第二章 車庫の号泣
仕事を終えた二階堂君は、車を会社の車庫へと入れた。
銀鼠色の空からは、今にも涙が零れそうな湿った風が吹き込んでいる。彼は義務感から、そのアタッシュケエスを事務所へ届けようと手を伸ばした。
その瞬間である。
先程までは片手で持ち上げられたはずの筥が、突如として、千貫の重みを湛えた鉛の塊へと変じた。
「……重い」
彼は顔を顰めた。と同時に、筥の中から、地獄の底から響くような「声」が湧き上がった。
それは、子供の泣き喚く声であった。
「お父さん、開けて! 出して! 苦しい、苦しいよ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が、その銀色の金属板一枚を隔てた向こう側で展開されている。二階堂君は、全身の毛穴が逆立つような戦慄を覚えた。彼の自尊心は粉々に砕け、ただ一匹の、恐怖に怯える獣へと成り下がった。
「うわああああ!」
彼は悲鳴を上げ、その重すぎる筥をコンクリイトの床へ叩きつけた。
ドサリ。
筥は横倒しになり、鈍い音を立てて転がった。しかし、恐怖は終わらない。筥の中で、何かが「もぞもぞ」と蠢いているのである。それは、今昔物語に描かれる、産女が抱く亡霊の如く、不気味な生気を帯びていた。
「ううう……ううう……」
呻き声と共に、筥の隙間から、青白い、小さな「手」が這い出してこようとするのが見えた。暗がりのせいで判然とはしないが、その指先には、執着という名のどす黒い情念が宿っているように思われた。
二階堂君は、理性をかなぐり捨て、事務所の明かりを目指して走り出した。背後では、コンクリイトを爪で掻き毟るような、カラカラという音が響いている。彼の記憶は、そこで断絶した。極限の恐怖は、人間の脳に、ある種の「救済としての忘却」をもたらしたのである。




