第四話 サドとテストと清掃員☆③
「清掃完了!」
本当に一撃だった。
外灯がぽつりと一つしか見当たらない、小さな公園内だった。道路を挟んで囲んでいる住宅も、深夜なので殆ど灯りが消えている。
乏しい視野の中で発見したのは、ヘビガタのリフューズ。小型で片付けやすかったというのもあるけれど、ヤケクソになっていたのも大きい。
僕は無心でリフューズが出没した地点へと駆けつけた。変身し、ポーズと決めゼリフまでこなし、そしてモップであっさり消し去った。全速力で走ってきたのでぜーぜーと息が上がってしまっている。
「なんで僕はこんなにきっちりとやっているんだろうか……」
清掃完了の言葉と共に、オレンジの作業着からセーラー服へと戻った。誰に言うでもなく、虚しく呟く。上着も着てこなかったので、吹きつけてきた木枯らしに身が震えた。ブランコが冷たい風で揺れる。
夜も更けてきている。お腹はぐるぐると空っぽなのを訴えてきている。勉強のしすぎで頭はくらくら。足取りはよろよろだ。
「帰ろ」
僕は一人、呟きを漏らし、踵を返した。
「にょわあっ!」
すぐ背後、僕の眼前に人が立っていた。毛が逆立つくらいほど、大袈裟な驚きの声を上げてしまった。実際二つに縛った髪の毛が逆立った。
息を切らし、濡れた髪もそのままに、立っていたのは――トワ。
トワは乱れた呼気に言葉を発することもできないのか、膝に手をつけて俯いている。僕同様に上着を着てきていない。パジャマのボタンも半分しか留めておらず、鎖骨が露になっている。セーラー服姿の僕よりも、ずっと寒そうだ。
「トワ……大丈夫?」
「……り、リフューズ、は」
「清掃しましたよ」
僕が白い息を吐きながら報告すると、ようやくトワが顔を上げた。全速力で走ってきたのだろう、頬が紅潮している。強張っていた表情がほっと緩んだ。――その顔を見て。
『僕はトワのことを――』
姉に向けて、僕が何を言うつもりだったのか。
ようやくその答えにたどり着いた。
たとえ、あの場から去って貞操の危機だとしても。
たとえ、勉強を放り出して一番が取れなくなったとしても。
刹那とキスする羽目になって、トワに殺されるかもしれなくても。
リフューズを清掃するのが――美少女清掃員の使命。
僕にとって、トワは。いや、大宮煌は。
もう、自分自身と一緒だ。
大宮煌が清掃することを一番に考えるのなら、自分もそうあるべきなのだ。
とても大切な、かけがえのない、半身。
「こんなところにいたら風邪ひいちゃいます。早く帰ろう」
僕はトワに向けて、手を差し伸ばす。自然、苦笑がこぼれてしまっていた。
けれど、その笑みは直後に凍り付いてしまった。
暗い視野の中で、最初は気付かなかった。改めてトワを見て、僕は差し伸ばしていた手の平をぐっと拳にかえる。
「トワ!? それは、なんなんですか!?」
はだけてしまっているパジャマから、わずかにのぞく胸元。黒い痣が大きく拡がっている。よくよく見れば、それは腹部にも。見えないけれど背中にまで達してしまっている感じだ。
僕が内倉永久の身体だった時には、そんな黒い痣はなかった。
これは、なんだ?
薄ら寒く、おぞましささえ感じる。闇に溶けていきそうな、漆黒の模様。
トワは僕の驚愕の声を聞いてか、後ずさり、胸元を腕で覆い隠した。
トワは気まずそうに僕から視線を逸らし、口元を自嘲気味に上げた。
「見られちゃったか」
「見られちゃったって……それ、一体、なんで、そんな、」
混乱でうまく言葉が出てこない。
僕の身体は一体どうなっているというんだ。大宮煌の精神が入った時点から、こんな風になってしまったのだろうか。
「いずれは話さなきゃいけないとは思ってた。ボクも入れ替わる能力を使うまでは知らなかったんだけどね。入れ替わった後、おばあちゃんに全部聞き出したんだ。美少女清掃員の入れ替わり能力の、秘密」
それは僕がずっと知りたかったことだ。
沙良さんは幾ら問いただしても、一切入れ替わり能力について教えてくれなかった。僕はトワを凝視したまま、喉をごくりと鳴らす。
トワが逸らしていた視線を、こちらに向けてきた。
カタカタと、風でブランコが音を立てる。
「ねえ、不思議に思わなかった? 何故、美少女清掃員だけが、リフューズの声を聞くことができるのか。闇から産まれるリフューズの、姿を見ることができるのか」
「……考えたこともなかった、です」
僕はトワが言ったことにずっと従ってきただけだ。リフューズの声が聞こえたら、清掃しにいく。それが美少女清掃員の使命だから。
……根本的なことを、今まで僕は考えていなかった。
美少女清掃員って、なんだ?
「ボクは、大宮煌はずっと美少女清掃員の家系としてリフューズと戦ってきた。そして、ボクらの最たる敵はヒトガタだ。ヒトガタだけが僕らの清掃攻撃が効かない。それでもボクはヒトガタを倒したくて、ヒトガタが現れたら立ち向かっていった。あの夜。ボクと内倉永久くんが偶然会ったあの夜も、ボクはヒトガタに殺されかけてしまっていたんだ」
それはなんとなく、想像がついていた。
トワは淡々と、無表情に続ける。
「そしてボクは大宮煌の身体を捨てて、内倉永久の身体に成り代わって生き延びる道を選んだ。成り代わる――それで、大体想像はつくでしょう?」
僕には彼女が何を言っているのか、分からなかった。ただ身体が震えてしまっていた。
「清掃員は、元々、ヒトガタのリフューズだったんだよ」
トワは、その言葉を発した後に、ようやく苦しげに瞼を伏せる。
ずっと堪えていたものが、溢れ出てきたように。唇を噛み、胸にひろがった痣を抱えるように自身を抱いた。
僕は、ただ、立ち尽くしていた。
「大昔から戦ってきたヒトガタと、清掃員。それは元々ヒトガタたちが人間に成り代わった後に、仲間割れを起こしていたに過ぎない。少しの良心が清掃員たちを人間として機能させていただけだ。だから、ボクら清掃員は……」
『命の危機に晒された時、美少女清掃員は生存本能が働き、健全な肉体と入れ替わる能力を使えます。しかしあなたはもう元には戻れません。そしてこの能力は、美少女清掃員の禁忌です。決して、決して使わないでください』
手帳に書かれていた、文面が脳裏をよぎった。
「入れ替わる能力を使った時点で、またリフューズに堕ちていく」
僕は何も言えず、ただ呼吸を繰り返していた。
美少女清掃員が元々ヒトガタのリフューズだったから、入れ替わる、いや、成り代わる能力を使えることも。
そしてその成り代わる能力を使った時点で、リフューズに戻ってしまうことも。
苦しそうにその事実を吐き出しているトワを前にして、僕はただ、見ていることしか。
「お願いがあるんだ大宮さん」
「……なん、ですか?」
「ボクがヒトガタになる前に、その時期が来たら。どうか――ボクを、殺してほしい」
「……っ」
「ごめんね。いや、もう謝ってもどうしようもない話だよね。ボクはキミの身体を奪って、その上でキミにこの身体を殺してほしいって頼んでるんだ。こんなに最低な話はないよね。でもキミにしか頼めないんだ。そしてボクは、ヒトガタに堕ちるくらいだったら、死にたい」
どうして、どうして。
こんな時に笑っていられるんだろう?
「キミがボクを清掃するんだ、大宮さん。キミはボクよりもずっと、ずっと、強い美少女清掃員になれるから」
「……嫌です」
僕は、身体が震えてしまっていた。
「そりゃ自分の身体を殺すのなんて嫌だよね。でもボクが自害するよりは、納得できるんじゃないかなって――」
「僕の身体を失うのが嫌なんじゃない! 僕は!!」
真っ直ぐにトワを見つめた。その時――
「それ、本当の話、なの?」
第三者の、強い声が差し挟まれた。
僕とトワは、表情を強張らせて声の聞こえた方向へと目を遣る。
公園の入り口に、姉が。
「ねぇ! 答えてよ!! 大宮煌が永久の身体を奪ったって!! そして死ぬって!! それ、本当の話なの!?」
姉、久遠が、悲痛な声を張り上げていた。
全部、ばれた。