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『銀色の筥(はこ)』  作者: 橋平 礼


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第三章 虚無の帰結

 「おい、二階堂! どうしたんだ!」  同僚の怒鳴り声で、彼は我に返った。


 気がつくと、彼は事務所の冷たい床にへたり込み、子供のように震えていた。額からは、脂ぎった冷や汗が絶え間なく流れ落ちている。


 彼は支離滅裂な言葉で、あの銀色の筥のことを話した。同僚は半信半疑のていであったが、あまりの二階堂君の変貌ぶりに気圧され、二人で連れ立って車庫へと向かった。


 車庫の隅。先程、彼が放り出したはずの銀色のアタッシュケエスは、そこに転がっていた。


 しかし、どうした事か。


 筥の蓋は力任せに抉じ開けられたかのように歪んでおり、中身は「空」であった。  泥だらけの運動靴も、古びた体操服も、そしてあの忌まわしい泣き声も、すべては幻影であったかのように、跡形もなく消え去っていたのである。


 「空っぽじゃないか。お前、疲れが溜まっているんだよ」


 同僚は呆れたように笑った。しかし、二階堂君は見た。


 開かれた筥の底に、一筋の「血」のような、どす黒い染みが付着しているのを。そして、車庫の奥へ向かって、小さな、泥だらけの足跡が、点、点、と続いているのを。


 それ以来、二階堂君の身の回りには、不可解な「音」が付き纏うようになった。


 夜、独りでいると、クローゼットの中から、或いはベッドの下から、あの「重い」泣き声が聞こえてくるのである。


 彼は結局、タクシイの運転手を辞めてしまった。


 「あの筥は、誰かが捨てたかった『罪』だったのかも知れません」


 彼は僕に向かって、幽霊のような笑みを浮かべてそう言った。


 「そして、それを拾ってしまった僕は、一生、その『罪』を背負って歩かねばならぬのです」


 僕は二階堂君と別れ、再び夜の街へ出た。


 不意に、自分の足元が妙に重くなったような気がして、僕は立ち止まった。


 銀鼠色の空からは、冷たい雨が降り始めていた。


 果たして、僕が今手にしているこの「記憶」もまた、誰かが捨て去りたかった銀色の筥ではないだろうか。


 その答えを知る術はない。ただ、僕の心には、冷たい隙間風が吹き抜けるばかりであった。


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