面に立つ姉が俯き、震えながら掠れた声を絞り出している。僕には姉がなんて言ったのか、聞こえなかった。


「返してよ!!」


 今度ははっきりと、悲痛な叫びを上げたのが耳に届いた。

 そして姉は、トワのほとんどはだけてしまっているシャツの襟首を掴み、トワを押し倒した。


「久遠さん!?」


 地面に倒したトワの上へと、姉が馬乗りになる。


「返して! 返して! 返してよぉっ!!」


 姉は悲痛な絶叫とともに、拳を振り上げて、トワの顔を、胸を、滅茶苦茶に殴りだした。


「ちょ、ちょっと久遠さんそれ僕の身体……」


 僕の座り込んでいる位置からトワの顔は見えない。トワは抵抗する様子もなく、声をあげることもなく、姉からの暴行を受け入れていた。僕は慌てて立ち上がり、トワを殴りまくっている姉を背後から羽交い絞めにした。


「やめてください久遠さん!」


「返して! 返して!! 返し……っ」


 僕が後ろから抱き締めても、姉はジタバタと暴れて叫んでいる。こっちは押さえつけるので必死だ。

 その姉の頬に、涙の筋が見えてしまって、僕は堪らなく胸が苦しくなった。

 パタパタと、トワのシャツに水滴が落ちて、音を立てる。

 僕は、いつかおねえちゃんを泣かせてやりたいなんて願望があったけれど――


「ごめんなさい、おねえちゃ、……本当に、ごめん」


 僕は姉を抱き締めて、ただ謝罪の言葉を繰り返すことしかできない。

 こんな風に、泣かせてしまって、ごめん。


「……なんで、アンタが謝るのよ」


 姉がようやく暴れるのをやめて、僕を振り返ってきた。

 その顔はくしゃくしゃに歪み、真っ赤になって、瞳からは涙が次から次に溢れてきている。


「てゆうか、なんでアンタまで泣くのよ」


「……泣かせたくなんて、なかったんです。そんな顔、させたく、なかった。ごめん、ごめんなさい」


 僕は袖でぐしぐしと必死で目をこする。涙がどうしようもなく止まらなくて。僕はやっぱり弱い人間なんだなぁって思う。


「それでも、トワを責めないでほしいんです」


 僕は姉へと切実な気持ちを吐き出す。


「は? どんだけお人よしなのアンタ。私は許さないわよ。絶対、こんなの絶対に許せるわけないじゃないの!」


 姉が怒りに肩を震わせて、立ち上がった。僕も立ち上がり、睨みつけてくる姉の瞳を真っ直ぐに受け止める。


「僕が許します!!」


 僕は、喉が切れるぐらい強く、言い放った。


「誰が許さなくても、僕はトワのことを許しているんです!!」


 毅然と、姉を見つめる。涙は止まってなくて、格好はつかないけれど。

 トワは仰向けに倒されたままで、起き上がらない。表情も見えない。吐き出す息がただ、空気を白く変えていた。


「だから、だからおねえちゃん。お願いします。トワを責めないでください」


「……」


 絡み合う視線の中、姉は無言だった。


「……」


「……」


「……」


「……っておねえちゃん?」


 長い沈黙の後、姉がようやく言葉を紡いだ。


「おねえちゃんって……そういえば、大宮煌の身体に入ってるのは、永久なのよね?」


 今更に姉が確認してきた。僕はこっくりと頷く。


「大宮煌が内倉永久の家に来た夜から、ずっと、大宮煌は永久だったってこと?」


 重ねて確認される。僕はまたも頷く。


「……わたっわたわたわわ私アンタに色々赤裸々に語ってしまったわあああ! いやぁあああああ!!」


「――あ」


 今更に、僕もその事実を思い出す。急速に頬が熱くなっていく。姉も、自身の両頬を覆い、耳まで真っ赤になってしまった。


「あ、あれは本心なんかじゃないんだからね!!」


 涙目の姉は、捨てゼリフを絶叫した。


「わぶっ」


 持っていた上着を僕の顔面へと投げつけてくる。


「私は許したわけでも認めたわけでもないから! でも、今日のところは帰るから! アンタたちも、寒いからさっさと家に帰って勉強しなさい!!」


 姉が言いながら、走り去っていった。猛ダッシュしていく背中が見えた。

 姉の姿が見えなくなり、僕は深く息を吐き出した。一応姉は、僕の願いを聞き入れてくれた、ということだろうか。この先姉がどう出てくるのか、先が思いやられるけれど。

 僕は投げつけられて咄嗟に受け止めた上着を着込み、ようやくトワを振り返った。

 倒れたままのトワの元へと歩み寄り、僕はその場にしゃがみこむ。


「トワ、大丈夫ですか?」


「身体中が痛い」


 無表情のトワが、いつもの軽い調子で言ってきた。顔も身体も青あざだらけになって、悲惨な有様だ。


「帰りましょう。勉強しなきゃいけませんし」


 起き上がろうとしないトワへと、僕は手を差し出す。


「……別に庇う必要なんかなかったのに」


 トワが、言ってきた。僕は差し出した手をピタと止める。


「庇ったわけじゃないです。あれは、僕の本心だから」


「……キミって、とことんバカなの?」


「バカで結構です。だから、バカだから。トワ、僕は足掻きたい。最後の最後まで、君を殺すことを拒否し続けます」


 トワを見下ろす。

 一度止まったはずの涙がまた溢れてきてしまった。本当に情けなくって、自分が嫌になる。


「君を失いたくないんです」


「……泣き虫バカ」


 全くその通りだと思う。


「でも、変だな、嬉しいんだ。……こんなボクなんかの為に、泣いてくれることが」


 トワは柔らかく、微笑みを向けてきた。手を伸ばしてきて、僕の片頬を覆う。温かい手だった。


「ありがとう」


 トワの言葉に、僕の胸は熱くなる。

 僕は絶対、彼女を失ったりなんかしない。

 どんなに絶望的でも、どんなに戦わなくちゃいけなくても。

 足掻いて、足掻いて、足掻きまくってやる。

 その強さを教えてくれたのは、目の前にいる彼女だから。



 ――それからのテスト期間中、トワの家庭教師は全く甘くならず、僕はひたすらに勉強を叩き込まれた。お互いにリフューズや清掃員のことを口にすることはなかった。僕は毎日毎日睡眠不足と戦って、勉強一点に集中した。十七年間の人生でこれ以上ないくらい、頑張った。勉強し尽くした。

 トワに勉強を教えてもらうということは、必然的に毎日姉とも顔を合わせる。


『私は絶対大宮煌を許さないんだからね』


 顔を合わせる度に、姉は宣言してきた。しかし僕が色々と姉の裏側を知ってしまったことに羞恥があるのか、言葉にキレがない。

 ……それは別として。姉は虐めるターゲットを完全に僕に変更したらしい。トワとは全く言葉を交わそうとしないし、トワのことを避けている。そして生き生きと僕を毎日虐めてくれた。姉の元気な顔が見られれば、それでいいか、と泣く泣く現状を享受する僕。

 もちろんトワの家庭教師の凄まじいサドっぷりは変わらない。Sの二乗だった。色々と地獄を見た数日間だった。

 そしてそして――今、目の前に。

 最善を尽くした結果が、ある。

 多くの生徒たちが集う、広い廊下の踊り場だった。

 壁に張り出された紙には、でかでかと成績順位が並んでいる。それを見上げている生徒たちはザワザワと騒いでいる。僕もみんな同様か、それ以上に、ドキドキしていた。見るのが怖い。どんな恐ろしい結果が待ち受けているのか。でも、もう結果は出てしまっているんだ。

 僕は意を決し、成績順位表を見上げた。


 三番 大宮煌


「三番……」


 視界に飛び込んできた結果に、素直に感動してしまった。僕だってやればできるんだ、と。今まで十番台に入ったことなんてなかった僕が、三番を取れるなんて。

 しかし。


 二番 辻刹那


 大宮煌の名前の上にある、刹那の名前に絶望する。やっぱり刹那に敵うわけがなかった。

 僕がうな垂れていると。ぽん、と軽く肩を叩かれた。僕はそちらへと顔を向ける。

 刹那が立っていた。不満そうに口をヘの字に曲げている。


「俺の負けだな」


「……え? だって僕、三番……」


「勝負は俺が一番を取ったら勝ちってことだったから」


「あ、ああそうだったっけ」


 そういえば、そんな内容だった気がする。何も僕が頑張らなくたって良かったんじゃないか。その事に今更気付かされる。

 だって――


 一番 内倉永久


 トワが容赦なく、一番を取ったんだから。

 そのトワはというと、少し離れたところで張り出された紙を見上げている。特に感動している様子もなく、当たり前のことのように平然と。

 周囲の生徒たちは内倉永久の一番という成績に驚いてか、トワに注目が集中している。こんなにも目立っていることは、人生で初めての経験だ。客観的に見る側になっても、少し気恥ずかしい。


「あーあ。じゃあ俺が罰ゲームやらなきゃな」


 横に立つ刹那がだるそうに言った。


「罰ゲームって……何もしなくていいよ、何も考えてなかったし」


 僕が言うと、刹那がじろ、と軽く睨んできた。


「俺の気がすまない」


「そう言われてもなあ……」


 罰ゲームなんて咄嗟に思いつかない。僕はそれでも刹那が納得するような罰ゲームを考えようと、腕を組んで考え込んだ。

 暫くの間、僕は唸っていた。


「……じゃあ、俺が考えた罰ゲームで」


「え?」


 刹那が待ちきれなくなったのか、言葉を紡いだ。僕は顔を上げる。

 横に立っていた筈の刹那が、いつの間にか遠く、歩みを進めている。


「刹那?」


 呆然とそれを見守り。刹那がトワの前に立ったのを見て。


「え? え? まさか――」


 刹那は、成績表を見ていたトワの顎を唐突に掴み。そして――

 おもむろに、唇を重ねた。

 一瞬のできごと。触れ合っていたのは数秒。

 だけど、その場にいた全員が目撃した。


「ぎょわああああああぁ!!」


 僕が叫んだ。女子たちが黄色い声を上げた。男子たちが驚き喚いた。唇を離した刹那が、ニヤリと笑った。友枝が廊下をスライディングした。あさひが鼻血噴いた。先生が混乱して騒ぐ生徒たちに怒鳴った。完全なるパニックが起きた中。

 トワは――石化していた。

 大宮煌の唇が奪われるのは回避できたけれど、大宮煌の精神が唇を奪うことは回避できなかった。その上、内倉永久の唇奪われた。


「罰ゲーム、終了」


 刹那が、僕を見て微笑む。

 全然嫌そうじゃないから罰ゲームでもなんでもないじゃないか。僕は恨みがましい目で刹那を睨み。

 正気に戻ったトワになんて言い訳したらいいんだ、と。

 この件に関しては、途方に暮れるしかない。





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