幕間
ノックの後、がちゃり、と診察室のドアを開いた。
「来たね、煌」
回転椅子をまわしておばあちゃん、大宮沙良がボクへと目を向けた。口の端を軽く上げて、目尻には皺を寄せ、微笑んでいる。
おばあちゃんは休日でも大抵は大宮医院の診察室で、仕事をしている。今日も例外ではなく、白衣姿はいつものままだ。
学校が休みの土曜日。大宮煌と内倉永久が入れ替わって一週間目になる。
その日の昼下がり、ボクは携帯電話でおばあちゃんから呼び出しを受けた。
トワの姉、久遠さんとテレビゲームに興じていた時だった。
レースゲームで完膚なきまでに久遠さんを叩きのめして、
『前は絶対負けてくれてたのに、トワのバカトワのバカトワのバカ』
なんて、恨みがましい眼を向けられていたから逃げ出す口実が出来てちょうどよかったんだけど。
泣きそうになってる久遠さんは、可愛らしいお姉さんだなぁと思う。永久くんがお姉さんを怖がっている意味が、ボクにはよくわからない。
「それで休日に突然呼び出すなんて、なんの用? ちなみにボクは煌じゃなくって、トワだよ」
ボクはおばあちゃんの微笑を前に、肩をすくめた。
「そこまで徹底しなくたっていいじゃあないかい。まぁ、座りな」
不満げなボクの表情などお構いなしに、おばあちゃんは自分の前の椅子を指し示した。
ボクが座ると、正面からじぃっと見つめられる。
「そういえば大宮さんは? 家の方?」
おばあちゃんの心を見透かすような瞳に晒され、ボクは落ち着かない気分になった。きょろ、とわずかに視線が泳いでしまう。
なんていうか、ボクはこのおばあちゃんの真っ直ぐな目が苦手だ。
誰にも本心なんて悟られないという自信があるのに、おばあちゃんにだけは心を読まれていやしないかと、胸がざわつく。
「永久君かい? 朝ソワソワと出かけていったきりだね。友達と出かけるみたいなこと言ってたけど、何も聞いてないのかい?」
ソワソワと? ボクに内緒でどこに出かけたんだろうか。
少し考えてみて、すぐに解答にたどりついた。
永久くんがソワソワとボクに内緒で出かける相手なんて、一人しか思いつかない。
「あさひか……ふーん、そうかそうか」
後で絶対それをネタに虐めようと決意した。
「妬いてるのかい?」
「何をバカな」
ボクが引き攣った微笑でおばあちゃんを見遣ると、おばあちゃんはどこまでも余裕の表情だ。くそぅ、血の繋がりを嫌でも感じてしまう。
「ボクは大宮さんに美少女清掃員としての仕事を忘れてもらっちゃ困るだけだよ」
「永久君は巻き込まれてるだけにしては、頑張ってくれていると思うよ」
まぁ、それは確かに感謝しないといけない。彼は、ボクの勝手な都合に巻き込まれただけなのだから。
少しの罪悪感がちくり、と胸に刺さった。でもそれを表情に一切出すようなマネはしない。ボクは微笑のまま、おばあちゃんと向き合う。
永久くんのことが頭に浮かぶと、ずっと疑問に思っていたことを思い出した。
「ねぇおばあちゃん、なんで大宮煌と内倉永久の身体が入れ替わった時、大宮煌の身体は復活したの? 清掃員の入れ替わり能力は、死んでしまう身体を捨てて、新しい身体に成り代わるものなんでしょう? だったら大宮煌の身体は生きていられないはず」
「……私も実際に、清掃員の入れ替わりの事例を目にしたことがあるわけじゃないしねぇ。おそらくは、彼の精神が自己再生能力を発動させたんじゃないだろうか」
「自己再生能力?」
「清掃員の完全覚醒能力に、そういうものがあると聞いたことがある」
ボクは絶句してしまう。
おばあちゃんを見つめると、おばあちゃんは困ったように笑んだ。
「まさか、彼が完全な美少女清掃員になる素質を持ってる、なんてね。すごい偶然の奇跡じゃないか」
呆然としたまま、無意識に、膝においていた手が握り拳になっていた。
震えをおさえ、唇を軽く噛み締める。
俯いてしまっていたボクの頭上に、冷静な声音が降りかかってきた。
「キレイで純粋な精神が、完全な美少女清掃員に必要なもの。まぁ、永久君と数日生活してみて納得は出来るさね。あの子、未だにお前の下着姿すら見られやしないんだから」
「……完全な美少女清掃員なら、ヒトガタを清掃することが出来る」
――ヒトガタ。
その忌まわしきリフューズを清掃することが、ボクの使命。
この街に蔓延るそいつらを消す為だったら、ボクは自分の身体なんて要らない。
何があっても、どんなに汚い手を使ってでも、ボクはそいつらを消すことを決意したんだ。
自然と、ニヤリと笑みが浮かんでいた。
偶然とはいえ、ボクは完全な美少女清掃員の力を、この手中に収めたのだ。
最高じゃないか。
「煌、服を脱ぎな」
おばあちゃんの厳しい声が耳に届き、ボクは顔を上げた。
真っ直ぐで、逆らえないほどの強い瞳。
ボクはしぶしぶながらに、シャツのボタンを外していく。
シャツを開き、その胸を、おばあちゃんへと見せた。
おばあちゃんの表情が、強張った。今日おばあちゃんがボクを呼び出した意味が分かった。
清掃員の秘密に精通しているおばあちゃんには、やっぱり、気付かれていたのだ。
「おばあちゃん、ボクは、いつまでもつ?」
「……その拡がり方からして、一冬もつかどうか」
苦しげに目を伏せて、おばあちゃんが言い放ってきた。
それでもボクは、笑顔だった。
「それだけ時間があれば、充分だ」
ボクは胸をしまう。
――大きな黒い痣が、心臓部分を中心にして、全身に拡がりを見せはじめている、その胸を。
「必ずボクたちの身近に、ヒトガタの司令塔が潜んでいる。そいつを探し出して、ヒトガタを一掃する」
ヒトガタを清掃する為に、永久くんを利用して、利用して、利用しつくしてやる。
どこまで堕ちようとも、誰に許されなくても。