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第四話 サドとテストと清掃員☆①

「ね、煌ちゃん。トワ君と付き合ってるって本当?」


 球技大会から数日経った、ある日の朝の教室。開口一番、あさひから飛び出した言葉に僕は心臓が飛び出しかけた。


「な、なななぁああんですってぇぇ!?」


 悲鳴に近い絶叫を上げている僕の横で、あさひが無邪気に瞳をくるくるさせている。


「だ、だだだだ誰がそんなふざけたことを仰りやがったんですか!?」


 僕は思わずあさひへと詰め寄ってしまった。それほどに驚愕の言葉だった。僕とトワが付き合ってるって、どこをどう見たらそういう展開になるというんだ!?

 そこに、僕らにぬっと近付くもう一つの影があった。


「誰が言ったも何も、もう全校生徒公認の仲になってるぜ、お前ら。とほほほほ」


 友枝だった。半分泣いている状態で、情けなく眉を下げている。


「大宮さぁ、球技大会の卓球の決勝戦で、痴話喧嘩をしてたんだろ内倉永久と。それを見た生徒たちの口から口へ、瞬く間に我が校のアイドル大宮煌に恋人ができたってひろまったんだよ。頼む! 違うと言ってくれ大宮!!」


「違うんです」


 僕はきっぱりと言い放ったのに、友枝は両手で顔を覆い隠して、わぁぁんと、嘆いている。


「そんな優しい嘘なんてつかなくてもいいんだ! 大宮が最近別人みたいだったのも、内倉色に染め上げられてたからなんだよなぁっ! 俺は、俺はとんだ勘違いをしてた大馬鹿野郎だ! 笑うがいいさぁ!!」


「あはは」


「笑うなよこんちくしょう!!」


 どうしろと。

 でも……大宮煌と内倉永久が付き合っているという噂のおかげで、友枝からの僕を大宮煌ではないという疑いは晴れたようだ。

 毎日友枝のネットリジットリと観察してくる眼から逃れられるのは、ホッと一息……じゃない!

 僕の横には、ニコニコしているあさひが立っている。

 僕とトワが付き合っていると、勘違いしている、のだろうか。ダメだダメだダメだ。他の人間にはどう思われても仕方ないけれど、あさひだけには誤解されたままでいたくない。

 僕は首をぶんぶん振った。沙良さんが高い位置で縛ってくれたツインテールが、一緒に揺れた。


「僕はトワと付き合ってなんかないんです! ただの友達なんです!」


「ただの友達が毎日家まで押しかけて、二人きりで過ごすのか? そのことだってもう公然の事実となってるんだぜ」


 友枝の恨みがましく吐き出された言葉に、僕はピシリと固まってしまった。


「え? なんでそのことまでみんなに……」


「俺を甘く見るなよ大宮。こっそり後をつけるなんて俺の才能を持ってすれば、簡単なもんだぜへっへっへ」


 ストーカーの才能か。


「そして俺は見てしまったのだ! 大宮が内倉と仲睦まじく下校して、一緒に入って行ったのはなんと内倉の家! そして数時間経って大宮が家から出てきたのを確認した俺は、泣きながら家へと走り帰り、次の日に全校生徒に言いふらしてやったのさぁああ!」


 お前が犯人か。

 ……しかし、困ったことになってしまった。主に友枝の所為で、僕とトワの関係が深いということが確定付けられつつある。

 僕はトワの座る遠い席へと、目を移してみた。

 球技大会以来、僕とトワの関係はぎこちなくなってしまっている。毎日トワの家に行って勉強する習慣は変わっていないけど、トワは必要以上に会話をしない。僕もうまく言葉が出てこないで、二人でいても無言の時間ばかりが増えている。

 当のトワは、クラスメイトたちの注目の的になっていることなど我関せずで、読書に耽っている。僕が内倉永久の身体だった時は、休み時間に読書をよくしていた。トワはその習慣を踏襲しているらしい。そこだけは僕のフリをしていてくれている、唯一の面かもしれない。

 僕の視線に気付いたのか、トワが息をついて本を閉じた。どうやら僕たちの会話が聞こえていたらしい。というか、クラスメイト全員が僕たちの会話に耳をそば立てていることに、今更気付いた。

 トワは表情一つ変えず、僕らに近付いてくる。

 始業の鐘が鳴る前、教室にいるクラスメイトたちの注目は存分に集まっている。トワが何を言うのか、みんな固唾を呑んで見守っている。

 トワが、僕の前に立った。


「ボクのお姉ちゃんが、大宮さんに家庭教師をお願いしたんだ。毎日健全に勉強してるだけだよ。疑ってるのなら、今日一緒にボクの家に来るかい変態野郎」


「変態野郎って何様じゃお前はぁあ!!」


 トワが飄々と言い放った言葉に、友枝が食いついていく。しかし次の瞬間、刺すような冷たい眼差しをトワに向けられた友枝は、すぐに小さくなった。何故か僕の背中にまわって、隠れてトワを盗み見ている。


「そんなに言うなら、お前の家に行ってやってもいいんだぜ?」


 蚊の鳴くような声で呟いても、トワには聞こえていない。


「いいなぁいっちゃん。わたしも煌ちゃんやトワ君と一緒にお勉強したいな。二人とも優等生だもんね」


 あさひが口を尖らせて、友枝なんかに羨望の眼差しを向けている。前の内倉永久は優等生というか、ただ単に地味な生徒なだけだったけど。あさひの認識では、内倉永久という男子も優等生に映っているらしい。なんだか照れるなぁ。僕がデレデレと、頬を緩ませていると。


「じゃあ、あさひも一緒においでよ。一緒に勉強しよう」


 トワのやつ、言いやがりましたよ。なんとなく流れ的に言うんじゃないかなとは思ったけど!

 僕はジト目で、トワを恨みがましく見つめる。

 トワは悠然と笑顔で、嫌な状況を作ってくれた。僕とトワとあさひと友枝なんて、まともに勉強会なんてできるとは思えない。少なくとも僕は、平常心で勉強なんて、絶対に無理だ。


「わぁ。やったぁ言ってみるもんだね、いっちゃん! じゃあトワ君、今日はよろしくお願いします」


 ぺこり、と丁寧に頭を下げているあさひ。

 僕は隣で頭を抱えた。


「ボクが手取り足取り懇切丁寧に優しくネッチリとあさひに勉強を教えてあげる」


 トワはまったく揺るがない笑顔を、あさひに向けている。僕はぎゅぅと唇を噛み締めた。トワは絶対、僕に対しての意地悪で言っている。

 爽やかに笑い合うトワとあさひ。

 僕と背中に張り付いている友枝のいる空間だけが、どんよりと淀んでいるようだ。

 トワがリフューズ絡み以外で動じないのは分かっている。けど、僕ばっかりがいつも動揺したり、慌てているのは正直悔しい。

 たまにはトワが動揺している姿も見てみたい。


「なんだろう、俺、最近内倉にヒドイ言葉を言われると胸がトキメくんだ。病気かなぁ」


 僕のセーラー服の肩襟を持っている友枝が、恐ろしい呟きを漏らした。僕の耳にしか届かないほどの小声だったけど、全身に鳥肌立った。


「びょ、病気です、それか真性のマゾです。離れてさっさと死んでください」


「Mの自覚はあったけどなぁあああ」


 友枝が、床に四肢をついて打ちひしがれている。僕は寒気で身を震わせた。トワ、頼むから僕の身体で友枝のハートをキャッチしないでほしい。恐ろしい妄想が脳内で勝手に繰り広げられてしまうじゃないか。

 その時――


「面白そうだな」


 戯れる僕らの輪の中に、乱入してきた声。

 僕たちは全員、その声の主へと目を向けた。

 刹那だった。


「俺も行く。最近トワの家に遊びに行ってなかったしな。というわけで、よろしくなトワ」


 珍しく起きて状況を見ていたらしい、刹那が口の端を上げて言い放ってきた。

 刹那はトワの横に立ち、その肩を抱いた。


「……ぅあ」


 あ、トワが動揺した。



 どうしてこうなった。

 うららかな午後の陽射しがぽかぽかと差し込む、内倉永久宅。

 一階のリビングには、大きめのローテーブルの上に高校生たちが制服姿のまま各々のノートをひろげて、勉強会が開催中だ。


「ね、煌ちゃん。問三の答えわかる?」


 僕の横には、ほぼ密着状態であさひがぺたりと絨毯の上に座っている。それだけでももう動悸が激しくて勉強に集中なんてできやしないのに。


「ああ、それはこうやって解いていけばいいんだよ」


 あさひのノートをのぞきこんで口を挟んできたのは、トワだ。

 そして正面、やる気のない状態でテーブルに顔をのせ、ひたすら僕を観察している友枝。

 その友枝の横には、刹那がいる。刹那は友枝より更にヒドイ。既に爆睡状態でテーブルに顔を埋めている。お前何しにきた。


「みなさんお茶が入ったわよー」


 内倉永久の姉である久遠が、リビングに入ってきた。ご機嫌な様子で、相好を崩してみんなに愛想良く言ってきた。

 生気の抜けていた友枝がガバリ、と顔を上げた。


「わざわざありがとうございますお姉様!! 言ってくれたらお手伝いしましたのに!!」


 友枝が姉の元へと走り寄って、周りをぐるぐるまわっている。尻尾を振ってじゃれている子犬みたいだ。


「じゃあこれ配ってちょうだい」


「もちろんですお姉様!!」


 みたいだ、じゃなくて既に姉の犬に成り下がったらしい。

 テーブルの上へと、友枝の手によって姉が淹れてくれた紅茶が配られていく。空になったトレイを手に持ち、姉がトワに近付いていった。


「お勉強頑張ってね、トワ」


 姉がニッコリとトワの顔をのぞきこみ、語りかけている。いつも思うことだけれど、他人がいる時の姉はまるで別人のようだ。


「うんもちろんだよ、お姉ちゃん」


 トワも目を細め、笑顔に応じている。

 この二人、なんだかとっても仲良しの姉弟になったなぁ……なんて冷静に傍観してしまっている僕がいる。


「トワ君のお姉ちゃん、すっごく美人だよね」


 横であさひが僕に耳打ちしてきた。僕は顔を火照らせながらも、少し鼻高々な気分になる。誰がみても、僕の姉は美人だ。友枝も姉に夢中になっているおかげで、僕への熱い眼差しが今日は緩んでいることだし。


「煌ちゃんが勉強を見ててくれて、すごく心強いわ。これからもよろしくね、煌ちゃん」


 姉が僕へとぺこり、と頭を下げてきた。


「は、はい……」


 僕は複雑な心境におそわれ、うまく表情がつくれずに変な顔になってしまった。

 ……今の僕は、大宮煌だから、彼女は僕の姉ではない。

 他人行儀な笑顔と、お辞儀。そして姉は空になったトレイを持って、退出していった。

 寂しい、だなんて。前は一度も思わなかったんだけど。僕のお姉ちゃんは、トワに奪われてしまった。

 もう、姉の本当の表情を見ることもないのかな。

 毎日虐められていたことをずっと悔しく思っていたはずなのに、今となっては、姉に虐められたいなんて思ってしまっている僕がいる。変態じゃないよ。

 僕は溜め息を一つ、思考を切り替える為にノートへと目を戻した。

 冬休み目前、明日からは期末テストが始まる。

 大事な期末テストの為に、こうして一同集まって勉強会を開催の運びとなったのだ。本来の目的は勉強だ。複雑な人間関係を憂いている場合ではない。

 僕はガリガリとノートに数式を書き込んでいく。勉強に集中してしまえば、今の状況だって特に気にならなくなってきた。

 しばらく黙々と、お勉強の時間が続いた。

 分かったのは、あさひがそんなに勉強が得意ではないということだ。一問一問につっかえては、横で唸っている。


「それにしても、コイツ何しに来たんだ?」


 友枝が沈黙状態に飽きたのか、口を開いた。横で寝ている刹那の頭をツンツン突っついている。


「起きちゃうじゃないか。やめろ変態触るな穢れる」


「そこまで言わなくても!?」


 トワに言われて、友枝が衝撃を受けている。僕はそのやり取りを見て、少しだけムッと眉を顰めてしまった。

 僕は刹那の後頭部を見つめる。

 休み時間だろうが、授業中だろうが、刹那はよく寝ている。そして唐突に起きだしたかと思うと、僕に構ってきたりする。友人ながらに、読めない人間だ。しかし僕は刹那とは何故だか気が合う。悲しいかな、姉に培われた僕のM要素はどうしてもきつい発言を繰り出す人物を引き寄せてしまうらしい。そしてそんな人間が嫌いじゃないと思ってしまう自分が、一番危ないのかもしれない。

 それにしても、トワはやっぱり刹那に恋してるんだなぁ、と思い知らされる。明らかに僕や友枝に対する態度と違いすぎる。

 なんでだか、僕はそのことを思い知る度に、胸がムカムカとしてしまうのだ。

 あさひはまだ隣で唸っている。


「いい参考書がボクの部屋にあるから、あさひに貸してあげるよ。ほら行くぞ友枝」


 トワが唐突に立ち上がって言ってきた。


「なんで俺まで!?」


「うるさいから」


 トワが半ば無理矢理に、あさひと友枝を連れて二階に上がっていってしまった。

 ……僕と刹那が、二人で取り残されてしまった。

 広いリビングはしん、と静寂に包まれた。

 刹那の為に、そこまで気を使わなくても。僕は刹那の後頭部を見つめたまま、深く深く溜め息を吐き出してしまう。


「なんだよ大宮さん」


 僕の耳に届いたのは、あくび混じりの刹那の声だ。

 刹那は顔を上げて僕を見つめてきた。深い眠りから覚めたらしく、身体を伸ばして関節を鳴らしている。


「あ、ごめん起こしちゃったかな」


 僕は動揺で上ずった声を刹那へとかけた。

 大宮煌の身体が、意思に反して激しく動揺している。刹那に恋してるのは大宮煌であって、決して僕ではないのに。僕は普段通りに刹那と会話をすればいいんだ。深呼吸して、なんとか落ち着きを取り戻す。


「刹那は勉強しないの? 明日からテストなのに、あんまり焦ってないよね」


 僕は刹那に向けて愛想笑いを浮かべる。刹那は眠そうで、やる気のなさそうな表情だ。


「そういう大宮さんも余裕だな。みんなで一緒に勉強なんて、正直集中できないだろ。しかもトワに勉強を教えてるとか言ってたし」


「そ、そんな大層なものじゃないよ」


「さすが学年首位は違うな」


 予想外に、刹那は言葉を重ねてきた。僕は後頭部を掻く。すっかり忘れていたけど、大宮煌は常に学年首位の成績なのだ。そして目の前にいる刹那は、常に二番だ。刹那がそんなことに関心を持っているなんて意外だ。いや、ただ単に僕をからかっているだけなのかもしれない。


「そういえば僕、学年一番だったっけ。でも刹那は努力しないでもいい成績なんだよね? きっと真面目に勉強すれば僕なんてすぐに追い抜いちゃうよ。僕は見えないところで勉強ばっかりしてるから余裕なんて――」


「じゃあ勝負しよう」


 刹那が僕の言葉を遮り、言い放った。僕の後頭部をガリガリと毟る勢いだった手が止まる。勝負?


「どっちが一番を取るか、勝負だ。俺が努力すれば、大宮さんを追い抜けるのかもしれないんだろ?」


 少し目を細め、刹那が聞いてくる。珍しく刹那の表情が変わった。楽しそうに僕を真っ直ぐ見つめてくる。


「う、うん、僕なんて簡単に追い抜けちゃうよ。だから勝負になんてならないよ」


 僕に大宮煌の成績を維持する自信はない。今回の期末だって、毎日トワのスパルタ家庭教師の下でなんとか今までよりも少しいい成績を残せるかもしれない、という程度だ。


「面白いじゃん」


 刹那は今度こそ、口元を吊り上げ、笑んだ。

 どきり、と鼓動が跳ねる。


「勝負には、やっぱり罰ゲームが必要だよな。そういうのがないと、お互い本気になれないし」


「罰ゲーム?」


 僕は眉を顰め、問う。刹那は全く僕の話を聞き入れる気はないらしい。勝手に勝負することで話を進めてしまっている。刹那の性格には慣れているつもりだったけど、やはり戸惑いを隠せない。

 刹那が突如立ち上がった。僕は見上げる形になり、にこにこというかニヤニヤしている刹那と視線を交錯させた。こういう表情をしている時の刹那は非常に危険だ。

 刹那が僕に近付いてきて、腰を折りまげてきた。

 そして僕の耳元にそっと顔を寄せ、声をひそめた。


「次の期末で俺が一番取ったら、キスして」


「……は?」


「大宮さんが勝ったら、なんか罰ゲーム考えておいていいから」


 真っ白だ。完全に頭の中、しろ。


「はぁあっ!?」


 一気に自分の顔が青ざめていくのがわかる。これって、かなりのピンチじゃないだろうか!?


「本気じゃないよね?」


 なんとしてでも冗談にしてもらわないといけない。僕は思いつめた表情で、刹那を仰ぐ。


「本気だけど?」


 簡単に言われて、僕はがくり、と項垂れた。しかしこんなことで負けるわけには――


「や、だって、でもさ、キスとかはさすがにまずいんじゃないかな。そういうのって大切にしないと」


「だからこそ燃えるんじゃん」


 ニヤ。刹那はどこまでも余裕のまま、言い放ってきた。


「嫌だったら負けなきゃいい。つーか、大宮さんが負ける筈ないし」


「で、でも僕だって調子悪い時があるかもしれないなーなんて」


「そっちはどうするんだ? 罰ゲーム」


 刹那は全く僕の抗議を聞くつもりはないらしい。


「罰ゲームって……僕はまだ勝負するなんて言ってな」


 がちゃり。リビングのドアが開いて、僕は言葉を止めた。

 トワとあさひ、友枝が帰ってきた。


「何二人でコソコソ話してたの?」


 トワに恐ろしく低い声で問いかけられて、僕の心臓は縮み上がった。


「いや、大した話はしてないよ、ね。刹那?」


 刹那に話を合わせるように視線を送る。しかし刹那は僕の方を見るでもなく、無表情のまま立っていた。


「何って大宮さんと勝負をしよ「うわー! わー! わぁあああ!!」」


 バカ正直にも語りだそうとした刹那の前に立ち、僕は手を大きく振ってそれを止める。恨みのこもった視線で刹那を見上げた。お前はトワの恐ろしさを知らないんだ。キスをかけた勝負なんてしたなんて言って、この場が丸くおさまるわけがない。

 身震いを起こしかけて、僕は一度深呼吸をした。


「とにかく、その件は了承しました! 口外はナシでお願いします! あ、それと僕は急用ができちゃったから帰ります! じゃあねみんな!!」


 僕は歪んだ笑顔で全員に大きく手を振ってから、勉強道具をむちゃくちゃにカバンにしまう。その場から猛然と逃げ去った。

 なんてことだなんてことだ。

 期末テストで一番が取れなかったら、刹那とキスしなければいけなくなってしまった。

 この件がばれたら。

 トワの殺気のこもった眼差しを思い出し、走っていて身体はぽかぽかしている筈なのに、僕は背筋を凍りつかせる。

 逆パターンで想像してみたとして。もし内倉永久の身体があさひとキスするなんて状況になったら、僕は絶対に許せない。トワだって、同じ気持ちになる、はず。

 これ、確実に殺されるパターンだ。



 夜になって。

 僕は、内倉永久宅に舞い戻ってきていた。インタフォンも押さずに、鍵が開いていた扉を開け放ち、靴を脱ぎ捨てた。勢いのままに階段を駆け上がった。そして見慣れたドアを前にして激しくノックした。

 少しの間の後。がちゃりとドアが開けられて、トワが顔を出した。


「あれ? なんでまた来たの大宮さ」


「僕に勉強を教えてくださいー!」


 僕はぐわっと勢いよく両手を床につけて、猛烈な勢いで土下座した。


「一番を! 一番を取らなきゃいけないんだー! 後生です、後生ですから!」


 プライドなんて知ったことか。死ぬよりはマシだ。というか、正直刹那とキスするなんて嫌すぎる。ノーマルなんだ僕は! って、ノーマルだったら男と女だからアリなのか? ……なんて血迷ってる場合じゃない。僕はなんとしてでも、勝負に勝たなければいけないのだ。 

 こうなったらどんな手段を用いてでも、一番を取るしかない。

 悩み考え抜いた末に、やっぱり勉強のスペシャリストに教えてもらうしかないという結論に至ったのだ。


「ふむ。一番を、ねぇ」


 僕は床に頭をこすり付けつつ、トワの落ち着いた声音を聞く。


「明日から期末テスト。それなりの覚悟を持って、言ってるんだろうね?」


「死ぬ気でやる! どんなスパルタにも耐えてみせます! だから一番を、一番を!」


「顔を上げて」


 トワの言葉に従い、僕は顔を上げた。


「じゃあボクもそろそろ本気を出そうかな」


 トワが僕の顎をくぃっと持ち上げて、口の端をニタリと、上げた。

 ――僕は、見た。

 トワの顔に、完璧なるSの血覚醒の瞬間を。






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